東林院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
 Torin-in Temple
東林院 東林院 
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 妙心寺塔頭のひとつ、妙心寺境内一角にある宿坊の東林院 (とうりんいん)は、「沙羅双樹(さらそうじゅ)の寺」とも呼ばれている。 
 臨済宗妙心寺派、本尊は観世音菩薩。
 京の通称寺霊場37番、沙羅双樹の寺。
◆歴史年表 室町時代、1531年、武将・細川氏綱(ほそかわ うじつな)が、父・細川高国(三友院殿)の菩提のために建立した。寺名は、当初、三友院と称し、上京清蔵口の細川家邸宅付近にあった。この三友院が前身になる。
 1556年、武将・山名豊国(やまな とよくに)が開基になり再興した。中興開山は直指宗諤(じきし そうがく)による。妙心寺山内に移され、東林院と改められた。以来、山名家の菩提寺になる。
 江戸時代、1626年、山名豊国が亡くなり、山名家菩提所として維持される。
 1832年、堂宇が大破する。その後、山名家により本堂、庫裏が再建された。
 現代、2004年、沙羅の大木が枯死する。
 2016年、食堂(じきどう)が建てられる。
◆細川氏綱 室町時代の武将・細川氏綱(ほそかわ うじつな、1514?-1564)。細川尹賢(これかた)の子、細川高国の養子。1543年、高国は細川晴元に敗れ自刃し、その残党に擁立され挙兵した。晴元派・三好長慶に敗れ、遊佐長教らと結び、三好政長(宗三)と戦う。1548年、長慶とくみ、管領・晴元、前将軍・足利義晴、将軍・足利義藤(義輝)を京都から追う。1552年、義輝と和解し右京大夫、室町幕府最後の管領になる。1559年、長慶により山城国淀城に移され、同城で没した。
◆直指宗諤 室町時代の僧・直指宗諤(じきし そうがく、生没年不詳)。詳細不明。細川高国の猶子。亀年禅愉の法嗣、妙心寺51世。1462年、妙心寺・如是院(にょぜいん)、1556年、妙心寺・東林院を中興する。
◆山名豊国 室町時代-江戸時代の大名、武将・山名豊国(やまな とよくに、1548-1626)。父は但馬国大名・山名豊定の次男、母は幕府管領・細川高国の娘。1560年、父没後、敵対した兄・豊数、その家老・武田高信に鳥取城を追われ、但馬守護山名氏の祐豊の庇護を受ける。兄没後、山中幸盛ら尼子氏残党軍の支援を得て布施家(因幡山名氏)の家督を継承した。1578年より、織田信長と誼を通じる。1573年、毛利氏の武将・吉川元春に攻められ降伏した。1580年、羽柴秀吉の侵攻に籠城していた鳥取城より降伏した。1581年、秀吉と共に旧家臣が籠もる鳥取城攻めに従軍し、陥落させる。御伽衆の一人。1592年より、朝鮮出兵に肥前・名護屋城まで同行した。有職故実、和歌、茶湯など多方面の文化に精通した。
 墓は妙心寺・東林院にある。
◆庭園 枯山水式の本堂前庭「大庭園」は、白砂と石組、苔地、植栽によりなる。水琴窟(一壺天)も据えられている。
 庭には、樹齢20年ほどの木をはじめ、10本ほどの沙羅(7、8m)が植えられている。かつては、庭の中央に樹齢300数十年という沙羅の大木があり、15mほど伸びた枝は庭全体を覆っていたという。だが、2004年に枯死した。その後、沙羅の樹を中心とする庭に変えられた。
 沙羅(ナツツバキ)は、ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木で、別名はシャラノキ(娑羅樹)といい、6月に白い花をつける。朝に咲いて、夕方には散る一日花であり、青い苔地の落花は、儚さの象徴にたとえられる。仏教三大聖木(菩提樹、無憂樹)のひとつに数えられる。
 『平家物語』冒頭に、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」とある。この無常観を表した「沙羅双樹」も、実は沙羅の樹とみられている。
 なお、釈迦入滅の際に、臥床の四辺にあったという娑羅双樹とは別種で、娑羅双樹はフタバガキ科の常緑高木、原産国はインド。春に白い花を咲かせ、落花することはなく、良い香りを放つ。
◆両細川の乱 家督争いに端を発する「両細川の乱」(1509-1532)では、高国と細川澄元・晴元・三好氏ら阿波勢との攻防が長期にわたって繰り返されている。
 高国は政権奪取するものの、最期は、戦に敗れ自害している。氏綱は、室町幕府最後の管領になっている。
◆文化財 狩野元信筆の「細川高国像」、1605年、鉄山宗純賛の寿像「山名豊国像」。
 山名豊国愛用の鎧兜武具、豊国愛用だったという床の間付座敷の東司(便所)がある。
◆墓 山名豊国の五輪塔墓がある。
◆宿坊 宿坊に宿泊することができる。境内裏の畑で採れた野菜を食材として、精進料理が出される。
◆年間行事 「精進料理を体験する会」(毎週火・金曜日)、「小豆粥で初春を祝う会」(1月12日-1月31日)、「沙羅の花を愛でる会」(6月12日-6月30日)、「梵燈のあかりに親しむ会」(10月上旬)。
 食堂で典座料理が提供される。(土・日曜日、祝日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*普段は非公開、宿坊があります。食堂では典座料理が提供されます。要事前予約。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都 四季の庭園』『京都 神社と寺院の森』『こころ美しく京のお寺で修行体験』


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枯山水式庭園

沙羅の落花

一日花、沙羅の白い花、夏椿ともいわれる。

枯死した沙羅の樹、いまも庭園の中央に立っている。

2004年に枯死した樹齢300年以上だったという沙羅の樹の幹からは数珠が作られ、常ならざるものの象徴として今も枯れ木にかけられている。

わくらの木

樹齢250年という羅漢槇

山田無文住職の歌碑「仏さへ 身まかりませし花の色 見ていま沙羅に 思え諸人」
山田無文(やまだ むもん 1900-1988)は 愛知県に生まれた。妙心寺、天龍寺で学び、花園大学学長、禅文化研究所所長、臨済宗妙心寺派管長などを歴任した。

山田無文作の沙羅の花の瓦

「帰るとき 来た 時よりも 美しく」
 東林院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町59  075-463-1334
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