法輪寺 (達磨寺) (京都市上京区)
Hourin-ji Temple 
法輪寺 (達磨寺) 法輪寺 (達磨寺)
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山門




方丈


方丈


庭園


方丈の扁額「転法輪」は、月羅山和尚筆(琉球中山国円覚寺)


方丈


方丈、仏涅槃木像


衆生堂


衆生堂


衆生堂、達磨天井図、樋口文勝画、左上の賛「不倒」は、山田無文筆。


衆生堂、キネマ殿の日本映画関係者の数多くの位牌



衆生堂、英霊殿の第二次世界大戦の戦没者の位牌




達磨堂


達磨堂


達磨堂、達磨像


達磨堂、さまざまなダルマが祀られている。


鐘楼


 天神川(紙屋川)東畔にある法輪寺(ほうりんじ)は、「法輪禅寺」、「起上達磨寺」、「達磨寺(だるまでら)」ともいわれる。「法輪」の名は、「車輪が廻るように仏法を説いて止めてはならぬ。仏法を行じて絶えてはならぬ」の意味によるという。達磨堂には数多くのダルマが奉納されている。山号は大宝山という。
 臨済宗妙心寺派別格地。本尊は釈迦如来。 
 心願成就、厄除開運の達磨授与。
 京の通称寺霊場第11番、達磨寺。
◆歴史年表 江戸時代、1718年/1727年/1730年、大愚宗築(だいぐ-そうちく)を開山とし、万海慈源が創建したという。両替商・荒木光品宗禎居士(荒木伊右衛門)の開基による。以後、10年にわたり整備が行われた。
 その後、3度の天災地変に遇い、その都度復興された。
 近代、1933年、第10世・伊山和尚により、大書院が建立された。
 現代、1945年、達磨堂が建立された。
◆大愚宗築 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・大愚宗築(だいぐ-そうちく、1584-1669)。謚は諸相非相禅師。美濃(岐阜県)生れ。1594年、11歳で美濃国・乾徳寺で南泉寺3世・状元祖光により出家した。師没後、4世・智門玄祚の法を嗣ぐ。妙心寺・雑華院の一宙東黙に参禅した。1606年、愚堂東寔、雲居希膺、虎哉宗乙などに参禅した。元和年間(1615-1624)までに、智門玄祚より印可を得て江戸・南泉寺を開く。南泉寺に移り5世になる。近江・円鏡寺を開き、播磨・法幢寺、但馬・大明寺を再興した。1656年、福井藩主・松平光通に招かれ大安寺の開山になる。1666年、諸相非相禅師の勅号を受けた。1669年、大安寺で亡くなる。丹波・慧日寺、妙心寺に歴住した。法輪寺の開山になる。開創、再興した寺は「大愚下三十六刹」と呼ばれた。語録『大愚和尚語録』がある。 86歳。
◆万海慈源 江戸時代の臨済宗の僧・万海慈源(まんかい-じげん、?-?)。詳細不明。法輪寺を開く。
◆白幽子 江戸時代前期の隠遁者・白幽子(はくゆうし、1646-1709)。名は慈俊。石川丈山の弟子・石川克之(克)の弟という。自らも丈山の弟子に入り、1672年、丈山の臨終に際して死に水を取ったという。晩年は北白川瓜生山中、清沢口の岩窟に住み、常に金剛経を誦したという。書、天文、医道、仙術にも通じたという。1709年、没した。64歳。同年、白川の山中を出たともいう。伝承として数百年生きたとされ、「白幽子仙人」、「白川の仙人」ともいわれた。
 1710年/宝永年間(1704-1711)、臨済宗中興の祖・白隠(白隠慧鶴)は、瓜生山の白幽子を訪ね、結核と神経症で心身困憊していたのを白幽子の内観の法、観想法の「軟酥(なんそ)の法」により快復させたという。
 白幽子の遺骸は吉田神楽岡中山で火葬され、乗願寺(北白川仕伏町)の神楽岡東墓地(吉田芝ノ墓地、吉田惣墓、田神楽岡町)に埋葬された。その後、墓は盗難に遭う。1943年、法輪寺(上京区)の後藤伊山住職が東京・青山墓地内に白幽子の墓石を見つけた。持ち帰り法輪寺境内に墓を移した。旧地神楽岡東墓地には、1903年に富岡鉄斎により再建された墓碑が残っている。
◆後藤伊山 近現代の臨済宗の僧・後藤伊山(1894?-1963)。伊山義豊。山田無文に師事した。1933年、法輪寺第10世。20年をかけ『白隠和尚全集』32巻(1934)を編纂した。
 白隠の旧跡と墨書を求め全国を行脚した。白幽子は乗願寺(北白川仕伏町)の神楽岡東墓地(吉田芝ノ墓地、吉田惣墓、田神楽岡町)に埋葬されている。墓はその後盗難に遭う。1943年、伊山は東京・青山墓地内に白幽子の墓石を見つけ持ち帰り、法輪寺境内に葬った。
