衡梅院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Koubai-in Temple
衡梅院 衡梅院 
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庫裏


玄関


方丈


「衡梅院」の扁額


方丈に掲げられた「四河一源」の扁額


茶室「長法庵」


「四河一源の庭」、朱塗りの三門(右奥)が見える。


左の大きな石が雪江、その周りを四弟子が取り巻く。


方丈東庭

 衡梅院(こうばいいん)は、妙心寺境内の南東にあり塔頭のひとつになる。 
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 室町時代、1480年、1469年とも、細川政元の外護により、妙心寺中興六祖のひとり、妙心寺第6世・雪江宗深(せっこう そうしん)を開山として創建された。(『妙心寺史』「京都府寺院明細書」)。退居寮だったという。
 1486年、宗深は亡くなり、遺命により当院はその塔所になる。
 その後、無住になり衰微した。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)、1604年、1599年とも、中興の祖になった天秀得全(てんしゅう とくぜん)は長寿庵領を施入れし、檀越・真野蔵人一綱(まのくらんど かずつな)の寄進により再興する。以後、霊雲派に属した。
 江戸時代、1604年、本堂が一綱の寄進により再興される。
 1615年、現在の昭堂が移された。
 1662年、妙心寺134世・勅住の妙道が院主になる。
 現代、1978年、本堂が解体修理された。
◆雪江宗深 室町時代の禅僧・雪江宗深(せっこう そうしん、1408-1486)。摂津に生まれる。建仁寺五葉庵の文瑛に学ぶ。犬山瑞泉寺の日峰宗舜(にっぽう そうしゅん)に師事、師と共に妙心寺に入る。義天玄承(ぎてん げんしょう)を嗣法する。養源院に住した。1462年、龍安寺住持になる。応仁・文明の乱(1467-1477)後、妙心寺の再建を行い、中興の祖といわれる。外護者に細川勝元・政元を得る。「米銭納下帳」 (1486-1885)により寺院経営を行い、経済基盤も確立した。『開山行実記』『正法山妙心禅寺記』を選述した。仏日真照禅師、本源円通国師とも称された。
 雪江には四人の弟子、景川宗隆(けいせん そうりゅう、竜泉派)、悟渓宗頓(ごけい そうとん、東海派)、特芳禅傑(とくほう ぜんけつ、霊雪派)、東陽英朝(とうよう えいちょう、聖沢派)がおり、それぞれ「四派」の開祖として教団統括運営組織の基礎を築いた。
◆細川政元 室町時代の武将・細川政元(ほそかわ まさもと、1466-1507)。勝元の子。室町幕府の三管領の一つ、細川家の嫡流・京兆家当主。摂津、丹波、讃岐、土佐の守護。1482年、摂津国人茨木氏を討つ。1486年、管領になり、亡くなるまで在任した。1488年、京都で土一揆を鎮圧した。1493年、将軍・足利義材(義稙)と畠山政長を討つ。新将軍に足利義澄を擁したが、義材は抗した。1504年、内衆薬師寺元一の反乱を鎮圧した。だが、養子・澄之(関白・九条政基の子)の擁立を図る内衆香西元長らに暗殺された。
◆真野蔵人一綱 安土・桃山時代-江戸時代の武将・真野蔵人一綱(まのくらんど かずつな、生没年不詳)。大橋長将の子。豊臣秀吉の旗本衆七手組の真野助宗の養子になったともいう。助宗の後継の七手組の一に数えられた。1614年、大坂の陣で豊臣方として活躍した。豊臣家滅亡後は藤堂高虎に仕えたともいう。
◆大岡春卜 江戸時代中期の画家・大岡春卜(おおおか しゅんぼく、1680-1763)。 大坂の生まれ。独学で狩野派、明清画に学ぶ。大覚寺性応門主の庇護を受けた。1735年、法眼に叙せられ、大覚寺の坊官になる。妙心寺・霊雲院、神護寺の障壁画を手掛けた。挿絵画家として知られ、鳥羽絵、彩色刷の画譜を制作した。著『明朝紫硯』など。
◆中島華陽 江戸時代後期-近代の画家・中島華陽( なかじま かよう、?-1877)皆春堂。 京都の生れ。娘婿は富岡鉄斎になる。横山華山に師事した。1855年、京都御所再建の際に、絵画御用を命じられた。山水画に秀でた。65歳。
 墓は妙心寺・衡梅院にある。
◆木像 方丈に、開山の「雪江宗の木像」を安置する。江戸時代、1672年、京仏師・吉野右京作による。所蔵の雪江宗深自賛の「雪江禅師画像」(1414)と関連あるとみられる。像高77.8㎝、ヒノキ材、寄木造、割首、玉眼、彩色。
◆建築 「方丈(本堂、客殿)」(重文)は、棟札により江戸時代、1604年に真野蔵人の寄進により再建された。大工は藤原吉次による。1760年に改修され、西の鞘の間に中敷居の窓が開いている。
 六間取方丈形式、正面に双折桟唐戸。山内最古の例という。桁行18.8m、梁間11.9m。一重、入母屋造、桟瓦葺。
◆茶室 茶室「長法庵(ちょうぼうあん)」は、約90年前に南山城から移築された。
 煎茶、抹茶にも使用される。天井の一部を珍しいクスノキの一枚板で張る。
◆文化財 頂相の絹本着色「雪江禅師像」は、室町時代、1484年の自賛があり、この2年後に亡くなっている。
 室町時代、1446年の日峰宗舜筆「雪江号」、雪江宗深筆「得度祝偈」は慧健沙弥の得度を祝した。
 江戸時代、1614年の鉄山賛「真野蔵人像」。
◆障壁画 方丈下間一の間には、大岡春卜筆、江戸時代、1756年作の「竜虎羅漢図」16面、二の間に「楼閣山水図」14面、下間二の間に「唐獅子図」14面が描かれている。
 加瀬藤圃(1900-1986)筆、1985年作の「十六羅漢図」がある。
◆庭園 方丈南にある枯山水庭園「四河一源の庭」は、石組と杉苔、楓の植栽による。
 「四河」とは雪江の四弟子、景川宗隆(竜泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雪派)、東陽英朝(聖沢派)を意味する。
 「一源」とは雪宗深江を意味し、苔地に据えられた石組でこれらを表しているという。
◆墓 雪江宗深、画家・中島華陽(1812-1877)の墓がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』「吉野右京についての覚書-妙心寺衡梅院雪江禅師像の作者-」『妙心寺史』『妙心寺 650年の歩み』


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