照高院跡 (京都市左京区北白川)  
ruins of Shoko-in Temple
照高院跡 照高院跡
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照高院跡


照高院跡周辺、背後は大文字山


旧照高院の石垣遺構


【参照】地名に残る「雪輪」

【参照】現在の御殿橋


【参照】御殿橋


【参照】御殿橋の旧親柱「御殿橋」とある。


【参照】白川


【参照】萬世橋(北白川天神宮)にある雪輪菊の紋


【参照】近くの智成親王御墓


【参照】勝軍地蔵参道


【参照】「照高院宮址」碑


【参照】「事君不忠非孝也」の石碑


【参照】「石工共和組紀念碑」
 左京区北白川の住宅街に、照高院(しょうこういん)跡がある。江戸時代には、「白川御殿」、「雪輪御所」とも呼ばれた。
 丘陵地の旧地にいまは、薮の生い茂る空地が広がる。西方の白川には、「御殿橋」という石橋の親柱が一つ残されている。
 天台宗。
◆歴史年表 
安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、豊臣秀吉の信厚かった天台僧・道証が、当初は妙法院(現在の京都国立博物館付近)に照高院を創建した。所領は1万石あり、大仏、方広寺を管理していた。
 江戸時代、1614年、方広寺鐘銘事件に連座して、寺は廃された。
 1615年、寺領も没収になり、堂舎は破壊された。
 1619年、興意法親王は、幕府に再興を陳情して許される。洛東白川村の瓜生山下(白川村字宮山・字丸山、現在の左京区北白川外山町[とやまちょう] ・仕伏町・丸山町付近)に再興される。所領1000石が付与された。伏見城の二の丸松丸殿が移築される。紋章の雪輪菊を用いたことから、「照高院雪輪殿」、「雪輪御所」とも呼ばれた。
 その後、道周法親王(1613-1635)、道晃法親王(1612-1679)、道尊法親王(1676-1705)、忠誉法親王(1722-1788)の4法主法親王に引き継がれた。歴代法親王は天使大明神を守護神とした。聖護院門主の退隠所になる。
 1725年、霊元院(第112代、1654-1732)が照高院について記している。(『元陵御記』上巻)
 1770年、聖護院門跡の兼帯所になる。寺領、その他も聖護院門跡の支配下になる。以後、100年間は法主が置かれなかった。
 近代、伏見宮邦家親王王子・智成法親王(1856-1872)、兄の能久親王(1848-1895)が移り住み、「北白川の宮家」「北白川御殿」と呼ばれる。
 1868年、最後の門主・智成法親王は還俗し、白川宮と称した。
 1869年、東京遷都になる。
 1872年、智成親王が亡くなる。能久親王が引き継いだ。
 1875、寺院は廃絶する。宮家・能久親王の東京移住により、堂舎は取り壊された。道寛法親王らの位牌は乗願寺に遷された。
 1902年、現在地の北西(左京区北白川山ノ元町)に、「照高院宮址碑」が立てられた。
 1909年、現在地の北西(左京区北白川山ノ元町)に、三品智成親王書「事君不忠非孝也」の碑が立てられる。
 現代、昭和20年代(1945-1954)、まだ旧照高院の外郭、石垣、古池が残っていたという。
◆道澄 安土・桃山時代-江戸時代の皇族・天台宗の僧・道澄(どうちょう、1544-1608)。照高院、浄満寺宮。関白太政大臣・近衛稙家(たねいえ)の子。叔父・聖護院門跡道増に付いて得度した。聖護院門跡、園城寺長吏で熊野三山検校を兼任した。1560年、長尾景虎(上杉謙信)との約束により越後へ下向し、1561年、景虎の関東出兵に同行する。織田信長、豊臣秀吉の信を得て、1593年、方広寺住持になる。文禄年間(1592-1596)、山城・照高院を開く。1598年、園城寺の断絶危機に、領地4327石余りを与えて再興させた。大僧正、准三宮。和歌、連歌に秀でた。
◆興意法親王
 安土桃山時代-江戸時代前期の皇族・天台宗の僧・興意法親王(こうい ほうしんのう、1576-1620)。誠仁(さねひと)親王の第5王子、母は新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)。円満院を経て、1591年、聖護院へ入り、道勝と称した。1608年、興意と改名する。1610年、園城寺長吏、1613年、二品に叙せられる。1614年、方広寺大仏殿の棟札に、大工頭の名を入れず、江戸幕府の嫌疑により蟄居する。1616年、聖護院寺務、園城寺長吏を退いた。嫌疑が晴れ、1619年、幕府の寄進により白川に照高院を移し再建した。1620年、江戸へ下向、急死した。
◆道周法親王 江戸時代前期の皇族・天台宗の僧・道周法親王(どうしゅう ほうしんのう、1613-1635) 。幼称は足宮(たりのみや)。第107代・後陽成天皇の皇子、母は土佐局。1621年、白川・照高院(しょうこういん)に入る。1625年、出家した。1626年、親王になる。22歳。
