妙喜庵 (妙喜禅庵・待庵) (大山崎町)
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妙喜庵 妙喜庵 
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正門


「妙喜庵」扁額、室町時代、東福寺南宗流開祖筆という。




書院


「妙喜庵」、説明板より

 妙喜庵(みょうきあん)は、JR大山崎駅前東にあり、妙喜禅庵とも称する。山号を豊興山(ほうこうざん)という。 
 茶室「待庵(たいあん)」(国宝)で知られている。現存最古、千利休が唯一残した茶室遺構とされる。
 臨済宗東福寺派、本尊は聖観世音菩薩を安置する。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 南北朝時代、1357年、現在地の西にあった、東福寺荘厳院派の友山士偲(ゆうざん しさい)が創建した、正続山地蔵寺の末庵として創建されたともいう。妙喜庵のほか、円通庵、金蔵寺景陽庵、正法庵など尼寺を含む8カ寺の末寺があった。 
 室町時代、明応年間(1492-1501)、文明年間(1469-1487)とも、開山は東福寺32世・春嶽士芳による。東福寺・荘厳院(しょうごんいん)末寺になる。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧宋杲(1089-1163)禅師の庵号による。
 1524年以後、連歌師・山崎宗鑑の山崎の屋敷にあった草庵「對月庵」を、地蔵寺の住持・春獄禅師に譲る。春獄は、對月庵を妙喜庵に改めたともいう。地蔵寺末の禅寺になったという。異説がある。
 1581年、3世・功叔士紡(しゅんがく しほう)は、道是(生没年不詳)、津田宗及(?-1591)を招き茶会を開く。
 安土・桃山時代、1582年、山崎の合戦で、豊臣秀吉は1年ほど山崎に陣を敷いた。合戦後、秀吉は山崎に屋敷を建て半年ほど滞在したという。その際に当庵は秀吉の接待所になる。秀吉は千利休に、2畳隅炉の茶室(待庵)を造らせた。利休、津田宗及、今井宗久(1520-1593)、山上宗二(1544-1590)ら堺の茶人・豪商を招き茶会も催される。功叔士紡が茶を点じたという。
 1583年、利休、宗及、宗久、宗二、重宗甫(生没年不詳)、万代屋宗安(生没年不詳)らを招き茶会が開かれている。
 江戸時代、一時、地蔵寺の塔頭になる。
 1606年以前、茶室「待庵」が現在地に移築されたとみられている。
 1788年、御朱印高44石、離宮八幡宮社領内に4石6斗4升2合を得ていた。(「東福寺末寺帳」)
 1864年、元治の大火は焼失を免れる。
 江戸時代末、地蔵寺は衰微し、廃絶したという。妙喜庵は残る。
 近代、東海道本線の敷設にともない、寺域が縮小された。
◆友山士偲 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・友山士偲(ゆうざん しさい、1301-1370)。山城生まれ。南山士雲に学ぶ。1328年、元に渡り、月江正印、南楚師説に参禅した。後に甲斐・浄居寺、東福寺住持。1357年、正続山地蔵寺を創建したともいう。著作に「友山録」がある。
◆春嶽士芳 鎌倉時代の僧・春嶽士芳(しゅんがく しほう、生没年不詳)。詳細不明。東福寺開創・聖一国師(円爾、1202-1280)の法嗣、東福寺32世。
◆山崎宗鑑 室町時代後期の俳人・連歌師・山崎宗鑑(やまざき そうかん、1460頃?/1465‐1540頃/1538/1541/1553?)。詳細は不明。支那範重、範永(範長)。近江生まれ。源氏佐々木氏の出自で、将軍・足利義尚(義輝とも)に出仕、1488年、能勢頼則興行の連歌会に宗祗らと参加し知られる。1489年、義尚が佐々木高頼との合戦に敗れた後、剃髪し入道になる。一休宗純に参禅し弟子になる。尼崎に隠棲、薪、讃岐・観音寺などに住したともいう。1502年、山崎宗鑑と署名し始め、この頃より山崎に移り「冷泉庵(對月庵、妙喜庵とも)」を結び隠棲したという。離宮八幡宮の連歌講とも関り、社頭での月例会の上下連歌会指導、庵での霊泉連歌講を主催した。連歌師・宗長とも酬恩庵で俳諧に興じた。俳諧の付合を収集した『新撰犬筑波集』を編む。身近な題材と卑俗語を用いている。能書家で宗鑑流と称された。1530年以後、山崎を去ったともいう。尼崎に移ったともいう。東福寺の梅谷が住持になった讃岐・観音寺・興昌寺内の「一夜庵」で没したともいう。
 油売りをしたともいう。妙喜庵は、宗鑑の屋敷(對月庵)を1524年以後、寺に改めたともいう。異説もある。宗鑑旧居跡(宗鑑井戸)(島本町山崎)とされるものがある。また、「明月堂」も宗鑑の旧居ともいう。なお、宗鑑の油筒を模し、花入れとした「油筒の花入れ」が伝わる。
◆功叔士紡 室町時代-安土・桃山時代の僧で茶人・功叔士紡(こうしゅく しぼう、?-1594)。茶の湯を千利休に学ぶ。妙喜庵の3世住持。利休は度々妙喜庵を訪れ滞在したという。豊臣秀吉より寺領40石を与えられた。法名は士紡。
