熊野若王子神社 (京都市左京区) 
Kumano-nyakuoji-jinja Shrine
熊野若王子神社 熊野若王子神社
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本殿


本殿


本殿








末社・恵比須社(夷川恵比須社)
 哲学の道を東へ上った東山若王子山(にゃくおうじ)の西麓に、熊野若王子神社(くまの にゃくおうじ じんじゃ)がある。「若王子神社」とも呼ばれた。かつては永観堂に隣接し、鎮守社として「禅林寺新熊野社」とも称された。古く、熊野詣の際には、当社を始発地としていた。 
 祭神は、国常立神(くにとこたちのみこと)、伊佐那岐神(いざなぎのみこと)、伊佐那美神(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)。末社は恵比須神社、三解社、山神社、滝宮社が祀られている。
 京都十六社朱印めぐりの一つ。若王子の鎮守社で、京都三熊野(みくまの、ほかに熊野神社、今熊野神社)の一つに数えられる。
 学業成就、商売繁盛の信仰がある。授与品は梛守(ナギの葉が入ったお守りは、悩み、災いをなぎ倒す、なぎ祓う)、交通御札、子供御守
◆歴史年表 平安時代、1160年、後白河上皇(第77代)により、紀州熊野三所権現を勧請して創祀された。(社伝)。那智分社とされた。真紹が禅林寺(永観堂)を創建し、その守護神とし祈願所とされたともいう。神仏習合により若王子とも呼ばれた。
 鎌倉時代、武家の信仰を集める。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147-1199)が寄進する。頼朝は『般若心経』を奉納した。(「若王子神社文書」)
 13世紀(1201-1300)後半、第90代・亀山天皇(在位1260-1274)が、東山に離宮禅林寺を造営した。当社を鎮守社とし、禅林寺新熊野社と称したともいう。
 室町時代、室町幕府初代将軍・足利尊氏(1305-1358)、3代将軍・足利義満(1358-1408)の寄進が相次ぐ。(「若王子神社文書」)
 1465年、花見の名所としても知られ、足利尊氏、足利義政が花見の宴を催した。(『応仁記』)
 応仁・文明の乱(1467-1477)で社殿は荒廃する。
 安土・桃山時代、1582年、羽柴(豊臣)秀吉は山城吉祥院の寄進を受ける。(「若王子神社文書」) 。若王寺僧正澄存が再興する。
 1585年、山城国西院、岩倉長谷が寄進される。澄存が再興する。
 江戸時代、聖護院門跡院家として、「正東山若王子乗々院」と号した。寺領75石を得る。(「京都御役所向大概覚書」)。熊野詣の始発地のため、具足商人の崇敬を得る。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、聖護院より離れた。この頃、鎮守社・槇本稲荷神社は豊国神社に遷された。
 1871年、地仏堂に安置されていた薬師如来坐像は、奈良国立博物館に遷される。
 近代以降、南面して4社殿(本宮、新宮、那智、若宮)があり修築される。
 現代、1978年、1979年とも、一社相殿に改築される。
◆後白河天皇
 平安時代後期の第77代・後白河天皇(ごしらかわ てんのう、1127-1192)。第74代・鳥羽天皇の第4皇子。1155年、異母弟の第76代・近衛天皇の死により即位する。だが、1158年、譲位し、第78代・二条より六条、高倉、安徳、第82代・後鳥羽天皇の5代、平清盛の中断を挟んで30年に渡り院政をしく。1156年、保元の乱、1159年、平治の乱後、源平対立の中で王力を維持した。1169年、出家した。法然に帰依したという。
◆澄存 江戸時代前期の僧・澄存(ちょうぞん、?-1652)。若王寺僧正。駿河の生まれ。今川氏真(うじざね)の子。天台宗若王子乗々院の院主。熊野三山奉行などを務めた。号は勝仙院、徳本院。
◆荒尾精
 近代の軍人・荒尾精(あらお せい、1859-1896)。尾張藩藩士・荒尾義済の長男。1868年、東京の外国語学校に学ぶ。中退し、教導団を経て、1882年、陸軍士官学校卒業。歩兵第13連隊(熊本)、参謀本部を経て、1886年、陸軍参謀本部より清国に派遣された。上海の岸田吟香と親交し、中国各地の調査を行う。1990年、上海に教育者・陸軍軍人・根津一(ねづ はじめ)とともに、日清貿易研究所(東亜同文書院の前身)を設立し、日本人教育にあたる。1894-1895年、日清戦争で通訳・諜報活動に従事させた。1896年、日清戦争後、紳商協会創立のため、台湾・南清視察途上に病死した。号は東方斎(とうほうさい)という。
 当社の鳥居前に東方斎碑、門下生の碑が立つ。
◆若王子
 若王子の社号は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称、「若一王子(にゃくいち おうじ)」に因む。禅林寺の鎮守社とされ、「禅林寺新熊野神社」、神仏習合期に「若王寺」とも記された。
◆神像・仏像 末社・恵比須社(夷川恵比須社)は、開運商売繁盛の信仰がある。かつて夷川通(小川通夷川東入ル付近)にあり、夷(夷子)社と称した。中世に、若生子神社境内に遷された。祭神の「恵比須神像」は、室町時代作の木造、寄木造の坐像であり、等身大で知られている。
 
