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白石神社・小山石切場跡 (京都市山科区) Shiraishi-jinja Shrine |
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白石神社 | 白石神社 |
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牛尾観音へ向かう道筋、小高い丘の中腹に白石神社(しらいし-じんじゃ)がある。境内の巨大な磐坐は、「白い巨岩」として古代より崇敬を集めてきた。小山の産土神として信仰されている。 祭神は、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いなざみのみこと)、白石大明神(磐坐)を祀る。 旧村社、山科岩坐五社の一つ。延命長寿、夫婦円満、家内安全、縁結び、子授けの信仰がある。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 古代より、この地では磐座信仰があった。 平安時代前期、大同年間(806-810)/807年、朝廷により勧請、創建されたという。白石大明神と呼ばれた。 室町時代、応永年間(1394-1428)、古記録などが焼失している。 江戸時代、1787年、「白石明神」と記され、本殿、小社、磐坐が描かれている。白石庵が描かれている。南禅寺天授庵の一源禅師の草庵跡だった。(『拾遺都名所図会』) 近代、1869年まで、毎年、神供米5斗の寄付があった。 1873年、8月、村社に列せられた。 現代、1996-1997年、社殿、境内が修復される。 2001年、境内の大杉が区民の誇りの木に指定される。 ◆建築 本殿(神殿)、拝殿などがある。 ◆磐坐 本殿の右に巨大な「白石」と呼ばれる磐坐がある。古代より信仰があり、「白石大明神」と呼ばれていた。白石信仰の、山科の岩坐五社の一つに数えられている。 磐座の上部には、石割の際の矢穴列痕が3条ある。西北隅に欠き取られた痕跡もある。高さ4m、長さ9m(6mとも)、奥行き3m。 ◆小山石切場 境内北の山一帯は、かつての「小山石切場」跡になる。近世初期(安土・桃山時代)-1955年頃まで石の切り出しが行われていた。 現代、2014年に磐坐の東北隅に長州藩毛利家とみられる刻印「一に〇一(文字一星)」が見つかった。また、小山石切場のほか、音羽川、大塚山一帯では豊臣-徳川期に伏見城の築城石が切り出されていた。 小山石切場は、江戸時代の『雍州府志』(1686)、『聖蹟図誌』(1862)などにも記されている。「山科古都」(天保年間[1831-1845])には「大イワ」、「石キリ山」と記されている。 現代、2015年に京都市の遺跡台帳に「大塚・小山石切丁場跡」と記載された。付近では、石材に刻まれた4種類の刻印、矢穴 列跡が見つかっている。 ◈「一文字一星(一に○)」の刻印、「二」が付属する刻印は、毛利家の家紋略式刻印という。現在見つかっている中で最も多い。 ◈「平四つ目結刻印」、「角立ち四 つ目結刻印」は、初現期のものとされ、 若狭京極家の所要と考えられている。 ◈「十」の刻印は、漢数字、島津家の家紋ともいう。 ◈「一」の刻印は、漢数字と考えられている。 ◈割面に矢穴 列跡のあるものは、行者ヶ森北方の東斜面にある。石材は、主に玄武岩質凝灰岩、石英斑岩、花崗斑岩になっている。 ◆樹木 スギの大木は、区民の誇りの木に指定されている。高さ20m、幹周り3.9m。 ◆年間行事 とんど焼き(1月)、お百灯祭(6月)、お火焚き祭(11月)。 *年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 案内板、「やましなを語り継ぐ会」の説明板、『山科事典』、『京都の歴史玄関 やましな盆地』、『山科の歴史を歩く』、 『史料 京都の歴史 第11巻 山科区』、『京都橘大学歴史遺産調査報告2016 山科大塚・小山石切丁場、御香宮神社、二条城堀川石垣、萬明寺本堂』、『京都山科 東西南北』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() 中門 |
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![]() 中門 |
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![]() 本殿(神殿) |
![]() 本殿(神殿)、神紋 |
![]() 本殿(神殿) |
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![]() 磐坐 |
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![]() スギの巨木 |
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