佛光寺本廟 (京都市東山区) 
Bukkoji-hombyo Temple
佛光寺本廟 佛光寺本廟 
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山門唐門















 粟田口、三条通の南に面して佛光寺本廟(ぶっこうじ ほんびょう)がある。「東山別院」「東山廟所」ともいう。
 真宗佛光寺派の別院。 
◆歴史年表 鎌倉時代、1272年、東山鳥辺野より親鸞の遺骨を遷し、仏閣が建てられことに始まるという。
 江戸時代、元禄年間(1688-1703)、1695年とも、本山20世・尭庸(随如)が、この地の角倉屋敷を購入し、本山より廟堂を移したことに始まるともいう。(寺伝)
 1775年、本堂が建てられた。
◆親鸞 平安時代-鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。見真大師。京都の日野(伏見区)に長男として生まれた。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子の一人として連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)に伴い、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で90歳で亡くなったという。浄土真宗の祖。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
◆随如 江戸時代前期-中期の僧・随如(ずいにょ、1641-1721)。法名は尭庸(ぎょうよう)。諡は竜秀院。准秀(じゅんしゅう)の6男。真宗仏光寺派。左大臣二条光平の猶子になる。尭恕(ぎょうじょ)入道親王に従い得度した。随庸を嗣ぐ。仏光寺門跡。僧正。
◆三条小鍛冶宗近 平安時代中期の刀鍛冶・三条小鍛冶宗近(さんじょう こかじ むねちか、?-1014)。橘平太仲宗。橘仲遠の子ともいう。東三条院の藤原兼家の番鍛冶だったともいう。人を討つことを謀り、薩摩三重野(みしげの)に流罪になる。刀工・正国の弟子になり鍛冶を学んだともいう。永延年間(987-989)/989年、赦され京都三条粟田口に住み、三条小鍛冶と呼称された。名工と謳われた。
 室町時代、謡曲「小鍛冶」では、刀の焼入れに伏見稲荷山の土を用いたという。その度に稲荷明神に祈願し、986年、第66代・一条天皇の即位に際して、剣「小狐丸」を製作した。話は浄瑠璃、歌舞伎にも採られた。
◆7代・小川治兵衛
 近代の造園家・小川治兵衛(おがわ じへい、1860-1933)。源之助。山城国乙訓郡神足の庄屋・農家に生まれた。父は山本弥兵衛。1877年、江戸時代、宝暦年間(1751-1763)より続く岡崎の庭匠・小川家(「植治」「田芝屋」)の養子になる。6代に付く。遠州流を学ぶ。法然院・大定に薫陶を受けた。7代目治兵衛を継ぎ、通称は屋号「植治(うえじ)」と称した。天才的と謳われ山県有朋、西園寺公望らの後援を得た。今日の「植治流」造園技術を確立する。
 碧雲荘、無鄰庵、平安神宮神苑、清風荘、円山公園、京都国立博物館庭園、対龍山荘庭園など100あまりの庭園を手掛け、「植治の庭」と呼ばれた。京都御所、修学院離宮、桂離宮などの復元修景にも関わる。
 辞世は、「京都を昔ながらの山紫水明の都にかへさねばならぬ」だった。墓は佛光寺本廟(東山区)にある。
◆仏像 本堂に本尊「阿弥陀如来像」を安置している。
◆建築 ◈「山門(唐門)」は、近代、明治期(1868-1912)中期に建立された。
 ◈「本堂」は、江戸時代、1775年に建立された。
 
◈「御廟屋(おたまや、廟堂)」には、親鸞の遺骨が安置されている。舎利塔に肉付歯を納めている。
 ◈「光壽堂(納骨堂)」は、新しく建てられた。墓も約3000基ある。
◆文化財 本堂内陣天井に江戸時代の石田守善(遊汀、?-1793)筆「四季百花百草の図」、襖に江戸時代の狩野永常(1731-1787)筆「松・孔雀・芭蕉・麒麟図」を描く。
◆井戸跡 境内には「三条小鍛冶宗近之古跡」がある。刀鍛冶・三条小鍛冶が刀剣を鋳るときに用いた井水跡があったという。(『拾遺都名所図会』)
◆墓 小川治兵衛、その一族の墓がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都の寺社505を歩く 上』『日本の名僧』『京都の自然ふしぎ見聞録』 『山科事典』 、ウェブサイト「コトバンク」


合槌稲荷明神      佛光寺        

御廟屋

御廟屋

御廟屋

三条小鍛冶宗近之古跡の碑、粘板岩
佛光寺本廟 〒605-0051 京都市東山区粟田口鍛冶町14  075-561-2100
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