大法院 〔妙心寺〕 (京都市右京区) 
Daiho-in Temple
大法院 大法院
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「贈正四位象山佐久間先生墓道」の碑


山門




真田家の家紋「六文銭」




この奥に、佐久間象山の墓地がある。




「佐久間先生墓」の石標







庫裏



庫裏、「大ほう院」の扁額が掛る。





露地庭に続く延段




玄関


玄関






方丈




本尊


真田家家紋「六文銭」


徳川家家紋「三つ葉葵」


真田信之像、江戸時代、作者不詳
 妙心寺塔頭の一つ大法院(だいほういん)は、境内西に位置している。
 臨済宗妙心寺派大本山。当初は東海派、後に龍泉派。 
 御朱印(特別拝観時限定)が授けられる。
◆歴史年表 江戸時代、1625年、武将・真田信之の菩提寺として、信之の遺命に従い孫・長姫により創建された。開祖は淡道宗廉(たんどう-そうれん)による。当初は、妙心寺四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)のうち東海派に属した。寺名は信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因む。以後、松代藩・真田家より、毎年50石が施入れされ、藩寺として外護された。
 1628年、松平忠明が、母・徳川亀姫の菩提のために、光国院の梁南禅棟(りょうなん ぜんとう)により中興したともいう。開山したともいう。開山以後、龍泉派柏庭下になり、塔頭・成徳院も併合した。
 近代、1878年、松林院(しょうりんいん)を併合する。
◆淡道宗廉 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・淡道宗廉(たんどう-そうれん、 ?-? )。詳細不明。妙心寺175世・絶江紹隄(ぜっこう-しょうだい、?-1663)の法嗣、大統院の開祖、大転法輪禅師と呼ばれた。
◆真田信之 室町時代後期-江戸時代前期の武将・真田信之(さなだ-のぶゆき、1566-1658)。初名は信幸、通称は源三郎・伊豆守、別号は一当斎。上野国(群馬県)の沼田城主・真田昌幸の子。真田幸村(1567-1615)の兄。1582年、駿河・徳川家康の許へ人質として送られる。1585年、父・昌幸が信濃・上田城に籠城し、城外国分寺付近で徳川軍を迎撃して破る。1589年、家康に出仕し、その武将・本多忠勝の娘をめとる。1593年、沼田城主になり、従五位下伊豆守に叙任された。1600年、関ヶ原の戦いで、西軍(石田三成方)の父・昌幸、弟・幸村(信繁)と別れ、東軍(徳川方)に属した。父の居城・上田城を攻め、落城できなかった。その功により戦後、父と弟の助命を請い赦された。1601年、上田城に移る。1614年-1615年、大坂冬・夏の陣に出陣し戦功があった。1616年、沼田領を長男・信吉に譲り上田城に移る。1622年、松代藩初代藩主になり、藩の基礎を固めた。1656年、隠居して松代領を嗣子・信政に、沼田領を嫡孫・信利に譲った。後に剃髪し、一当斎と称した。93歳。
 墓は松代・長国寺の真田家廟所にある。
◆長姫 江戸時代前期の女性・長姫(?-1702)。真田信之の長男・信吉の長女。千草大納言有能(1615-1687)の正室になる。妙心寺東海派、玉浦下の妙心寺175世・絶江紹隄(ぜっこう-しょうだい)に帰依した。
◆亀姫 室町時代後期-江戸時代前期の女性・亀姫(かめひめ、1560-1625)。駿河(静岡県)の生まれ。徳川家康の長女。三河の新城城主・奥平信昌の妻になる。信昌の国替えにより美濃加納に移り、「加納御前」、「加納の方」と呼ばれた。1622年、宇都宮城主・本多正純が、出羽山形の最上氏の処分に際して咎を受け、城を没収された宇都宮騒動(宇都宮釣り天井騒動)に関わり、弟の2代将軍・徳川秀忠に働き老中・本多正純を解職させた。夫子らの相次ぐ逝去により剃髪し、盛徳院と号した。66歳。
 大法院には、亀姫の「盛徳院殿像」を安置している。本堂に位牌が祀られている。
◆梁南禅棟 安土・桃山時代-江戸時代前期の僧・梁南禅棟(りょうなん-ぜんとう、?-1625)。大須・總見寺2世、1620年、妙心寺・光国院の開山になる。1628年、亀姫菩提寺の妙心寺・盛徳院の開山になった。