◆千利休 室町時代-安土・桃山時代の茶人・千利休(せん の りきゅう/せん りきゅう、1522/1521-1591)。堺の魚問屋田中与兵衛の子に生まれた。書院台子の茶を北向道陳に学ぶ。1540年頃、10歳代で武野紹鴎に茶の湯を学ぶ。21歳で家督を継ぎ、結婚した。1544年、初の茶会記録が残る。1574年、織田信長の茶頭の一人になる。先妻没後、1578年、堺の宗恩(そうおん)と再婚する。1582年、本能寺の変後、豊臣秀吉の茶頭になり側近政治に関与する。1586年、秀吉の関白就任御礼の禁中献茶に、秀吉の後見として茶を点てた。第106代・正親町天皇より「利休」の号を賜る。1587年、北野大茶湯にも演出に関わる。1589年、大徳寺山門の二層部分を寄進した。住持により利休の木像が安置された。1590年、秀吉の小田原攻略に従軍する。小田原より古田織部に自作の竹花入、書状を送る。1591年、大徳寺山門事件の責任をとり、堺に蟄居になる。その後、秀吉に京都へ呼び出され、切腹を命じられた。京都葭屋(よしや)町聚楽の屋敷内で茶を点てた後に自刃した。妻・宗恩がその遺骸に白い小袖をかけたという。
 村田珠光以来の侘び茶を大成し、茶会の形式、点前作法、茶道具、茶室露地、懐石などに創意を凝らした。茶の湯の典型を示した。利休は、当院開山・笑嶺の弟子のひとりであり、参禅し壇越になった。笑嶺が堺の南宗寺から移り、聚光院を開いた際には、多額の寄付をしている。墓所は聚光院にある。
◆本尊 本尊「聖観世音菩薩」は書院(本堂)仏間正面に安置されている。左に「千利休像」を安置している。
◆建築 ◈「書院」(重文)は、室町時代末期、文明年間(1469-1487)に、妙心寺の霊雲院書院を模して春嶽により建てられた。山崎宗鑑の旧居ともいう。広縁が付き、梁、長押の材が細いのが特徴になる。6畳、10畳がある。方柱舟肘木、襖絵は狩野永徳筆による。書院造、2間3間、一重、切妻造、杮葺。
 ◈書院「明月堂(めいげつどう)」は、待庵東にある。安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)に建てられたという。現在のものは、昭和期(1926-1989)初めに再建された。月が昇るのを愛でる茶室という。山崎宗鑑の旧居ともいう。
◆茶室 二畳敷の茶室「待庵」(国宝)は、書院南に接して建つ。現存する「国宝三茶室」(犬山の如庵、大徳寺の密庵)の一つに数えられる。日本最古の茶室であり、千利休作の可能性がある唯一の現存茶室になる。
 安土・桃山時代、1582年頃、秀吉は利休に命じ 天王山頂上の山崎城内に「待庵」を建てさせたという。利休は急遽、二畳の茶室を造り、秀吉のために茶を点じた。その後、慶長年間(1596-1615)に、茶室は妙喜庵に移された。また、陣中で解体され、1606年以前に現在地に移築したともいう。また、庵は当初から現在地に建てられたともいう。現在地近くにあったという利休の屋敷から移されたともいう。
 当時、2畳の茶室は前例のない狭さであり、4畳半ですら一般的ではなかったという。利休は2畳を「直心の交」として試作し、後に拡張した4畳半を確立したとの説もある。
 前面(南)に深い土間庇があり、大きい躙口(2尺6寸×2尺3寸6分、78.8cm×71.5cm)が設けられた小間の茶室の初例、数奇屋建築の原型とされる。二畳隅炉(すみろ)に次の間(1畳)、間に太鼓襖、西に勝手の間(1畳、幅8寸5厘の板)がある。柱は北山杉の丸太、勾配を付けた掛込み天井と棹縁天井、壁の入隅より天井までの塗り廻しの室床(4尺、1.2m)、低い床天井、框の丸太は大きな節が見付けに3つある。壁に接して炉(1尺3寸4分、40.6cm)を切る。天井は化粧屋根裏を組み入れし3つに分ける。東と南に大きさの違う竹骨の連子窓、下地窓が開く。壁の下地は淀川の葦を使った。黒ずんだ壁は赤粘土に藁すさを表面に出して塗ってあり、床の中まで入る。切妻造の前の土間庇は北の書院に繋がる。切妻造、杮葺。
◆庭 露地がある。飛石で躙口に達する。
 書院を降りた露路奥に、安土・桃山時代の武将で利休七哲の一人・芝山監物(生没年不詳)が寄進した「芝山の手水鉢」が据えられている。
◆松 茶室「待庵」東の書院「明月堂」前庭に、秀吉ゆかりという「袖摺(そですり)りの松」(2代目)の切株がある。利休が在した時に秀吉が訪れた。松に秀吉の衣の袖が触れ名付けられたという。
 その後枯死し、材より「老松の茶杓」が造られた。現在は3代目の松が植えられている。
◆文化財 千利休が3世・功叔士紡に宛てた書状10数通がある。
 書院広縁突き当りの杉戸表に、京狩野の狩野山雪(1590-1651)筆という松と鶴、裏に雪中古木と山鳥が二羽描かれていた。


*拝観は事前要予約。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都で建築に出会う』『京都・山城寺院神社大事典』『茶の宇宙 茶の心』『京都古社寺辞典』 『昭和京都名所図会 6 洛南』『週刊 京都を歩く 41 伏見・大山崎』『週刊 日本の美をめぐる 18 利休・織部と茶のしつらえ』『水無瀬神宮と周辺の史跡』『週刊 京都を歩く 37 紫野周辺』



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 妙喜庵  〒618-0071 乙訓郡大山崎町大山崎小字龍光56   075-956-0103
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