後鳥羽天皇 大原陵・法華堂 (京都市左京区大原)
Imperial mausoleums of Empero Gotoba
後鳥羽天皇 大原陵・法華堂 後鳥羽天皇 大原陵・法華堂 
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大原陵












「後鳥羽天皇 大原陵」の石標






十三重塔












法華堂


法華堂


法華堂


法華堂


法華堂
 大原勝林院町の木尾(きお)山の西南麓に、大原陵(おおはら の みささぎ)がある。
 鎌倉時代に承久の変で隠岐に流された第82代・後鳥羽天皇、佐渡に流された第84代・順徳天皇の父子が葬られている。十三重塔が立つ。冥福を祈念して建てられた法華堂が建つ。 
◆歴史年表 鎌倉時代、1239年、2月22日、後鳥羽上皇は隠岐(島根県)で亡くなる。2月25日、配所の隠岐・苅田山中で火葬された。5月16日、遺骨は、遺詔により侍臣が京都に遷し大原陵に埋葬される。(『増鏡』)。遺骨は勝林院に安置された。西林寺ともいう。
 1240年、上皇皇子・尊快入道親王、母・修明門院は、摂津・水無瀬離宮(大阪府島本町)の建物を移し、勝林寺近くに法華堂を建てたという。後鳥羽天皇の冥福を祈念した。当初は、天皇陵域内にあった。
 1241年、法華堂が落慶し納骨された。また、5月、大原に遺骨が遷されたともいう。(『百錬抄』)
 1243年、5月13日、佐渡で亡くなった順徳天皇の遺骨が法華堂に納められた。
 室町時代、1471年、2月11日、第102代・後花園天皇の分骨が大原法華堂に納められたともいう。分骨塔が堂前に立てられる。その後、荒廃し、所在不明になる。
 江戸時代、法華堂は類焼した。
 1662年、5月、十三重塔が地震により倒壊した。
 元禄年間(1688-1704)、幕府の探陵により、勝林院の塔頭・実光坊の後園にあった十三重塔を後鳥羽天皇の陵とした。
 1696年、9月、十三重塔が復旧された。
 1697年-1699年、元禄の修陵で、勝林院の十三重塔が後鳥羽天皇陵にされたともいう。
 1778年、安永年間(1764-1780)とも、法華堂が再建された。
 1862年以降、文久の修陵 で後鳥羽天皇陵が大原法華堂とされ修補された。 
 1865年、大原法華堂と称された。
 近代、明治期(1868-1912)、神仏分離により法華堂が陵外の現在地に移されている。
 1889年、6月、石塔背後の高台は法華堂跡とされた。順徳天皇の陵になる。2陵はともに大原陵と呼ばれる。
◆後鳥羽天皇 平安時代-鎌倉時代前期の第82代・後鳥羽天皇(ごとば てんのう、1180-1239)。尊成 (たかひら) 。諡号は顕徳院、後に後鳥羽院。第80代・高倉天皇の第4皇子。母は准后七条院藤原殖子 (やすこ/しょくし、坊門信隆の娘) 。1183年、平氏は、第81代・安徳天皇(後鳥羽天皇の兄)、第2皇子・守貞(もりさだ)親王を伴い都落ちする。都には天皇不在になり、祖父・後白河法皇(第77代)の詔により、神器がないままに尊成親王が4歳で践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)した。一時、天皇が2人存在する事態になる。1184年、即位の式を挙げた。1190年、元服する。1192年、院政を敷いた後白河法皇の没後、4歳の後鳥羽天皇の親政になる。実権は関白・九条兼実、1196年、その失脚後は源(土御門)通親が握った。(建久七年の変)。1198年、幕府の反対を押し切り、皇子・為仁親王(第83代・土御門天皇)に譲位し院政を始める。以後、第84代・順徳天皇(土御門の弟)、第85代・仲恭天皇(順徳の子)と3天皇に23年に渡り院政を敷いた。1199年、上皇により九条良経が左大臣に任命され、九条家が復帰した。1202年、通親の没後は、強権的になる。1219年、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の暗殺後、幕府は後継将軍として上皇皇子を要請する。上皇は拒絶し、幕府からの政権奪取を目指し、畿内、近国の兵を集める。1221年、執権・北条義時追討の宣旨を出して挙兵し、承久の乱になる。幕府が上洛させた北条泰時らの大軍に上皇方は敗れる。鳥羽殿に幽閉され、出家し良然(金剛理とも)と称した。幕府は平氏に育てられ即位していない、兄・後高倉院に院政を執らせた。仲恭天皇は退位し、1221年、第86代・後堀河天皇(後高倉院の子)を即位させる。幕府は後鳥羽、土御門、順徳の3上皇を配流した。後鳥羽上皇は隠岐に流される。1235年、遷京の動きは幕府により拒否された。1239年、隠岐での18年の生活の後に同地苅田で没した。
