出雲の阿国像 (京都市東山区)  
Statue of Izumo no,Okuni
出雲の阿国像 出雲の阿国像
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四条大橋東詰北、出雲の阿国像


出雲の阿国像


出雲の阿国像


阿国像、「かぶき踊りの祖 出雲の阿国 都に来りて その踊りを 披露し都人を 酔わせる}」、書・京都府知事・荒巻禎一


「阿国歌舞伎発祥乃地」の碑、四条大橋東側
 四条大橋東詰北側に「出雲の阿国像(いずも/いづも-の-おくに-ぞう)」が立つ。
 阿国は歌舞伎踊、阿国歌舞伎の創始者とされる。阿国と四条河原周辺の関連はなかったとみられている。
◆歴史年表 詳細は不明。
 安土・桃山時代、1591年、5月、「ややこおどり」が北野天満宮の松梅院で披露された。(『北野社家日記』)
 1600年、京都で公家に招かれ近江殿、宮中で菊とともに演じたという。(『時慶卿記』)
 1603年、男装した阿国は北野天満宮境内で「歌舞伎踊(阿国歌舞伎)」を披露した。(『当代記』)
 現代、1953年、南座の西側に「阿国歌舞伎発祥地の石碑」が松竹により立てられた。
 1994年、11月、「出雲の阿国像」は「歌舞伎発祥400年」記念として、現在地に京都洛中ライオンズクラブにより立てられた。
◆出雲阿国 安土・桃山時代-江戸時代前期の芸能者・出雲阿国(いずも/いづも-の-おくに、1572?-? )。詳細は不明。於国、国、クニ。出雲国杵築中村の里・鍛冶・中村三右衛門の娘/洛北出雲路河原の時宗鉦打聖の娘/奈良近郊の散所の「歩き巫女(みこ)」ともいう。出雲大社の巫女(アルキ神子[みこ]、歩き巫女)になり、永禄年間(1558-1570)、出雲大社勧進のために神楽舞で諸国を巡ったともいう。美貌もあり評判になる。1582年、奈良・春日大社で上演された「ややこ(稚児)踊り」は、8歳の加賀と演じたともいう。1591年、ややこおどりが北野天満宮の松梅院で披露された。文禄年間(1593-1596)、伏水(ふしみ)城で結城/松平秀康の前で踊ったともいう。慶長年間(1596-1615)、京都に上り歌舞伎踊りを始めたという。1600年、京都で公家に招かれ近江殿、宮中で菊とともに演じたという。(『時慶卿記』)。1603年、春、北野神社の東で南蛮風の衣装に男装した阿国の「歌舞伎踊(阿国歌舞伎)」が披露される。五条の東の橋詰、三条縄手の東、祇園の町のうしろに舞台を建てたともいう。1604年、伊勢国桑名、1607年、江戸城で興行したともいう。その後の消息は不明とされる。晩年、故郷で出家し智月尼と称したともいう。
 歌舞伎踊、阿国歌舞伎の創始者とされる。
◆阿国・歌舞伎 四条河原は、南北朝時代以来の市民の歓楽地だった。勧進田楽、猿楽を行う市民の遊散所でもあった。当時の鴨川の東岸は、現在の大和大路まで、西岸は現在の河原町辺りまであった。一帯は広大な広場であり、芝居小屋なども建ち並ぶ遊興地だった。
 近世の初め、戦乱の犠牲者を祀る御霊会に伴い風流踊(念仏踊)が流行した。この風流踊に仮面を付けず振りをそろえた舞踏劇が流行る。
 安土・桃山時代、1582年に、10歳の出雲阿国は、奈良春日若宮で「ややこ踊」という少女踊を舞う。1600年には、京都の近衛殿、宮中で「クニ」「菊」が雲州(出雲国)のややこ踊を演じたという。(『時慶卿記』)。
 1603年に、阿国は北野神社境内を拠点として、男装帯刀し「歌舞伎踊(阿国歌舞伎)」を披露した。当時の若者「かぶき者」が茶屋女(遊郭)に通う姿に扮し、念仏踊と滑稽寸劇を演じて人気を博した。その後、四条祇園社の近くでも興行する。
 四条河原での阿国による興行はなかったといわれている。四条河原町の小屋掛けで演じられたのは、阿国の踊りを真似た六条柳町(六条三筋町)の遊女による総踊、遊女歌舞伎だったという
 阿国、名古屋山三(名護屋山三郎)らは、歌舞伎(傾奇が語源)の創始者とされている。阿国は派手な衣装をまとい、黄金の太刀に、首には十字架を掛けていた。阿国は若衆に扮し、女装した若者相手に、恋のさまを踊るという趣向だった。当時の世相、風俗、事件なども踊りに折り込み、都人の「天下一の女」との評判を取る。三味線はまだなく、囃子方には笛、太鼓、鼓があり、猿若という道化役者が加わっていた。
 阿国は、五条大橋(いまの松原橋付近)の河原で小屋掛けしたともいう。以後、多くの追従者による遊女歌舞伎、女歌舞伎が生まれる。その後、豊臣秀吉は、伏見城への通行の邪魔になるとして、大村梅庵により四条河原に移させたともいう。1604年に阿国は京都を去り、地方巡業を続けたという。1607年には江戸城に招かれて踊ったともいう。
◆阿国像  ◈四条大橋東詰北に「阿国像」がある。1994年11月に「歌舞伎発祥400年」記念として、京都洛中ライオンズクラブにより立てられた。刀脇差、ロザリオの傾き姿になっている。
 「かぶき踊の祖 出雲の阿国 都に来たりて その踊を披露し 都人を酔わせる」の碑文が刻まれている。「此比、かぶき踊りと云事有、是は出雲国神子女名は国、但非好女、仕出、京都へ上る、縦(たとえ)ハ異風なる男のまねをして、刀脇指衣装以下殊異相、彼男茶屋女と戯る体有難くしたり、京中の上下賞翫(しょうがん)する事不斜、伏見城江へも参上し、度々踊る、その後学之、かぶきの座いくらも有て諸国へ下る、但江戸右大将秀忠公は終不見給」(『当代記』)
 
◈「阿国歌舞伎発祥乃地」の碑は、四条大橋東側、南座の西入り口にある。1953年に松竹により建立された。鞍馬石。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 出雲の阿国像碑文、『京都大事典』、 『歴史の京都4  芸術家と芸能家』、『阿国かぶき前後』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 出雲の阿国像 〒605-0076 京都市東山区川端町, 川端四条 四条大橋東詰北側
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