一条天皇 圓融寺北陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Ichijo
一条天皇 圓融寺北陵 一条天皇 圓融寺北陵
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一条天皇 円融寺北陵


「一条天皇 圓融寺北陵」の石標


陵からの南西の眺望


【参照】一条天皇・三条天皇火葬場(北区衣笠鏡石町2-14)
 龍安寺の北東の中腹に圓融寺北陵(えんゆうじ の きた の みささぎ)はある。
 平安時代中期の第66代・一条天皇(いちじょう てんのう)を葬っている。第73代・堀河天皇陵と同域になる。龍安寺(竜安寺)朱山七陵の一つに数えられる。
◆歴史年表 平安時代、1011年、6月22日、一条天皇は一条院(上京区)で亡くなる。7月8日夜、火葬の後、遺骨は円城寺(円成寺)に安置された。一条天皇は、父・第66代・円融天皇の陵の傍らに土葬することを遺詔していた。
 1020年、6月16日、没後9年後に遺骨は円融寺北、円融天皇火葬所の傍らに納められたという。(『左経記』)
 その後、陵所は不明になる。
 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵 では、現在地の堀河天皇陵と同地とされ、修陵された。堀河天皇陵とともに、現在地が一条天皇陵として修陵された。
 1864年、一条天皇陵、堀河天皇陵に各々拝所が設けられた。
 近代、1912年、2陵共用の拝所に変えられる。
◆一条天皇 平安時代中期の第66代天皇・一条天皇(いちじょう てんのう、980-1011)。懐仁(やすひと)。法名は精進覚。第64代・円融天皇の第1皇子。母は藤原兼家の娘・東三条院詮子(せんし)(道長の姉)。984年、5歳で従兄・第65代・花山天皇の皇太子になり、986年、花山天皇が外祖父・兼家らにより退位出家したため、懐仁親王は7歳で即位した。藤原家の念願であり、兼家が摂政になる。990年、元服した。兼家の没後、その子・道隆が摂関の地位を継いで権力を握る。995年、道隆の没後、その弟・道兼が就任数日で亡くなる。その弟・道長が内覧の大臣として政権を掌握した。詮子の後押しがあった。998年、御願により円教寺が創建された。1000年、中宮に道隆の娘・定子(さだこ/しょうし)が入る。道長は皇后とし、自らの娘・彰子(あきこ)を入れて中宮にして対立した。この「一帝二后」は前例のないことだった。彰子は、第68代・後一条、第69代・後朱雀両天皇を産む。1011年、三条天皇に譲位した。出家し、病没した。32歳。
 在位は25年間になり、平安時代では第60代・醍醐天皇に次いで長い。藤原道長の全盛期であり、天皇との確執が生まれる。律令制は徐々に崩壊する。母・詮子の政治介入もあった。宮廷女流文学の最盛期であり、定子に仕えた清少納言、彰子に仕えた紫式部らが互いに競った。日記に『一条天皇御記』がある。
 火葬塚(北区)がある。陵墓は円融寺北陵(右京区)になる。
◆円融寺 円融寺(えんゆうじ、円融院)は、四円寺(しえんじ)の一つに数えられ、龍安寺付近にあった。また、龍安寺付近ではなく、仁和寺付近にあり、仁和寺の末寺だったともいう。
 平安時代、967年、第59代・宇多天皇孫・寛朝法親王(916-998)の禅室を前身にしている。983年、第64代・円融天皇の御願により創建された。
 本堂に七仏薬師などを安置した。池東に法華三昧堂が建てられていた。985年、円融法皇の御所になる。988年、五智如来を安置する五重塔が建てられている。991年、円融法皇の没後、遺骨は北に葬られ、その墓守寺になる。後に、廃寺になった。
 円融寺には、円融院山陵(仁和寺山陵)があり、複数の天皇が埋葬されていたという。方角忌により当所に改葬された第66代・一条天皇、第69代・後朱雀天皇、第70代・後冷泉天皇、第71代・後三条天皇、陽明門院(後三条天皇の母)などであり、第73代・堀河天皇は方角忌により当所を避けて別の陵に変更されている。(『中右記』)
◆円教寺 円教寺(えんきょうじ)は、四円寺(しえんじ)の一つだった。詳細は不明。平安時代、998年、第66代・一条天皇の御願により創建された。現在の右京区谷口円成寺町、花園円成寺町付近にあったとみられている。1012年、天皇の周忌法要が行われている。この時、東西廊、南大門などがあった。1013年に塔が建てられていた。1018年に焼失し、1034年に再興され、丈六金色大日如来などが造立された。その後については不明。
◆龍安寺朱山七陵 龍安寺(竜安寺)朱山七陵は、龍安寺七陵ともいう。龍安寺の北、北東にある朱山(しゅやま)に点在する天皇陵、皇后陵、近くの火葬所をいう。
 後三条天皇陵、後冷泉天皇陵、後朱雀天皇陵、禎子内親王陵、一条天皇陵、堀河天皇陵、円融天皇火葬所になる。
◆陵墓 陵は、円丘であり、山の中腹に南面している。一条天皇の葬送では、歴代天皇の中で方角忌が最初に行われている。遺骨が堂内に納められた最初の天皇になる。西に隣接して堀河天皇陵がある。
 平安時代、1011年6月22日、一条天皇は一条院(上京区)で亡くなる。7月8日夜、火葬の後、遺骨は金輪寺(きんりんじ)に遷されるはずが、日次(ひなみ)が悪く円城寺(円成寺)に安置された。また、北山長坂野に葬られ、円城寺に安置されたという。(『日本紀略』)。方忌を避けるために、一度、円城寺に遺骨を仮置きしたともいう。陵は「円成寺」と呼ばれたという。一条天皇は、父・第66代・円融天皇の陵の傍らに土葬することを遺詔していたことが判明する。この方角が塞がっており、このため、1020年6月16日夜、没後9年後に遺骨は円融寺北、円融天皇火葬所の傍らに納められたという。(『左経記』)。陵地は、「円融院山陵(仁和寺山陵)」とも呼ばれ、複数の天皇が葬られていたという。その後、陵所は不明になる。
 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵 では、堀河天皇陵とともに、現在地が一条天皇陵として修陵された。1864年、一条天皇陵、堀河天皇陵に各々拝所が設けられた。近代、1912年に2陵共用の拝所に変えられる。


64 円融天皇 (在位:969-984)→65 花山天皇(在位:984-986) →66 一条天皇 (在位:986-1011) →67 三条天皇 (在位:1011-1016) →68 後一条天皇( 在位:1016-1036) →69 後朱雀天皇 (在位:1036-1045)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『古代史研究の最前線 天皇陵』『京都市の地名』『京都大事典』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 一条天皇 圓融寺北陵 〒616-8001 京都市右京区龍安寺朱山 龍安寺御陵ノ下町13
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