清滝・清滝川 (京都市右京区)
Kiyotakigawa River,Kiyotaki
清滝・清滝川 清滝・清滝川 
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嵯峨清滝付近の清滝川、橋は金鈴橋。清滝を境に下流の保津川までは金鈴峡と呼ばれている。清滝から続く金鈴峡は、紅葉の名所として知られている。






清滝「ますや」


「ますや」


「自然と人生」の碑




清滝の愛宕神社への登り口


試峠(ためしとうげ)
 清滝の名は、清涼な水が滝のように激しく流れることに由来するという。
 一級河川の清滝川(きよたきがわ)は、三尾(高尾、槙尾、栂尾)の谷を結んでいる。それぞれに神護寺、西明寺、高山寺の三寺がある。
◆歴史年表 年代不詳、清滝は愛宕詣の水垢離の場として栄えた。
 江戸時代、1694年、俳人・松尾芭蕉が清滝を訪れた。
 近代、1887年、同志社大学学生・徳富蘆花が旅館「ますや」に宿泊した。
 1930年、与謝野鉄幹、晶子が「ますや」に宿泊する。
◆清滝の地名 清滝の地名についての伝承がある。
 平安時代、804年-805年に空海は唐に渡った。長安・青竜寺で師・恵果より密教を学ぶ。日本に帰る際に、寺の守護だったという竜女(清滝権現、インド娑伽羅竜王第3女)が、空海守護のために付いてきた。高雄山寺(神護寺)にまで飛来したという。
 竜女が紺碧の海をはるばる渡ってきたとして、「青竜」の字にそれぞれ水偏を付けて「清滝」、清滝(瀧)権現にしたという。地名の清滝、清滝川もこれに由来するという。
 なお、清龍宮(右京区)が祀られている。醍醐寺(伏見区)境内には清瀧宮本殿が祀られている。
◆清滝 清滝川の流れる谷あいに清滝はある。愛宕神社までの表参道は5.5㎞(50町)の道のりがある。昔は、「伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」といわれ、愛宕への参詣者で賑わった。
 清滝は、宿場町として、宿屋、茶屋が建ち並んでいた。店では米粉と砂糖を練り蒸した、「しら糸しんこ」という菓子が名物として売られた。清滝川は参拝者が身を清める水垢離場(みずごりば)でもあった。
◆愛宕山鉄道 近代以降、清滝のケーブル清滝川駅-愛宕山山頂間は、愛宕山鉄道鋼索線(1929-1944)が敷かれている。
 嵐山-清滝間は平坦線(10分、5両編成で定員74人)が接続していた。鋼索線は、全長2㎞、2両編成の84人乗り、11分で山頂に到着した。かつて、スキー場も併設していた。だが、第二次世界大戦中(1941-1945)の金属供出により、鉄道、駅舎は撤去される。
 かつての軌道はいまは道路、トンネルとして利用されている。
◆試峠 試峠(ためしとうげ)がある。試坂ともいう。愛宕山に登ることができるかを試す峠とされた。また、清滝の人々は、無事に愛宕山に登り帰る人たちを、伊勢音頭、江州音頭でこの試峠まで見送ったという。
 愛宕山にケーブルが敷設された際に、峠下にはトンネルが開けられた。 
◆清滝川 清滝川の全長は20km、流域面積67平方kmある。起点は、京都市北区大森東町にある。桟敷ヶ岳、飯盛山、天童山、茶呑峠などの南麓の水を集めて南流する。流路は、北区大森、小野、中川、右京区の梅ヶ畑では周山街道(国道162号)に沿う。さらに、嵯峨清滝、嵯峨水尾と嵯峨の境で保津川(桂川)左岸に注いでいる。支流には大森川、真弓川、水谷川などがある。
 清滝橋-落合橋までは、ゲンジボタル(国の天然記念物)の生息地になっており、5月下旬-6月下旬に飛翔が見られる。オオサンショウウオ(特別天然記念物)、カジカガエルも生息している。
◆文学 歌枕には、平安時代の『古今和歌集』以来のことであり、『八雲御抄』『藻塩草』にも見える。
 僧の文覚(1139-1203)は、清滝川で猿が鵜飼の真似をし、鳥を使って魚を獲ろうとしていたのを見たという。(『古今著聞集』)
 江戸時代の松尾芭蕉(1644-1694)は、1694年の夏に落柿舎より清滝を訪ねた。最後の句に「清滝の 水汲み寄せて 心太(ところてん)」、「清滝や 波にちりこむ 青松葉」がある。
 近代、1887年秋、小説家・徳富健次郎(蘆花、1868-1927)は療養のために、清滝の「旅館ますや」に滞在し20日ほど旅館に泊まる。当時は同志社の学生だった。旅館には、愛宕神社の参詣者が宿泊した。この時、『レ・ミゼラブル』を読んだという。清滝は、自伝的小説『黒い目と茶色の眼』(1914)にも描かれている。敬二は、寿代への思いを断ち切るために、寿代の手紙と、自分の写真を破り、猿渡橋の上から清滝川に流した。現在、橋の西詰に「自然と人生」の碑、「人は自然ととけあひ 自然の懐に抱かれて 限りある人生を哀しみ 限りなき永遠を慕う」の副碑が立つ。
 「ますや」には、与謝野晶子(1878-1942)、鉄幹(1873-1935)夫妻も泊った。晶子は「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすさ」(『みだれ髪』、与謝野晶子、1901年5月頃)と詠んでいる。清滝川にその句碑がある。宿では短歌会も催されていた。
 学生時代の小説家・梶井基次郎(1901- 1932)、歌人・脚本家・吉井勇(1886- 1960)、小説家・織田作之助(1913-1947)らも宿泊している。
◆映画 清滝川では、時代劇映画「宮本武蔵 巌流島の決斗」(監督・内田吐夢、1965年、東映)の撮影が行われた。武蔵(中村錦之助)とお通(入江若菜)が抱擁する。
 時代劇映画「新諸国物語 笛吹童子」(監督・荻原遼、1954年、東映京都)では、霧丸(中村錦之助)と桔梗(田代百合子)の場面、時代劇映画「薄桜記」(監督・森一生、1959年、大映京都)では、傷を負った夫・丹下典膳(市川雷蔵)と妻・千春(真城千都世)が再会する。
◆紅葉 清滝川周辺は紅葉名所で知られている。高雄楓と呼ばれるイロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジなどがある。 


*参考文献 『愛宕山と愛宕詣り』『京都の地名 検証2』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』『文学散歩 作家が歩いた京の道』『京都シネマップ 映画ロマン紀行』『京都絵になる風景』


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清滝川 京都市右京区嵯峨清滝付近 
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