◆山田無文 近現代の臨済宗の僧・山田無文(やまだ-むもん、1900-1988)。俗名は長次郎、号は太室、通仙洞。愛知県に生まれた。河口慧海(えかい)に師事した。 関精拙に参じ、橋本凝胤につき得度した。1925年、臨済宗大学(現・花園大学)を卒業し、妙心寺専門道場、天龍寺専門道場、1949年、妙心寺霊雲院住持、花園大学学長、その後、神戸祥福寺僧堂師家、1964年、禅文化研究所所長、1978年、臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長などを歴任した。著『むもん法話集』。88歳。
◆仏像 本堂に安置の「仏涅槃木像(等身金箔寝釈迦木像)」は、安土・桃山時代の作による。金箔等身蓮上聡耳の木像になる。
 江戸時代、1728年作の「十六羅漢木像」がある。
◆建築 ◈「方丈」は、江戸時代、1718年に創建された。近年、1983年より3年をかけた解体修理により復元された。9間6間、100坪(331㎡)、単層、入母屋造、瓦葺。
 ◈「衆聖堂(しゅうせいどう)」は、キネマ殿とも呼ばれている。四注造、二階建。
◆文化財 「弁天鐘」は、江戸時代、1729年の鋳造による。三条釜座の名工・藤原国次の銘が入る。四方に天女奏楽の姿を鋳出している。
 中近世の禅画書400幅など。
◆障壁画 本堂の客室の襖絵に、杉本哲郎(1899-1985)筆の淡彩墨画「少林余光図」がある。達磨の生涯を描いている。
 本堂に福本三木筆の極彩色の杉戸絵がある。
◆達磨 1945年、第二次世界大戦直後、禅宗を開いた達磨大師に倣い、七転び八起きの精神で戦後復興するために、寺は市民に呼び掛け、達磨堂が建立された。衆生堂の命名は、山田無文による。
 本尊は起上達磨であり、現在、起上ダルマを中心に、大小さまざまなダルマ8000-1万体が、所願成就のために奉納されている。樟一本造りの大達磨像、十六羅漢木像、達磨諸相が安置されている。達磨堂にも多くのダルマ像などが祀られている。
 達磨大師(ボーディダルマ)は、5世紀後半-6世紀前半に活躍し、禅宗の開祖とされている。南インド王国の第3王子として生まれ、中国に渡り、中国禅の開祖になった。日本の宗教にも影響を与えた。嵩山少林寺では、壁に向かい9年間坐禅を続ける壁観修行を行った。このため、手足を失ったとされ、七転八起のダルマ玩具を生んだ。
◆位牌 キネマ殿(衆聖堂)には、大日本映画界萬霊位の位牌を中心にして、日本映画関係者140人の位牌を祀る。1940年以来、日活太秦撮影所長だった池永浩久が、大日本映画大道会を立ち上げ、自宅に映画人の祭壇を祀った。1944年、当寺の住職・後藤伊山に託し、祭壇を奉納したことに始まる。
 稲田勝太郎、映画製作者・映画興行師・横田永之助(よこた-えいのすけ、1872-1943)、映画俳優・映画監督・尾上松之助(おのえ-まつのすけ、1875-1926)、映画監督・映画製作者・脚本家・牧野省三(まきの-しょうぞう、1878-1929)、映画俳優・大河内伝次郎(おおこうち-でんじろう、1898-1962)、坂東三津五郎、女優・政治家・望月優子(もちづき-ゆうこ、1917-1977)、女優・映画監督・田中絹代(たなか-きぬよ、1909-1977)、過去帳には800人の霊が祀られている。
 英霊殿には、第二次世界大戦の戦没者、南太平洋方面の戦没者の位牌も祀られている。
◆庭園 ◈方丈南に禅院式の枯山水式庭園「無尽庭(むじんてい)」がある。1978年に植音の奥田龍司により作庭された。十牛(じゅうぎゅう)の庭になる。十牛とは禅において悟りを牛に例えており、修行の道程を表す。右手に牛の姿をした貴船石があり、「見牛石」と呼ばれている。巨岩、東に三尊石の石組もある。萩、薄、百日紅、3本の楓の大木などの植栽が見られる。
 方丈縁に「十牛図」に因む銅製の牛の像が置かれている。 
◆花暦 大輪の芙蓉で知られる。
 インド、中国などの竹が植えられている。
◆墓 江戸時代中期の伝説的な書家・隠士の白幽子の墓がある。吉田の芝ノ墓地より移された。三面に「松風窟白幽子之墓」「白川山居隠士」「宝永六(1709年)己丑初秋廿五日」と刻まれている。
◆年間行事 節分会(2月2-4日)、達磨忌(11月1日)。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都歴史案内』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都 四季の庭園』、『古都歩きの愉しみ』、『京都大事典』
、ウェブサイト「コトバンク」


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