法厳寺 (牛尾観音)・音羽山 (京都市山科区) 
Hogon-ji Temple
法厳寺 (牛尾観音) 法厳寺 (牛尾観音)
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黒門






参道、思案辻


「登牛尾山 釈顕常」の詩碑


手水屋


本堂


本堂、香炉


本堂、蟇股、龍の彫物



本堂、木鼻



本堂

 山科音羽の法厳寺(ほうごんじ)は音羽山の西南にある支峰、牛尾山(うしおやま)の中腹に建つ。かつては清水寺の奥の院といわれた。厳法寺(ごんぽうじ)とも称された。通称を牛尾観音(うしおかんのん)、牛尾山(うしのうざん)ともいう。山号はかつて牛尾山、現在は牛王山(うしのおさん)という。
 単立の本山修験宗。本尊は十一面千手観音。
 京の通称寺霊場33番、牛尾観音。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 奈良時代、778年、延暦年間(782-806)とも、創建されたとの伝承がある。かつて、現在地よりも山頂よりにあったという。 
 平安時代、真言宗開祖・空海(弘法大師、774-835)、文徳上人、天台宗・円仁(慈覚大師、794-864)、天台寺門宗の宗祖・円珍(智証大師、814-891)、真言宗小野流の祖・聖宝(理源大師、832-909)、真言宗小野流の祖・仁海(951-1046)らが入山したという。(寺伝)
 平安時代中期、観音信仰により栄える。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、衰微する。
 南北朝時代(1333-1392)、全山が焼失する。山麓の小山ノ里の内海覚念は、焼跡に草庵を結び諸仏像を安置する。
 室町時代、1480年、牛尾観音参詣について記されている。旧地は現在地より山上4、5町の処にあったという。(『山科家礼記』、同年条)
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉は祈願成就の報恩に、寺社奉行・前田玄以をもって当山の再興を行わせる。
 その後、焼失し、荒廃する。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、再建された。観音信仰により賑わう。
 江戸時代、1685年、廣瀬三郎は寛存上人を迎え再興する。寛存は中興第一世になる。
 1689年、浄遍上人が入山し、現在の本堂が再建される。浄遍は中興二世になる。
 1710年、赤穂浪士の大石内蔵助は仇討の成就を当寺に祈願し、毎夜、人目を避け当山に祈願したという。
 1831年、門空上人が入山する。
 1847年、現在の本堂が建立されたともいう。
 幕末、第121代・孝明天皇(1846‐1867)の頃、勤皇の志士らの密議の場として使われたという。
 現代、1945年、山号を牛尾山より牛王山に改める。
◆延鎮 奈良時代-平安時代前期の法相宗の僧・延鎮(えんちん、?-821?)。報恩に師事、その没後、大和・高野山真言宗の子島(嶋)寺を継いだ。778年、行叡(ぎょうえい)と出遭い、京都・乙輪(音羽)山に移る。798年、坂上田村麻呂が開いた清水寺の開祖となる。優婆塞(うばそく、仏教の在家信者の男子)の修行者とされる。
◆仏像 本堂に本尊の「十一面千手千眼観世音菩薩」を安置する。奈良時代、第38代・天智天皇(626-672)の自刻とされ、賢心の霊夢により、滋賀の都より遷された念持仏という。かつて宮中の大悲殿に安置され、第40代・天武天皇(大海人皇子)による672年の奈良遷都の際に当山に遷されたものという。
 脇侍に「不動明王」、「毘沙門天」を安置する。
 行叡居士、延鎮法師像を安置する。
◆建築 「本堂」は、江戸時代、1689年の建立による。
◆清水寺 法厳寺はかつて法相宗、真言宗だったともいう。清水寺(東山区)との関わりがあるとされ、古くより「清水寺の奥の院」と呼ばれていた。平安時代前期、清水寺の開祖・延鎮は夢告に従い、この地の音羽山で伝承の僧・行叡の沓(くつ)を拾ったとされた。この地の音羽山、音羽川の地名により、清水寺の山号も音羽山としたともいう。なお、音羽山、音羽川の地名は山科のこの地と左京区の比叡山麓(西坂本)、清水寺の3か所にあり、前者2つは歌枕になっている。
