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大豊神社・円成寺跡 (京都市左京区) Otoyo-jinja Shrine |
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大豊神社・円成寺跡 | 大豊神社・円成寺跡 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 手水、椿ヶ峰から流れ下る清水 ![]() ![]() ![]() 拝殿 ![]() ![]() ![]() 本殿 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
大豊神社(おおとよ-じんじゃ)は、哲学の道(琵琶湖疏水分流)を東へ上がった大文字山、椿ヶ峰西麓にある。神の使いである狛子(こまね)・鼠の社として知られている。
鹿ヶ谷、南禅寺一帯の産土神であり、東山三十六峰の椿ヶ峰をご神体にした。椿ヶ峰天神、大宝(おおたから)明神と称され、藤原淑子の円成寺の鎮守社だったともいう。旧村社。 祭神は、医薬祖神の少彦名命(すくなひこなのみこと)、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る。 治病健康、福徳長寿、縁結び、安産祈願、学業成就などの信仰を集めている。 ◆歴史年表 平安時代、887年、第59代・宇多天皇の病気平癒祈願のために、藤原淑子の命により創祀された。医薬祖神の少彦名命を、現在地の背後にある椿ヶ峰山中に祀ったという。当初は「椿ヶ峰天神」と呼ばれる。(社伝)。淑子が発願した円城寺(円成寺)の鎮守社だった。「大宝明神」とも呼ばれ、社域は広大で公家の崇敬を集めた。 寛仁年間(1017-1021)、山麓の現在地に遷された。(社伝) 鎌倉時代-南北朝時代、建武の乱(1331-1336)により焼失した。 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)後に衰微する。 現代、1954年、京都市の名勝地に指定された。 1969年、境内末社・大国社が創建される。 ◆藤原淑子 平安時代前期-中期の女官・藤原淑子(ふじわら-の-しゅくし/よしこ、838-906)。権中納言・藤原長良(ながら)の子、母は難波淵子ともいう。摂政関白・基経の異母妹。884年、尚侍に任命される。860年頃、従五位上に叙せられ宮廷に出仕した。甥の第57代・陽成天皇の時、従三位に叙せられ、典侍(ないしのすけ)、尚侍(ないしのかみ)に進む。後に28歳年上の右大臣・藤原氏宗の後妻になる。35歳で夫没後、後宮で采配を振るう。第58代・光孝天皇皇子・源定省(後の第59代・宇多天皇)を猶子にした。887年、従一位に叙せられる。僧・益信を尊崇し、晩年、亡夫の東山椿ヶ峯の山荘を寄進し円成寺(円城寺)を建立した。69歳。 兄基経と連携し第56代・清和、第57代・陽成、第58代・光孝、第59代・宇多、第60代・醍醐天皇の後宮を指揮し、藤原北家の勢力を確立する。 ◆狛鼠・狛鳶・狛狐・狛猿 ◈境内末社・大国社(だいこくしゃ)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る。 狛犬の代わりに「狛鼠」が祀られている。素戔嗚尊から与えられた試練により、大国主命が野火に囲まれた際に、鼠が案内して窮地から救ったという神話に因む。(『古事記』)。1969年に立てられた。 巻物を抱えた左の「狛鼠」は学問成就、水の器(水玉、酒器)を抱えた右の「狛鼠」は、豊作、薬効、安産、健康回復などを意味している。いずれも花崗岩製。 ◈愛宕社には、愛宕山を空から守る天狗(鳶)に因み「狛鳶」がある。1972年に奉納された。全国的にも珍しいという。花崗岩製。 ◈稲荷社は、稲荷神の使いの狐に因み「狛狐」、日吉社は比叡山延暦寺の守護神であり、山を守る猿に因み、「狛猿」がそれぞれ守護する。いずれも花崗岩製。 ◆円成寺跡 平安時代前期の公卿・藤原氏宗(ふじわらの-うじむね、?-872)は、晩年を山荘「東山白河第」に過ごした。現在の鹿ヶ谷、大豊神社の地(境内の西)になるという。 氏宗没後、889年、妻・淑子は病に苦しみ、第59代・宇多天皇の師僧・益信僧正(やくしん、827-906)の祈祷により平癒した。このため、淑子の発願により山荘を寺に改め円成寺(円城寺、えんじょうじ)とした。益信を別当とし、889年に定額寺になる。益信は円城寺僧正と称された。 後に、宇多上皇皇子・斉世(ときよ)親王(真寂、886-927)が入寺し、円城寺宮と称する。以後、明信法親王、頼助法親王、頼舜法親王、藤原氏の相次ぐ入寺により、仁和寺院家になった。室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により被災し、その後は衰微する。寺籍は大和・忍辱山(にんにくせん)に移され廃寺になった。 現在、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に言宗御室派の円成寺がある。 ◆樹木・花暦 京都市の名勝地(1954)指定された。境内には、32本の椿が植えられ、名所としても知られている。枝垂れ紅梅、紫陽花、山野花なども植えられている。 ご神木のスギがある。タラヨウ、オガタマノキがある。 かつて本殿近くにモミの巨木のご神木があった。樹齢400年あまりで枯死した。 ◆年間行事 例祭(神輿渡御)(10月19日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『京都の地名検証 3』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都のご利益めぐり』、『京のご利益めぐり』、『京都の自然ふしぎ見聞録』、『京都 神社と寺院の森』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 本殿 |
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![]() 大国社 |
![]() 大国社 |
![]() 大国社の左に鎮座する水の器(水玉、酒器)を抱えた吽形の狛鼠 |
![]() 大国社の右にある巻物を抱えた阿形の狛鼠 |
![]() 日吉社(右)と愛宕社 |
![]() 日吉社 |
![]() 愛宕社 |
![]() 猿 |
![]() 鳶 |
![]() 蛇 |
![]() ![]() 稲荷社 |
![]() 稲荷社、狛狐 |
![]() ツバキ |
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