合槌稲荷明神(合槌稲荷神社) (京都市東山区) 
Aizuchi-inari-myojin Shrine
合槌稲荷明神 合槌稲荷明神
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 蹴上(けあげ)に向かう三条通北側に、刀鍛冶と関わり深いとされる小社、合槌稲荷明神(あいづち-いなりみょうじん)がある。火神稲荷になる。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、永延年間(987-989)、989年とも、この地に、刀匠・三条小鍛冶宗近(さんじょう-こかじ-むねちか/そうこん)が居を構えた。信仰した屋敷稲荷神の祠堂があったともいう。
◆三条小鍛冶宗近 平安時代中期の刀鍛冶・三条小鍛冶宗近(さんじょう-こかじ-むねちか/そうこん、? -1014)。橘平太仲宗。橘仲遠の子ともいう。東三条院の藤原兼家の番鍛冶だったともいう。人を討つことを謀り、薩摩三重野(みしげの)に流罪になる。刀工・正国の弟子になり鍛冶を学んだともいう。永延年間(987-989)/ 989年、赦され京都三条粟田口に住み、三条小鍛冶と呼称された。名工と謳われた。
 室町時代、謡曲「小鍛冶」では、刀の焼入れに伏見稲荷山の土を用いたという。その度に稲荷明神に祈願し、986年、第66代・一条天皇の即位に際して、剣「小狐丸」を製作した。話は浄瑠璃、歌舞伎にも採られた。
◆三条鍛冶 京都の金属関連の職業集団は、平安時代には七条に住んでいた。その後、三条、四条、粟田口に鍛冶が移り住む。
 粟田口には、鎌倉時代、刀工国家(くにいえ)を祖とする宗近三条派の粟田口派が住んでいた。粟田口派は、刀身に反りのない直刃(ちょくとう)の焼きを得意とした。平安時代中期以前から伝えられ、鎌倉時代にもてはやされた。
 平安時代-鎌倉時代、三条通付近には「三条鍛冶」と呼ばれる刀鍛冶集団もあった。三条鍛冶には、名工といわれた三条小鍛冶宗近、子・吉家、弟子・有国、その子・国水などがいる。
◆謡曲 謡曲「小鍛冶」には、一条院の勅命により、宗近が刀を鍛える話がある。稲荷神社の神使いの狐は若者に化身した。合槌(相槌)を打って名刀「小狐丸」を完成させる。
◆宗近旧跡 ◈宗近は、粟田口三条坊(東山区、粟田神社付近)に住んでいたという。粟田神社参道には、摂社・鍛冶社が祀られている。粟田口藤四郎吉光が勧請したといわれる。当社の所在地には、粟田口鍛冶町の町名が残る。
 ◈粟田神社東にある佛光寺本廟(東山区)境内に、宗近が刀を鋳る際に使ったという井水があったという。現在は、「三条小鍛冶宗近之古跡」の碑が立つ。(『拾遺都名所図会』)。
 ◈井水の場所は、知恩院(東山区)山門の傍(「小鍛冶の井」)だったともいう。(『都名所図会』)。鉄盤石(かなとこいし)もあったという。(『拾遺名所図会』)
 ◈現在の合槌稲荷明神付近に、三条小鍛冶宗近は居を構えていたともいう。境内に鍛冶場跡、鍛冶水もある。(『京町鑑』『山州名跡志』)
 ◈逢坂の関近くの「走井(はしり井)」も宗近が使った井水という。和菓子の「走井餅」(走井餅老舗、八幡市)も刀の形に由来している。
 ◈宗近は、伏見稲荷ではなく、蹴上付近の「稲荷山」の御百稲荷(東山区、現在の都ホテル内)に祈願し、神霊の相槌により剣を打ち上げたともいう。
 ◈花山神社(山科区)には、三条小鍛治宗近が花山稲荷の神徳により、名刀「小狐丸」を鍛えたという「稲荷塚」がある。
◆祇園祭  祇園祭・山鉾巡行の際に先頭を行く長刀鉾、鉾頭の長刀は、宗近が奉納したという。娘の疫病治癒を感謝して鍛造したとされる。太刀は、和泉小次郎親衡という人物が、一度手に入れ、身辺に異変が起きて返納したという。
◆年間行事 お火たき祭(粟田神社宮司が執り行う。)(11月17日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、『京都大事典』『日本地名大辞典 京都府 上』『お稲荷さんの起源と信仰のすべて 稲荷大神』『稲荷信仰と宗教民俗』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「コトバンク」


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二ノ富弁財天

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【参照】三条通の道標
合槌稲荷明神 〒605-0034 京都市東山区中之町(三条通)196   
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