乗願院 (京都市左京区北白川)
 Jogan-in Temple
乗願院 乗願院 
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本堂




本堂、蟇股


本堂




白幽子(1646-1709)揮毫の「南無阿弥陀仏」の名号。




霊芝観音









 乗願院(じょうがんいん)は、御蔭通の東端、滋賀街道(山中峠)の街道筋入口にある。近くには白川が流れている。山号は霊芝山という。
 浄土宗。
◆歴史年表 かつて、比叡山延暦寺の支坊のひとつだったという。
 室町時代、1571年、織田信長の比叡山焼討ちの際に焼失したという。
 江戸時代、1608年、信誉上人によって再興された。以後、照高院(後の北白川宮)の御霊所(みたましょ)となる。
 照高院4代・道寛法親王(1612-1678)により乗願寺山が寄進されるなど保護を受ける。
◆道寛法親王 江戸時代前期の道寛法親王(どうかん-ほうしんのう、1647-1676)。第108代・後水尾天皇の第13皇子。1652年に聖護院に入室する。1657年、親王宣下、1657年、得度し道寛と称し、聖護院門跡を相続する。1665年、二品に叙せられ、1668年、一身阿闍梨、1668年、護持僧(霊元)、園城寺長吏に任じられる。 30歳。
◆道光法親王 江戸時代前期の法親王・学僧の道光法親王(どうこう-ほっしんのう、1612-1678)。父は第107代・後陽成天皇。1621年、聖護院に入室し、1625年、落飾、1626年に親王宣下を受け、聖護院第28世門跡となった。1630年、二品に叙せられ、その後、園城寺長吏・天皇の護持僧となる。1658年頃、照高院に移り照高院門跡となり堂宇を復興した。茶道・書にも通じた。66歳。
◆智成親王 江戸時代後期-近代の法親王・僧の智成親王(さとなり-しんのう、1856-1872)。伏見宮邦家親王第13王子。1860年、第121代・孝明天皇の養子となり、聖護院門跡雄仁法親王(後の聖護院宮嘉言親王)附弟となる。1866年、親王宣下を受け、聖護院に入り、落飾し信仁入道親王を称した。1868年、照高院宮を称した。還俗、再び智成親王を称する。その後聖護院宮を継承した。1869年、三品に叙せられ、1870年、北白川宮に改称し、初代になる。16歳。
◆白幽子 江戸時代前期-中期の隠遁者・白幽子(はくゆうし、1646-1709)。名は慈俊、白幽子仙人、白川の仙人。石川丈山の弟子・石川克之(克)の弟という。自らも丈山の弟子に入り、1672年、丈山の臨終に際して死に水を取ったという。晩年、北白川瓜生山中、清沢口の岩窟に住み、常に金剛経を誦したという。1709年、没した。同年、白川の山中を出たともいう。64歳。
 書に秀で、天文、医道、仙術にも通じたという。伝承として数百年生きたという。
 1710年/宝永年間(1704-1711)、臨済宗中興の祖・白隠(白隠慧鶴)は、瓜生山の白幽子を訪ね、結核と神経症で心身困憊していたのを白幽子の内観の法、観想法の「軟酥(なんそ)の法」により快復させたという。
 白幽子の遺骸は吉田神楽岡中山で火葬され、乗願寺(北白川仕伏町)の神楽岡東墓地(吉田芝ノ墓地、吉田惣墓、田神楽岡町)に埋葬された。その後、墓は盗難に遭う。1943年、法輪寺(上京区)の後藤伊山住職が東京・青山墓地内に白幽子の墓石を見つけた。持ち帰り法輪寺境内に墓を移した。旧地神楽岡東墓地には、1903年に富岡鉄斎により再建された墓碑が残っている。
◆照高院 照高院は、豊臣秀吉の信厚かった天台僧・道証が妙法院(京都国立博物館付近)に開基し、方広寺を管理した。だが、1614年の方広寺鐘銘事件にともない廃された。1619年、第107代・後陽成天皇の弟・興意法親王(1576-1620)が、伏見城の建物を移し、北白川外山町付近に再建した。その後、聖護院門主の退隠所となる。雪輪御所とも呼ばれ、紋章に雪輪菊を用いた。
 近代、伏見宮邦家親王第13王子で最後の門主となった智成法親王(1856-1872)は還俗し、白川宮と称した。宮家の東京移転に伴い堂舎は壊された。廃絶後、道寛法親王らの位牌は当寺に遷された。
◆建築 本堂は、かつて上賀茂神社の神宮寺観音堂だった。近代、1869年に移築する。屏障具としての蔀形式があり、双葉葵紋の蛙股などが施される。江戸時代、寛永期(1624-1645)の建築様式の特徴があるという。
◆位牌 近代、照高院廃絶により、道晃法親王(北白川宮)らの位牌は、当院に安置されている。
白幽子 江戸時代初期の伝説的な人物・白幽子(はくゆうし、1646-1709)揮毫の「南無阿弥陀仏」の名号を刻印した石碑が立つ。
◆墓地 乗願寺山には、照高院の墓地があり、乗願院が管理している。
◆白川 白川は、川底に白川砂が堆積し、白く輝いたことから名づけられた。境内近く南東に白川砂流出対策用の沈砂池が設けられている。
 比叡山南麓、大文字山、如意ヶ岳の東山の谷を水源としている。北白川より南行し、岡崎で琵琶湖疏水と合流する。西行し、仁王門橋で疏水と分流、祇園白川を経て鴨川に合流する。全長は7.3km、流域面積12.5kmであり、一級河川(淀川水系3次支川)になっている。
◆北白川小学校 「北白川小学校開校の地」の碑が門前脇に立つ。近代、1874年、この地の東南20mの毘沙門堂で京都府愛宕郡白川小学校が開校した。生徒数は30人であり、その後、1877年に仕伏へ移転した。
 
 
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『知られざる京のミステリースポット 巻の一 洛東編』、『京都・山城寺院神社大事典』、『琵琶湖・淀川 里の川をめぐる 白川』 、ウェブサイト「コトバンク」


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【参照】「北白川小学校開校の地」の碑

【参照】白川
【参照】白川砂流出対策用の沈砂池

【参照】白川砂
乗願院 〒606-8283 京都市左京区北白川仕伏町83  075-781-5583  
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