瑞峯院 〔大徳寺〕 (京都市北区)
Zuiho-in Temple
瑞峯院 瑞峯院 
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表門






「独坐庭」の石標、笠塔婆










 瑞峯院 (ずいほういん)は大徳寺境内の南にある。大徳寺塔頭のひとつになる。 
 臨済宗大徳寺派。本尊は観音菩薩。
歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 室町時代、1535年、1533年、1543年、1552年、1587年とも、豊後のキリシタン大名・大友宗麟が菩提寺として創建される。開祖は、大徳寺第91世・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)による。方丈が建てられる。
 1554年、徹岫は「瑞峯院法度」を定める。
 1562年、宗麟の法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」により、瑞峯宗麟と寺号を称した。
 近代、1928年、茶室「安藤軒」が、表千家8代・惺斎宗匠の指導により建立された。
 1929年、茶室「餘慶(よけい)庵」は、数寄者・小島弥七の寄進により建立される。
 現代、1961年、作庭家・重森三玲が「独坐庭」「閑眠庭」を作庭する。
 1974年、方丈が解体修理される。
 1990年、茶室「平成待庵」が復元される。
◆徹岫宗九 室町時代の僧・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう、1480-1556)。近江に生まれた。大徳寺の小渓紹ふに師事し法を嗣ぐ。1536年、大徳寺91世。1539年、興臨院に居し、1546年、再住開堂。上杉謙信の青年時代に禅の指導を行う。第105代・後奈良天皇の帰依を受けた。諡号は1551年、仏徳大用禅師、1553年、普応大満国師。
◆大友宗麟 室町時代の武将・大友宗麟(おおとも そうりん、1530-1587)。義鎮(よししげ)、豊後の大友義鑑の嫡男に生まれた。一時、北九州東部6国を平定、守護と九州探題を兼ねる。22歳で得度し名を宗麟と改めた。1551年、イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルを引見している。1582年、天正少年使節団のローマ派遣について、宗麟の関与については異説もある。当初は貿易目的のためにキリシタンに近づき、豊後府内沖ノ浜などを南蛮船の貿易港とした。1587年、自ら洗礼を受け、受洗名はフランシスコと称した。薩摩島津の圧迫により豊臣秀吉の救援を求めた。
 書画、茶道、能、蹴鞠などの諸芸に通じた。宗麟の肖像画が瑞峯院に所蔵されている。境内に夫妻の墓がある。
◆建築 「客殿(方丈)」(重文)は、創建当時のもので、室町時代、天文年間(1532-1555)の建立による。禅宗方丈建築様式の遺構とされている。方丈正面に開祖・大満国師(徹岫宗九)の木像を安置している。室町時代の第105代・後奈良天皇宸筆「瑞峯院」の扁額を掲げる。襖絵は最近の作品で、朝鮮の金剛山を描く。桁行14.9m、梁間10.9m。一重、入母屋造、檜皮葺。
 方丈広縁の東端に「玄関(唐門)」(重文)を付属している。檜皮葺。
 「表門」(重文)も創建当時、室町時代、天文年間(1532-1555)の建立による。四脚門、切妻造、檜皮葺。
茶室 茶室、三畳台目「安藤軒(あんしょうけん)」は方丈の北にある。逆勝手席になっており、床の間に向かって本床が左、脇床が右にある。大徳寺山内唯一という。表千家12代・惺斎宗左宗匠(1863-1937)の指導により1928年に建立された。
 方丈西にある「餘慶庵(よけいあん)」は、千利休が山崎に建てた「待庵」、表千家8代・さい(口+卒)啄斎宗匠(1744-1808)好みの写しになる。大友宗麟の頃、同名の茶席があり、江戸時代、享保年間(1716-1735)に廃されたという。1929年に数寄者・小島弥七の寄進により再建された。七畳の写しの席、表千家松風楼様の八畳の下座床の席、廊下を隔てて四畳半の向切の席からなる。毎月28日に釜がかかる。
 「安藤軒」の北に、1990年に有志により復元建立、寄進された「平成待庵(祖形待庵)」がある。千利休の妙喜庵茶室「待庵」の写しで二畳席になる。中村利則(京都造形大学教授)設計による。
◆庭園 庭園は、「独坐庭」(方丈南庭、145坪)、「閑眠庭(十字架の庭)」(方丈北庭、100坪)、「茶庭」(中庭、露地)の三面がある。
 「独坐庭」「閑眠庭」は、現代の作庭家・重森三玲(1896-1975)が、開祖400年遠忌を記念して1961年に作庭した。工期は1カ月だったという。造営に際して、京都林泉協会会員らの寄付金が募られた。