 寺伝によると、音羽山一帯はかつて東山、また山麓は大国ノ里と呼ばれていた。弥生時代、第11代・垂仁天皇(在位、B.C.29-A.D.70)の頃、大国ノ淵(大国ノ不遅)に夢告があり、東山頂上(山科東峰、補陀落峰)で地主明神と出合う。山に登るとその沓(木靴)が落ちていた。これを持ち帰り、垂仁天皇に経緯を話し、以後、峰を音羽山とし、山頂に宇賀徳生神王、東山大権現を祀り音羽山権現社とした。生水谷には八大龍王神を祀り北谷権現社を創建した。大国ノ淵は音羽山に移り、その一族も山麓に住み大国の里になったという。 
 飛鳥時代、女帝第35代・皇極天皇(在位642-645)の頃、中大兄皇子(第38代・天智天皇)は蘇我入鹿を討つ祈願に音羽山権現社に参詣した。成就した記念に音羽山、音羽川辺に桜と楓を植栽したという。
 奈良時代、770年(778年とも)、大和国小島寺の賢心に夢告があり、金色水(きんせいすい)の水源を尋ねた。木津川、宇治川、山科川、この地の音羽川と遡り滝下(聴呪の滝)まで辿った。お経が聞こえてきたため辿ると岩窟があり、老翁姿の行叡が現れた。共に音羽川沿いに奥山に入ると草庵があり、岩間より湧く金色水を見つけた。行叡は音羽山頂上に消え、託された賢心はここに堂宇を建立し、第49代・光仁天皇の勅許を得て、観世音像を本尊として安置した。賢心は延鎮と名を改め、行叡より受けた柳木で3年3カ月の歳月をかけ、像高五尺二寸(1.57m)の観音像を刻んだ。780年、坂上田村麻呂は妻高子の難産を救うために東山、音羽山に鹿狩に入る。この時、山中で延鎮と出会い、観世音菩薩の信心に触れる。田村麻呂は殺生を思い止まり、延鎮に安産祈祷を願いこれを成就させた。田村麻呂夫妻は当山の観世音を信仰し、後年、蝦夷征伐の戦勝祈願し、その報恩に八坂に清水寺を建立した。この地の音羽山の地名より山号は音羽山とし、以後、当寺を清水寺本地行場、清水寺奥の院と称した。延鎮は清水寺を退いた後に当山に移り、住したという。(寺伝、『山州名跡志』『都市名所図会』『清水寺縁起』)
◆金生水 本堂脇、観音像の下に湧出する霊水は、「金生水(きんせいすい)」と呼ばれている。伝承がある。奈良時代、770年(778年とも)、大和国小島寺の賢心(延鎮)に夢告があり、金色水の水源を尋ねた。木津川、宇治川、山科川、この地の音羽川まで遡り、滝下(聴呪の滝)に辿り着いた。滝音に混じりお経が聞こえてきたため辿ると岩窟があり、老翁姿の行叡が現れた。共に音羽川沿いに奥山に入ると草庵があり、岩間より湧く金色水を見つけたという。行叡に託された賢心はここに堂宇を建立し、当寺の始まりになったという。
◆牛尾山・音羽山 牛尾山(551m)は、境内の北東にある。音羽山(593m)の支峰になる。古くは主穂(うしお)山とも呼ばれた。東国へ通じ、逢坂山、逢坂関に通じていた。現在も、当寺より東海自然歩道を辿ると、牛尾山、音羽山を経て逢坂山に向かう。
 牛尾山には伝承がある。小野(山科区)の仁海僧正は、亡き母の追善のために牛皮(ぎゅうひ)曼陀羅を描き、牛の尾を当山に埋めたという。かつて家の主は、神々に初穂を供える山として信仰していた。
 音羽山(おとわやま)も、滋賀県との県境にある。音葉山とも呼ばれた。古生層からなる。歌枕にもなっている。「おとは山けさ越えくればほととぎす梢はるかに今ぞなくなる」(『古今集』夏、紀友則、一四二)、「おとは山をとに聞きつつ相坂の関のこなたに年をふる哉」(『古今集』恋一、在原元方、四七三)。
◆参道 境内に至る牛尾山の山道は渓流に沿って登る。川の各所に名勝、旧跡がある。麓より蛙岩、大師堂・腰掛石、お経岩・大師像、聴呪の滝、仙人窟、夫婦の岩、しずく岩、音羽の滝、大蛇塚、仙人の滝、桜の馬場などがある。また五丈岩、銚子の滝、蛇の淵などもあった。
◆修行体験 写経、坐禅ができる。夏に滝修行がある。
◆年間行事 新年修正会(1月1日)、初観世音会(ぜんざい接待)(1月17日)、節分会(2月3日)、春季御開帳・採燈大護摩供(本尊の公開)(4月17日)、夏季悪疫災難避法要(8月17日)、秋季御開帳・大般若経転読法要(本尊の公開)(10月17日)、除夜の鐘(年越し蕎麦の接待)(12月31日)。
 護摩供・観音菩薩の月例祭(観音会)(毎月17日)。 