◆道晃法親王 江戸時代前期の皇族・天台宗の僧・道晃法親王(どうこう ほうしんのう、1612-1679)。遍照寺宮。第107代・後陽成天皇の皇子、母は三位局。聖護院に入寺、道勝法親王に学ぶ。1626年、親王になる。園城寺長吏、三山検校、白川・照高院に移る。茶道、書画、和歌に秀でた。
◆道尊法親王 江戸時代中期の皇族・天台宗の僧・道尊法親王(どうそん ほうしんのう、1676-1705) 。第111代・後西天皇の第9皇子。白川・照高院に入る。
◆忠誉入道親王  江戸時代中期の皇族・天台宗の僧・忠誉入道親王(ちゅうよ にゅうどうしんのう、1722-1788) 。第114代・中御門天皇の第3皇子、母は典侍園常子。1732年、親王になる。1733年、聖護院で出家した。後に門跡になる。1738年、園城寺長吏、1788年、准三宮。白川・照高院に移る。北白川門跡・照高院二品。
◆智成法親王 江戸時代末期-明治時代初期の皇族・天台宗の僧・智成親王(さとなり ほうしんのう、1856-1872)。伏見宮邦家親王第9子、母は鷹司政煕の娘、生母は堀内信子。1860年、第121代・孝明天皇の養子になり、聖護院門跡雄仁法親王(後の聖護院宮嘉言親王)附弟になる。1866年、親王宣下を受け、聖護院に入り、落飾し信仁入道親王と称した。1868年、照高院宮を称した。還俗し、再び智成親王を称した。その後、聖護院宮を継承した。1869年、三品に叙せられる。1870年、所在地に因み北白川宮に改称し、初代になる。
 墓は照高院跡の北西近くにある。
◆能久親王  江戸時代後期-近代の皇族・軍人・能久親王(よしひさ しんのう、1847-1895) 。北伏見宮邦家親王の第9王子。青蓮院、梶井門跡を経て、1858年、親王宣下、得度し公現と称した。1867年、輪王寺門跡を相続した。1868年-1869年、戊辰戦争で幕府方に付き、謹慎の徳川慶喜の弁護解放に動く。彰義隊に擁され寛永寺に立て籠り、後に奥羽越列藩同盟に擁せられた。戦後、親王停止、謹慎になる。1869年、赦され伏見宮に復した。北白川宮第2代になる。1870年、軍事研究のためにドイツ留学、1877年、帰国、陸軍中佐、少中将に昇進した。1894年-1895年、日清戦争で近衛師団長として抗日兵鎮圧した。台湾の台南で病死した。陸軍大将に昇任し、国葬が行われた。
◆照高院 照高院について、江戸時代、1725年に霊元院(第112代、1654-1732)が訪れて記している。
 広い客殿があり、座敷の小壁天井格子には墨絵泥引で花などが描かれていた。書院の小間には、狩野探幽(1602 -1674)筆の白象が飾られていたという。広間2間の奥の間に、山水画があった。艮(北東)角には、方1間の上段が設えてあった。書院前には池泉の庭があり、東北に滝が落ちていた。(『元陵御記』上巻)
◆白川宮家 北白川宮(きたしらかわのみや)は、1870年に伏見宮邦家親王の第3王子・智成(ともなり)親王(1856-1872)が創始した。
 以後、2代・能久親王(1847-1895)、3代・成久王(1887-1923)、4代・永久王(1910-1940)が継承する。たが、2代-4代がいずれも客死しており「悲劇の宮家」と呼ばれた。
 1947年、5代・道久王(1937-2018)が皇籍離脱し、北白川姓になった。
◆遺跡 照高院の遺構は、ほとんどない。内部にかつて池が残されていたという。周辺にわずかに石垣の一部が残っている。
 ◈道寛法親王らの位牌は、乗願寺(左京区)に遷された。
 ◈照高院跡の北西、現在の御殿橋の袂に、白川に架けられていた旧石橋「御殿橋」の親柱が立てられている。
 ◈照高院跡の西近くにある北白川天神社の神輿、御旅所には「菊の御紋」が使われている。
 ◈「照高院宮址碑」は、近代、1902年に、照高院跡の北西(左京区北白川山ノ元町丸山)の勝軍地蔵跡近くに立てられている。
 三品智成親王書の「事君不忠非孝也」の碑も、1909年に同所(左京区北白川山ノ元町)に立てられた。
 いずれも、元照高院宮坊官で北白川宮旧臣・士族・近藤親正の建立による。なお、この地は照高院との関りがある。江戸時代、1759年、曹洞宗の禅圭は、この付近を照高院宮家より譲り受け、心性寺を創建した。忠誉入道親王は、かつて瓜生山山頂にあった勝軍地蔵をこの付近に遷し、地蔵堂に地蔵尊を安置している。
 ◈智成親王御墓は、照高院跡の北西近くにある。


*跡地に碑、案内板などは立てられていません。旧敷地内は現在は空き地になっており、中に入ることはできません。遺跡も残されていません。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 照高院宮址の碑文、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース、『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』、『宮家の時代』、ウェブサイト「コトバンク」


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