◆渡邊了慶 江戸時代前期の画家・渡邊了慶(わたなべ-りょうけい、?-1645)。了桂、了敬、量慶、のち狩野姓を許された。出羽国(山形・秋田県)の生まれ。子に了之。藩に仕え、京都に出て狩野光信に学ぶ。1605年、光信、狩野興以らと高台寺障壁画を描く。晩年、平戸・松浦藩の御用絵師になったという。
 代表作に西本願寺対面所、白書院障壁画、妙心寺・退蔵院、東福寺・普門院、福田寺「源氏絵屏風」などがある。妙心寺・大法院(右京区)に障壁画がある。江戸・種徳寺に葬られた。
◆土方稲領 江戸時代中期-後期の絵師・土方稲領(ひじかた-とうれい、1741-1807)。名は廣邦、廣輔、字は子直、号は臥虎軒、虎睡軒、稲嶺。鳥取藩家老・荒尾家家臣・土方右衛門の次男。子に土方稲琳。 荒尾小八郎に仕えた。江戸・南蘋派の宋紫石に師事した。1782年-1783年頃、京都に滞在した。1795年、北野天満宮境内に、自身も同様の竹画碑を立てる。1798年、鳥取藩7代藩主・池田斉邦に招かれ藩絵師になる。廣輔に改めた。1800年、江戸詰めを命じられたという。67/73歳。
 円山応挙の門人だったともいう。谷文晁と親交があった。花鳥風月、人物、鯉画などに優れた。大法院に「長姫像」(1800)、「瀑布図」(1798)、障壁画「叭叭鳥図」がある。妙心寺塔頭・春光院、大雄院、雑華院にも作品がある。高弟に黒田稲皐がいる。
◆佐久間象山 江戸時代後期の思想家・兵学者・佐久間象山(さくま-しょうざん/ぞうざん、1811-1864)。名は国忠、啓、幼名は啓之助、通称は修理、字は子迪・子明。信濃(長野県)松代藩士・佐久間国善の子。妻・順子は勝海舟の妹。1833年、江戸で儒学者・佐藤一斎に朱子学、詩文を学ぶ、1839年、再び江戸に出て神田で象山書院を興した。松崎慊堂(こうどう)、藤田東湖、渡辺崋山らと交わる。1840年-1842年、アヘン戦争の報により、1842年、信濃松代藩8代藩主・真田幸貫が老中海防掛に就くと、外敵侵略に備えることを説く「海防八策」を提出した。砲術家・江川坦庵(太郎左衛門)に西洋砲術を学ぶ。1844年、オランダ語を学び修得した。1851年、江戸に移住して塾を開き、西洋砲術・兵学を教えた。勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、加藤弘之らが学ぶ。1853年、ペリー来航時には藩軍議役に任ぜられ、老中・阿部正弘に「急務十条」を提出した。松陰の密航計画を助けた。1854年、松陰の密航事件に連座し入獄される。1862年まで、国許で蟄居になる。この間に洋書を読み西洋研究、和親開国論に転じた。1863年、赦免される。1864年、幕命により上京、海陸御備掛手付になり、軍備計画をする。公武合体、開国を説き、一橋慶喜、皇族、公卿の間で奔走した。寓居は、六条通東洞院、丸太町通鴨川東、木屋町通三条上ルと変えた。三条木屋町筋で攘夷派浪士・河上彦斎に暗殺される。著『省諐録(せいけんろく)』など。53歳。
 墓は妙心寺・大法院(右京区)にある。
◆塔頭 ◈塔頭「盛徳院」の盛徳院とは、徳川家康長女・亀姫(1560-1625)の法名であり、その菩提寺になる。
 盛徳院は1878年、松林院を併合した。
 ◈塔頭「光国院」は、江戸時代、1620年に創建される。龍泉派であり、開山は梁南禅棟(りょうなん-ぜんとう)、開基は松平忠隆になる。徳源寺の宿院だった。
 ◈塔頭「松林院」は、江戸時代、1690年に創建された。開祖は淡道、開基は中村氏による。近代、1878年、大法院に併合された。
◆木像 「盛徳院殿像」がある。
◆庭園 方丈西、南、東に露地庭園がある。西が外露地になり、飛石は腰掛待合に続く。中露地を経て、茶室「有隣軒(ゆうりんけん)」の内露地があり、三段茶庭になる。庭には飛石、延段、灯籠、蹲踞が据えられ、楓などの植栽がある。
◆茶室 四畳半の 茶室「有隣軒」がある。論語「徳不孤必隣有」により名付けられた。
◆文化財 ◈花園仁山筆の「大瀍院(たいほういん)」の額がある。「瀍」のうち「廌(たい)」は善悪を見分けるとされる想像上の動物であり、裁判に関する意符(意味を成す部分)になる。「去」は厠を意味し、水により便を流棄させることから、社会の不用、害毒を流し去るの意がある。また、「去」は「拒」の音に通じ、水害を防ぐための堤防に囲まれた地は水が平らであることから、これも裁きの公平さを示すという。
 