 第83代・土御門天皇、第84代・順徳天皇、第85代・仲恭天皇の3天皇に院政を敷いた。西面の武士を新設する。白河に最勝四天王院を建て、水無瀬、鳥羽、宇治などに院御所を営んだ。1198年以来、熊野詣は28回に及ぶ。芸能(蹴鞠、琵琶、笛)、武技(流鏑馬、犬追物、相撲、水泳)、刀剣鍛造も行った。和歌にも長じ、1201年、和歌所を設ける。千五百番歌合は名高い。藤原定家らに『新古今和歌集』(1205)を勅撰させた。日記に『後鳥羽天皇宸記』がある。
 上皇の死の前後に、1234年、第85代・仲恭天皇、第86代・後堀川天皇、1240年、北条時房、1242年、北泰泰時らが相次いで亡くなる。無念の死を遂げた上皇の怨霊による仕業と怖れられた。上皇の当初の諡号は顕徳院であり、祟りを怖れ、後鳥羽院に改められた。
 火葬塚は、島根県隠岐郡海士町にある。1658年、松江藩主・松平直政が修理した。遺骨は大原陵(左京区)に葬られる。
◆尊快入道親王 鎌倉時代の尊快入道親王(そんかい にゅうどう しんのう、1204-1246)。第82代・後鳥羽天皇の皇子。1208年、親王。1214年、出家し、承円に師事した。1221年、天台座主になる。梶井門跡20世。和歌に優れた。
◆陵墓 陵墓内に十三重塔が立つ。塔については、後花園天皇の分骨塔ともいう。
 鎌倉時代、1239年2月22日、後鳥羽上皇は隠岐(島根県)で亡くなる。2月25日、配所の隠岐・苅田山中で火葬された。5月16日、遺骨は、遺詔により侍臣が京都に遷し大原陵に埋葬される。(『増鏡』)。遺骨は勝林院に安置された。西林寺に安置されたともいう。1240年、上皇皇子・尊快入道親王、母・修明門院は、摂津・水無瀬離宮(大阪府島本町)の建物を移し、勝林寺近くに法華堂を建てたという。後鳥羽天皇の冥福を祈念した。当初は、天皇陵域内にあった。1241年、法華堂が落慶し納骨された。また、5月、大原に遺骨が遷されたともいう。(『百錬抄』)
 室町時代、1471年、2月11日、第102代・後花園天皇(1419-1470)の遺骨の分骨が、大原法華堂に納められたともいう。現在の十三重塔がこれにあたるともいう。
 江戸時代、法華堂は類焼する。1662年5月、十三重塔が地震により倒壊した。塔内より舎利塔、如意輪観世音像、懸仏が出た。元禄年間(1688 -1704)、幕府の探陵により、勝林院の塔頭・実光坊の後園にあった十三重塔を後鳥羽天皇の陵とした。1696年9月、十三重塔が復旧され、出土した舎利塔などが再び納められる。1697年-1699年、元禄の修陵で、勝林院の十三重塔が後鳥羽天皇陵にされたともいう。1778年、安永年間(1764-1780)とも、法華堂が再建された。1862年以降、文久の修陵で後鳥羽天皇陵が大原法華堂とされ修補された。1865年、大原法華堂と称された。
 近代、明治期(1868-1912)、神仏分離により法華堂が陵外の現在地に移されている。後鳥羽天皇陵として、十三重塔が現在地の円墳陵墓内に遷された。1889年6月、石塔背後の高台は法華堂跡とされた。順徳天皇の陵になる。2陵はともに大原陵と呼ばれる。
◆法華堂 法華堂は、陵墓の北にある。
 鎌倉時代、1240年、上皇皇子・尊快入道親王により、後鳥羽天皇の冥福を祈念し法華堂が建立される。水無瀬離宮(大阪府島本町)の建物が移され法華堂が建てられたという。仏教建築の御堂、塔などを建立し地下に埋葬した堂塔式陵墓になる。当初は、天皇陵域内にあった。後鳥羽天皇とともに順徳天皇の遺骨が堂内に安置されていた。江戸時代、法華堂は類焼している。
 現在の建物は、江戸時代、1778年に建てられた。方3間、単層、四注造、杮葺。正面に向拝を付している。
 堂内に普賢菩薩、聖観音像を安置している。


【院政の推移】
〔平安時代〕 77 後白河天皇(在位:1155-1158)→78 二条天皇(在位:1158-1165、院政1)→79 六条天皇(在位:1165-1168、院政2)→80 高倉天皇(在位:1168-1180、院政3)→81 安徳天皇(在位:1180-1185、院政4)→〔鎌倉時代〕 82 後鳥羽天皇(在位:1183-1198、院政5)→83 土御門天皇(在位:1198-1210、院政1)→84 順徳天皇(在位:1210-1221、院政2)→85 仲恭天皇(在位:1221、院政3)→86 後堀河天皇(在位:1221-1232、院政1)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『歴代天皇年号事典』『京都市の地名』『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都府の歴史散歩 中』『都市歴史博覧』『水無瀬神宮と周辺の史跡』『古代史研究の最前線 天皇陵』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後鳥羽天皇 大原陵・法華堂 〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
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