佐久間象山寓居跡 (京都市中京区)  
The ruins of temporary residence of Sakuma, Shouzan
佐久間象山寓居跡  佐久間象山寓居跡
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佐久間象山寓居之址」の石標
 木屋町通御池下ル東側に「佐久間象山寓居之址(さくましょうざん ぐうきょあと)」が立てられている。
 この地は、江戸時代後期の思想家・兵学者・佐久間象山の最後の住まいがあった。
◆歴史年表 江戸時代、1864年、3月、佐久間象山は幕命で上京し、開国論を披瀝した。
 1864年、5月、象山はこの地に移る。
 1864年、7月11日(新暦8月12日)、象山は騎馬で山階宮家よりの帰途に暗殺された。
 近代、1928年、京都市教育会により石標が立てられた。
◆佐久間象山 江戸時代後期の思想家・兵学者・佐久間象山(さくま しょうざん/ぞうざん、1811-1864)。信濃松代藩士・佐久間国善の子。妻・順子は勝海舟の妹。1833年、江戸で儒学者・佐藤一斎に朱子学、詩文を学ぶ、1839年、再び江戸に出て神田で象山書院を興した。松崎慊堂(こうどう)、藤田東湖、渡辺崋山らと交わる。1840年-1842年、アヘン戦争の報により、1842年、信濃松代藩8代藩主・真田幸貫が老中海防掛に就くと、外敵侵略に備えることを説く「海防八策」を提出した。砲術家・江川坦庵(太郎左衛門)に西洋砲術を学ぶ。1844年、オランダ語を学び修得した。1851年、江戸に移住して塾を開き、西洋砲術・兵学を教えた。勝海舟、吉田松陰、坂本竜馬、加藤弘之らが学ぶ。1853年、ペリー来航時には藩軍議役に任ぜられ、老中・阿部正弘に「急務十条」を提出した。松陰に外国行きを勧めた。1854年、松陰の密航事件に連座し入獄になり、1862年まで、国許で蟄居になる。この間に洋書を読み西洋研究、和親開国論に転じた。1863年、赦免される。1864年、幕命により上京、公武合体、開国を説き、一橋慶喜、皇族、公卿の間で奔走した。三条木屋町筋で騎馬で山階宮家よりの帰途に、攘夷派浪士・河上彦斎により暗殺される。著に『省諐録(せいけんろく)』などがある。
 墓所は妙心寺・大法院(右京区)にある。

*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 佐久間象山寓居跡 〒604-8001 京都市中京区上大阪町516,木屋町通御池下ル東側
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