水尾 (京都市右京区)
Mizuo
水尾 水尾 
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谷あいの柚子の里、水尾地区


愛宕山、愛宕神社参道沿いの民家


愛宕山


地区の傾斜地に柚子の畑が広がり柚子の匂い漂う。愛宕山の伏流水、寒冷気候、実生により、香り立つ柚子が育つという。5月に開花し、7月に実がなる。9月に青柚子の収穫が始まり、黄柚子は12月中旬までに収穫される。




柚子風呂の看板
 愛宕山(924m)山頂、愛宕神社の南西裾野にある水尾(みずお)地区は、かつて山城と丹波を結ぶ交通の要衝地だった。愛宕山の登山口に当たり、山頂までは3.5㎞ある。
 古くより幽邃地として知られ、奈良時代の第49代・光仁天皇、平安時代の第50代・桓武天皇も行幸している。平安時代の第56代・清和天皇(850-881)も出家し、一時棲んだ。武将・源少尉仲頼(?- 1156)も出家後、この地に隠遁したという。
清和天皇 平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわ てんのう、850-881)。第55代・文徳天皇と藤原良房の娘明子の子。名は惟仁。水尾帝(水尾天皇)、水尾御門とも呼ばれた。
 850年、兄の3親王(惟喬、惟条、惟彦)を差し置き後8カ月で立皇太子となる。858年、9歳で即位し、後見した外祖父・藤原良房が人臣(臣下)最初の摂政(正式には866年以降)となった。876年、27歳で譲位し、879年に出家、素真と称した。円覚寺で落飾し、清和院(平安左京北辺四坊)に移ったという。畿内巡幸の旅へ出て、天台宗の名刹・水尾山寺に入寺した。
 京都に戻り、藤原基経の粟田山荘(のち円覚寺)で没した。享年30歳。金戒光明寺裏山に火葬塚があり、経塚とされている。嵯峨水尾山に葬られた。後世、武門棟梁となる清和源氏の始祖とされた。
◆源頼仲 平安時代末期の河内源氏武将・源頼仲(みなもと の よりなか、?-1156)。源為義(1096-1156)の子。1156年、皇位継承の争いと藤原氏内部の勢力争が絡んだ保元の乱では、父・為義に従い、崇徳上皇・藤原頼長方として参戦、敗北する。敵方の平清盛・後白河天皇方の兄義朝(1123-1160)に降参する。義朝によって助命嘆願されるが、兄・義朝により父とともに船岡山で斬られた。
◆明智越え 戦国時代-安土・桃山時代の武将・明智光秀(1528-1582)の治城・亀山城から愛宕山への道を「明智越」と呼んだ。
 1582年、光秀は、本能寺の変の数日前に、愛宕山の西坊威徳院(社務所付近)で連歌を興行した。9人で100韻「愛宕百韻」を詠み、神前に捧げている。光秀の発句は「ときは今 あめが下しる 五月哉」になる。
 6月2日早朝、光秀は、亀山より1万3000の軍勢を率い、中国攻めとして出陣した。織田信長の命によるもので、中国の毛利を攻めていた豊臣秀吉への援軍だった。光秀は軍が山陰道の老ノ坂に差し掛かると、「敵は本能寺にあり」と命じたとされる。軍はそのまま西国街道に折れず、洛中に向かい、本能寺の織田信長を急襲し自刃させた。 
 亀岡よりの大勢の軍の侵攻には、本道の老ノ山(坂)のみならず、保津より尾根を伝った明智越、唐櫃越(からとごえ)も使ったといわれている。
◆水尾の里 水尾の現在の人口は100数十人で過疎化が進んでいる。里では柚子、樒、梅などが生産されている。
 里には古老制(宮座)、頭式祭、候中式事、精進頭、六斎念仏などの旧い慣習、習俗、祭りなどがいまも残されている。古老制は左家(さけ)と右家(うけ)があり、それぞれ6人、合わせて12人がいる。両家は左右に坐し、長老を刀禰(とね)と呼ぶ。刀禰の由来は奈良時代にあるともいう。刀禰の下に、式事、ショウジドウという役がある。江戸時代、男児が誕生すると庄屋に届け、台帳にその名が記された。
 水尾からは、皇室の黄檗(きはだ)染め、御袍(ごほう)に用いる榛(はしばみ、はん)が納められていた。
 また、樒が植えられ、里は「しきみが原」とも呼ばれた。平安時代中期の歌人・曾禰好忠(生没年不詳)は、「愛宕山しきみが原に雪つもり花つむ人の跡だにもなし」と歌っている。
 愛宕神社境内には神花、樒を売る「清めの樒女」がいた。樒は、火災除けのご利益があるとされ、竃などのそばに供花した。樒女は、頭に樒を載せて愛宕神社へ毎日登っていた。樒は神前に供えられ、参拝者に売られた。樒女は榛の木染め(榛と桃の白皮)による赤袴を身に着け、天皇に仕えた女官の緋(ひ)の袴の遺風ともいう。江戸時代以降は、三巾の前垂れに変わった。
 かつて、水尾では枇杷を生産していた。柚子は、鎌倉時代後期の第95代・花園天皇が植えたのに始まるともいう。昭和(1926-1989)初期に柚子を植えるようになり、柚子の生産地として知られるようになる。柚子の出荷は11月下旬-12月上旬になる。地域では、柚子を柚(ゆう)という。柚子の生産農家も減少している。また、梅の生産地として知られている。 
◆米買い道 水尾から途中の荒神峠(395m)を越えて落合までは、米買い道(3.7㎞)と呼ばれていた。この地に、稲作に適した土地がなかったことから、村人は丹波、亀岡に米を買い出しに出かけていた事からこの名がついた。 


*参考文献 『洛西歴史探訪』『天皇陵』


  関連・周辺愛宕神社      周辺清和天皇社   周辺清滝川・清滝・試峠     周辺樒原     周辺越畑     関連本能寺       

愛宕山の道標

愛宕山へ向う山道、後方が愛宕山

フジバカマ

アサギマダラ

アサギマダラ

山中にある明智越の道案内

南西方向、亀岡に通じている明智越の山道

古道である米買道(落合から水尾)に沿う、水尾谷を流れる水尾川
 水尾 京都市右京区嵯峨水尾 

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