|
|
後朱雀天皇 圓乗寺陵 (京都市右京区) Imperial mausoleum of Emperor Gosuzaku |
|
後朱雀天皇 圓乗寺陵 | 後朱雀天皇 圓乗寺陵 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() 「後朱雀天皇 圓乗寺陵」の石標 ![]() ![]() |
龍安寺境内の北に圓乗寺陵(えんじょうじ-の-みささぎ)がある。 平安時代中期第69代・後朱雀天皇(ごすざく-てんのう)が葬られている。三陵が同域にある。 龍安寺朱山七陵の一つに数えられる。 ◆歴史年表 平安時代、1045年、1月18日、後朱雀天皇は洛東の三条第で亡くなった。2月21日、香隆寺(高隆寺)の乾の原(乾原)で火葬された。遺骨は、仁和寺内の円教寺に納められる。(『帝王編年記』) 1055年、10月、円教寺に新堂が建立され、円乗寺とされた。陵名は圓乗寺陵に改められた。 1107年、陵は後三条天皇陵近くにあると記されている。(『中右記』) 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵では、現在地が陵として修陵されている。 ◆後朱雀天皇 平安時代中期の第69代・後朱雀天皇(ごすざく-てんのう、1009-1045)。敦良(あつなが)、法名は精進行。京都の土御門殿で生まれた。第66代・一条天皇の第3皇子、母は太皇太后・彰子(上東門院、藤原道長の娘)。生後1カ月余で親王宣下を受けた。1017年、三条院の皇子・敦明親王の東宮辞退後、9歳で同母兄・第68代・後一条天皇の皇太弟になる。1021年、道長の娘・嬉子(よしこ)が敦良親王に入る。1025年、嬉子は親仁親王(第70代・後冷泉天皇)を産み、直後に亡くなる。1036年、後一条天皇が没し、践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)、28歳で即位した。彰子の弟・藤原頼通が引き続き関白になる。1037年、三条天皇皇女・禎子内親王(母は道長の娘・妍子)を皇后にし、関白頼通の養女・嫄子(一条天皇皇子・敦康親王の娘)を皇后とした。1040年、荘園整理令を発議した。1045年、病により皇子・親仁親王(後冷泉天皇)に譲位する。頼通の反対を押し切り、尊仁(たかひと)親王(第71代・後三条天皇)を皇太弟に定め、院政への道を開く。1055年、天皇の御願により、円教寺内に新堂として円乗寺が創建された。 藤原氏の全盛期で、政治の主導権は道長から子・頼通に引き継がれた。すでに摂関家の全盛期は過ぎていた。興福寺、延暦寺の僧徒が強訴し、京中では放火が頻発した。著『後朱雀天皇御記(長暦御記)』。京都で没した。37歳。 火葬塚(北区)がある。陵墓は円乗寺陵(右京区)になる。 ◆円教寺 円教寺(えんきょうじ)は、四円寺(しえんじ)の一つだった。詳細は不明。平安時代、998年、第66代・一条天皇の御願により創建された。現在の右京区谷口円成寺町、花園円成寺町付近にあったとみられている。1012年、天皇の周忌法要が行われている。この時、東西廊、南大門などがあった。1013年に塔が建てられていた。1018年に焼失し、1034年に再興され、丈六金色大日如来などが造立された。その後については不明。 ◆円乗寺 円乗寺(えんじょうじ)は四円寺(しえんじ)の一つだった。現在の右京区谷口円成寺町、花園円成寺町付近にあったとみられている。1055年、第69代・後朱雀天皇の御願により、円教寺内の新堂として創建された。丈六金色釈迦如来などが安置されていた。大門、廻廊、経蔵、鐘楼などが建てられていた。1068年、五大堂が建てられ、五大尊を安置する。1097年、大風により倒壊する。1105年に焼失した。その後、再興されず「焼堂」と呼ばれた。 ◆龍安寺朱山七陵 龍安寺(竜安寺)朱山七陵は、龍安寺七陵ともいう。龍安寺の北、北東にある朱山(しゅやま)に点在する天皇陵、皇后陵、近くの火葬所をいう。 後三条天皇陵、後冷泉天皇陵、後朱雀天皇陵、禎子内親王陵、一条天皇陵、堀河天皇陵、円融天皇火葬所になる。 ◆陵墓 陵形は円丘であり、南面している。 平安時代、1045年1月18日、後朱雀天皇は洛東の三条第で亡くなった。2月21日、香隆寺(高隆寺)の乾の原(乾原)で火葬された。まだ、御願寺の円乗寺が完成しておらず、遺骨は、仁和寺内に隣接した円教寺に納められる。その後、現在地に陵が築かれた。1055年10月、円教寺に新堂が建立され、円乗寺と名付けられた。その後、陵名も圓乗寺陵に改められた。1107年、陵は後三条天皇陵近くにあると記されている。(『中右記』) 江戸時代、1862年-1863年の文久の修陵 では、現在地が陵として修陵されている。 堂域内の西に後冷泉天皇陵、後三条天皇陵がある。 66 一条天皇 (在位:986-1011)→67 三条天皇 (在位:1011-1016) →68 後一条天皇 (在位:1676-1696)→69後朱雀天皇 (在位:1036-1045) →70 後冷泉天皇 (在位:1045-1068) →71 後三条天皇 (在位:1068-1072) *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『検証 天皇陵』、『天皇陵 謎解き完全ガイド』、『歴代天皇125代総覧』、『京都市の地名』、『京都大事典』、『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|