*普段は非公開。境内自由。
*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』、当寺のサイト、『京都市の地名』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都の地名検証』『昭和京都名所図会 4 洛西』

 
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庫裏

庫裏、「牛王山」扁額

護摩堂、不動明王、神変大菩薩、愛染明王、蔵王権現、観世音菩薩を安置する。毎月17日に護摩供が行われる。

護摩堂の扁額 

大杉堂、火を司る男性神・大杉坊大権現(天狗)、水を司る女性神・八頭竜王尊を祀る。音羽山の山神は山中を自在に飛び回り参詣者、登山者を守護するという。

大杉堂、「大杉坊」扁額

大杉堂、「宇賀神」の扁額

杉のご神木、大杉さん、天狗杉とも呼ばれ樹齢800年以上という。京都市の巨木・銘木に指定されている。幹にはムササビの巣があるという。麓の小山町には「天狗の爪研ぎ石」があるという。

釣鐘堂(空の道場)

寺務所

霊水、金生水

霊水、金生水、観音像 

金生水、いまも湧水している。

鎮守社

経塚

地龍王神

黒泥窟(黒泥巌)


閼伽井、金生水

天龍王神

天龍王神(風の道場)

天龍王神

天龍王神

天龍王神

大弁財(識の道場)、天箕面山の瀧安寺本尊を勧請した。

放生池 

五智瀧 

五智瀧(水の道場)、滝行場、十八尺(5.5m)の滝がある。

五智瀧 

五智瀧 

役行者・神変大菩薩

御砂踏場の道場、南無大師遍照金剛 

御砂踏場の道場、観音像。西国三十三か所の観音霊場、四国八十八か所の霊場の砂が仏像の廻りに納められている。一周すると参拝したのと同じご利益が得られるという。 

藤原顕孝の歌碑「牛の尾や 春はのるまにかつ消えて まだらに萌ゆる 峯の白雪」(「三井集」)、藤原顕孝(1055-1123)は、平安時代後期の公家、歌人。

境内近くの峠

峠よりの北の眺望

境内のある牛尾山
参 道 (境内に至る山道)

鎌研ぎ橋

大師堂、大日如来、弘法大師が安置されている。空海は牛尾山で修行し、等身大の自刻像を残したという。

大師堂

大師堂、弘法大師が休んだという腰掛石

牛尾山十八丁の丁石

弘法大師像、経岩(お経岩) 

経岩(お経岩) 

「夕されば 松吹く風の 音羽川 あたりも涼し 山の下かげ」(後西園寺入道、「続後拾遺集」)、西園寺公経(さいおんじ きんつね、1171-1244)は、平安時代、鎌倉時代の公卿・歌人。

「音羽河 雪げのなみも 岩こえて 関のこなたに 春はきにけり」(藤原定家、「内裏名所百首」)、藤原定家(1162- 1241)は鎌倉時代初期の公家・歌人。

夫婦ノ滝

不動尊

不動尊

不動尊、湧水がある。

「鳴(なる)神の音羽の滝やまさるらん 関のこなたの夕立の空」(中務のみこ、「夫木抄」)
宗尊親王(中務のみこ)(1242-1274)は、鎌倉時代の皇族、歌人。

音羽ノ滝(布引滝)

大蛇塚

大蛇塚
法 厳 寺 (音羽中芝町)

【参照】法厳寺の里坊、山科区音羽中芝町にある。

【参照】

【参照】
 法厳寺 〒607-0000 京都市山科区音羽南谷町1   075-581-1586/075-593-8003
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