◈紙本墨「佐久間象山像」は、江戸時代末期-現代の画家・菊池契月(1879-1955)による。契月は長野県に生まれた。菊池芳文(1862-1918)の四条派を修める。 
◆障壁画 ◈客殿に、「叭叭鳥図(ははちょうず)」8面がある。江戸時代中期の絵師・土方稲領筆による。鳥100羽が梅の老木に群がり飛ぶさまを表す。禅語「長空鳥任飛(ちょうくう-とり-とぶにまかす)」とは、心境の思うままに自由自在の有り様という。稲領は鳥取池田藩に仕え、雲谷派(開祖・雲谷等顔)に属した。
 叭叭鳥は八哥鳥ともいい、ムクドリ科の小九官鳥ともいう。飼い鳥であり、中国、東南アジアに生息する。
 ◈ほかに、海北友松、鈴木松年、酒井抱一などの作品がある。
 ◈渡辺了景筆「山水図」4面、片山尚景筆「山水図」8面がある。
◆文学 作家・大佛次郎(おさらぎ-じろう、1897-1973)は、当院の茶室「有隣軒」を気に入り、鎌倉より度々通っていたという。
◆墓 長姫の姻戚関係により、真田家、千種家、久我家(くがけ)、内藤家の菩提所になっている。
 信濃松代藩真田一門の墓がある。
 佐久間象山の墓がある。碑面に「象山佐久間先生之墓」と刻まれている。碑の高さ3m、台二重。
◆花暦
 緑紅葉、紅葉で知られている。参道両脇に、躑躅(4月-5月)が植えられている。
◆年間行事 春の特別拝観(限定の御朱印授与。)(4月10日-5月15日)、秋の特別拝観(限定の御朱印授与。)(11月1日-11月30日)。


*普段は非公開、特別拝観があります。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『妙心寺』、『京都・山城寺院神社大事典』、『妙心寺 六百五十年の歩み』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『増補版 京都の医史跡探訪』、『文学散歩 作家が歩いた京の道』、『京都の隠れた御朱印ブック』 、ウェブサイト「コトバンク」


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花園仁山筆の「大瀍院(たいほういん)」の額。

釘隠し


「佐久間象山像」、画家・菊池契月(1879-1955)筆

佐久間象山像

佐久間象山筆「常賞」

「日々是好日」

渡邊了慶の障壁画

外露地蹲踞

茶室「有隣」

茶室「有隣」

茶室「有隣」

茶室「有隣」の内露地の庭


中露地、苔と飛石、植栽により構成される。楓があり、新緑の頃の緑紅葉と秋の紅葉の名所にもなっている。

腰掛待合

腰掛待合前の石灯籠

西の外露地、飛石、苔地


外露地の石燈籠

外露地
大法院 〒616-8023 京都市右京区花園大藪町20  075-461-5162
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