近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、地仏堂が破却され、現在は宝形だけが残されている。1871年、安置されていた「薬師如来坐像」は奈良国立博物館に遷された。
◆建築 かつて境内に「地仏堂」があった。近代以降に破却され、現在は宝形だけが残されている。
◆自然 社の東の山には瀑布などがある。納涼、紅葉の名所になる。
◆樹木 境内の大杉は、熊野より移されたという。樹高32m。
 石橋の両側にナギの大木がある。江戸時代、1650年に吉良家より寄進されたという。樹齢400年という。京都府内でもっとも古い。ナギは罪や汚れを祓い清める、苦難もナギ祓うとされている。古来より熊野三山詣、伊勢神宮参詣の際に、禊の木として用いられた。
 桜は境内に80本ほど植えられている。
◆東方斎碑 鳥居前左手に追悼碑「東方斎碑(とうほうさいひ)」が立つ。政治家・公家・近衛篤麿(1863-1904)が、荒尾精(東方斎)の寓居跡近くに立てた。近衛は、1898年に東亜同文会を組織した。現在、碑は、東亜同文会の後身、霞山会が維持管理している。
 南に隣接して門下生9人の碑も立つ。
◆若王子山 当社と直接の関係はないが、境内脇より登る若王子山には、同志社大学の前身、同志社英学校の創立者・新島襄(1843-1890)などクリスチャン関係者の墓も数多い。
◆琵琶湖疏水 境内の西に琵琶湖疏水、その流れに沿って哲学の道が南より北に続く。南禅寺の水路閣よりの流れは、トンネルを経て若王子で地表に姿を見せる。当初、若王子付近は、疏水の水を利用した水車群の予定地になっていた。
◆京都十六社朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)は、1976年に始まり当初は14社だった。古社16社を巡拝し、各社より朱印を授かる。すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという。専用の朱印帳で期間中に全てのご朱印を受けると干支置物が授けられる。
◆年間行事  元旦祭(1月1日)、初詣(甘酒接待)(1月1日-3日)、初詣(1月1日-15日)、京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)、初恵比須祭(1月10日)、焼納祭(1月15日)、節分祭(2月3日)、桜花祭(詩吟奉納。)(4月第1日曜日か第2日曜日)、例大祭(7月10日)、七五三詣(11月15日)、終恵比須祭(11月20日)、大祓祭・除夜祭(12月31日)。


*年間行事の中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『続・京都史跡事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都大事典』『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』『稲荷信仰と宗教民俗』『京都の地名検証 3』『新日本ガイド14 京都』『京都の寺社505を歩く 上』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京の福神めぐり』『京都 神社と寺院の森』


  琵琶湖疏水      哲学の道      大豊神社       法然院      同志社墓地・若王子山       聖護院       新熊野神社       熊野神社       

手水舎

金剛地蔵菩薩

宝形、近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、地仏堂が破却され、宝形だけが残された。1871年安置されていた薬師如来坐像は奈良国立博物館に遷される。
名に高き滝の白糸さればこそ花のにしきをおりいだしけれ 千種有功(ちぐさ ありこと、1797-1854)。江戸時代後期の公卿、歌人。正三位、左近衛権中将。香川景樹、賀茂季鷹らと交流した。号は鶯蛙園。歌集に「和漢草(わかくさ)」など。 江戸時代、1656年、吉良家から寄進されたという石橋、鳥居の前に架かる。

イヌマキ科のナギの神木

天照神力五大力王、天照神力弁財天

白蜈蚣大神、融通大神、早馬大神、火伏大神、弁天姫の命、大山稲荷大明神、吉天白龍大神、大山祇大神

天龍白蛇弁財天

天龍白蛇弁財天

天龍白蛇弁財天

天龍白蛇弁財天

天龍白蛇弁財天


本間龍神

本間龍神

本間龍神

本間龍神

瀧宮神社

瀧宮神社

瀧宮神社

瀧宮神社

千手滝不動尊

千手滝不動尊

福寿稲荷大神

福寿稲荷大神

福寿稲荷大神

地蔵尊

不動尊

不動尊

不動尊の台座の角柱の自然石

不動尊

千手滝

桜花苑

桜花苑

【参照】鳥居前の「東方斎碑(とうほうさいひ)」、荒尾精(東方斎)の寓居跡

【参照】鳥居前、荒尾精(東方斎)の門下生9人の碑
 熊野若王子神社 〒606-8444  京都市左京区若王子町2  075-771-7420 
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