 蓬莱山式庭園の「独坐庭」の名の由来は、中国百丈禅師の禅語「独坐大雄峯」による。「雄峯」は寺名の「瑞峯」に因んでおり、霊峯・蓬莱山も表している。開祖・徹岫宗九の庭とされ、室町時代の手法を用いた枯山水式庭園になる。石組と砂文(10㎝)の深い白砂、苔地、刈込により構成されている。石組は南西に凝縮している。築山の苔地に尖った石が突き立てられている。その巨石に連なる形で苔地、砂地にも鋭い石が複数立てられている。石は、中国の名僧・雲門禅師が独坐する姿を表しているという。これら石組の鳳来(蓬莱)山に、白砂の海の荒波が押し寄せる様も表している。また、雲間から現れた龍の姿ともいう。
 西には、苔と白砂による州浜があり、南庭とは対照的な静かな入り江の描写になる。苔地に敷かれた飛石が茶室「餘慶庵(よけいあん)」へと続く。露地は苔、飛石、手水鉢で構成されている。かつては、一面の石敷(石畳)により、円垂形の立手水鉢が一つだけ据えられる特徴的なものだったという。
 北にある「閑眠庭(十字架の庭)」は、開基・大友宗麟の庭という。閑眠庭の名は、禅語「閑眠高臥して青山に対す」による。俗世を離れ、心を高く持ち山野などで秘かに暮らすことを意味する。白砂、苔地、石、刈込の庭になっている。東にある坪庭に置かれたキリシタン燈籠(燈籠の地中部分に、マリア像のレリーフが彫られている)を起点として、その延長線上に、縦に4石、横に3石の計7石が十字に据えられている。十字架は北西を上にして、斜めに置かれた形になる。十字架として石を据えたのは重森が日本初という。また、西部分は茶室「餘慶庵」の前庭も兼ねており、白砂に曲線を描く飛石が置かれている。
◆寮舎 安勝軒は、室町時代、永禄年中(1558-1570)に大友義鎮の建立による。2世は竹澗宗紋による。近世、南派輪住により護持された。江戸時代、1802年に廃され、後に瑞峯院の書院になる。
◆文化財 方丈正面に掛る「瑞峯院」の扁額と普応塔の「普応」は、いずれも105代・後奈良天皇(1497-1557)の宸筆による。
 1587年の怡雲宗悦賛「大友義鎮画像」。
 方丈襖絵に、日本画家・野添平米(?-1980)により描かれた朝鮮の金剛山(33間)がある。
◆大徳寺納豆・文学 大徳寺唐納豆は、当寺で作っているという。いわゆる「トウチ(豆+支)」であり、煮た大豆に麹菌をまぶして塩水で発酵させる。天日干し、壷での熟成を経て完成する。完成には約1カ月半かかるという。
 室生犀星(1889-1962)は、大徳寺を訪れた際に、この納豆を口にした。「塩気が煮しめられてちょっとからすみのような味いであった。酒の肴によいというと方丈は笑って、あるいは結構かも知れまへんと言った。」(『京洛日記』)
◆椿 「加茂本阿弥」がある。
◆墓 大友宗麟夫妻の墓がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『古寺巡礼 京都 17 大徳寺』『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』『紫野大徳寺の歴史と文化』『京都・紫野大徳寺僧の略歴』『京都・山城寺院神社大事典』『京都 名庭を歩く』『古都歩きの愉しみ』 『重森三玲-永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』『推賞 日本の名園 京都・中国編』『重森三玲 庭園の全貌』『京のキリシタン史跡を巡る 風は都から』『茶の宇宙 茶の心』『京都 四季の庭園』『文学散歩 作家が歩いた京の道』『京の寺 不思議見聞録』『京都の寺社505を歩く 下』『京都大事典』『京都 神社と寺院の森』『週刊 仏教新発見  28 大徳寺 妙心寺』


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庫裏玄関

唐門

唐門

唐門

唐門、檜皮葺

井戸

梵鐘

方丈

方丈「瑞峯院」扁額

独坐庭、右の蓬莱山、それに連なる半島に砂の荒波が押し寄せ、それに耐えて独坐する山姿を表すという。

独坐庭、蓬莱山の石組

独坐庭、西の入り海、東とは対照的に穏やかな景色を表すという。

独坐庭、砂紋の高さは10㎝ある。砂紋の引き直しは週に一回、また雨後の早朝に行われている。40分かかり、金属の熊手を使うという。

茶室「餘慶(よけい)庵」

「餘慶庵」露地、四方仏蹲踞


「餘慶庵」露地の飛石


茶室「安藤軒」

方丈北の「閑眠庭」

閑眠庭の十字架と呼応している東の坪庭のキリシタン燈籠(織部燈籠)

東の坪庭

東の坪庭、蹲踞、キリシタン燈籠

大徳寺唐納豆、当寺で作っているという。いわゆるトウチ(豆+支)で、煮た大豆に麹菌をまぶし塩水で発酵、天日干し、壷での熟成を経て完成する。約1カ月半かかるという。

門前の石畳参道
 瑞峯院 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺山内  075-491-1454  9:00-17:00
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