後三条天皇 圓宗寺陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Gosanjo
後三条天皇 圓宗寺陵 後三条天皇 圓宗寺陵
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 龍安寺境内の北に圓宗寺陵( えんそうじ の みささぎ)がある。   
 平安時代中期の第71代・後三条天皇(ごさんじょう てんのう)が葬られている。
◆歴史年表 平安時代、1073年、5月7日(新暦6月15日)、後三条天皇は但馬守高房大炊御門(おおいみかど)宅で亡くなった。5月17日、葬儀があり、神楽岡南の原で火葬にされる。遺骨は、禅林寺(永観堂)内の旧房に安置された。(『皇代記』)。神楽岡の東原に葬られたともいう。(『扶桑略記』)
 その後、朱山麓に陵が築かれたという。
 1107年以前、陵は仁和寺の寺地内、円融寺の四至内に移されたという。(『中右記』)
 鎌倉時代、1308年、後宇多和法皇は、仁和寺・円宗寺に行幸し、「後三条院法華堂」に参拝した。(『公秀日記』)。その後、陵所は不明になる。
  江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵 では、『中右記』の記述に依拠して陵として修陵された。
◆後三条天皇 平安時代中期の第71代・後三条天皇(ごさんじょう てんのう、1034-1073)。名は尊仁(たかひと)。法名は金剛行。第69代・後朱雀天皇の第2皇子。母は第67代・三条天皇の皇女・禎子(よしこ)内親王 (陽明門院) であり、200年ぶりの藤原氏以外の出身だった。3歳で親王宣下を受ける。1045年、異母兄・親仁親王(第70代・後冷泉天皇)の即位に際し12歳で東宮になる。1046年、元服、大納言・藤原能信の養女・茂子(実父は中納言・藤原公成)を妃にする。1068年、後冷泉天皇の死により35歳で践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)し即位した。藤原教通(のりみち)を関白とした。1069年、記録荘園券契所(けんけいじょ)を設けた。1070年、御願により円宗寺を創建し、法華会、最勝会を勅修した。1072年、第1皇子・貞仁(さだひと)親王(第72代・白河天皇)に譲位し、第2皇子・実仁親王(白河天皇の異母弟)を東宮にした。1073年、院蔵人所(いんのくろうどところ)を置き、後の院政の布石になる。同年、亡くなり、遺骸は神楽岡で荼毘に付された。陵墓は円宗寺陵(右京区)になる。天王塚陵墓参考地(左京区平安神宮境内)が火葬塚という。
 外戚に藤原摂関家がなく、藤原氏の内紛に乗じて親政を行う。第59代・宇多天皇以来170年ぶりのことだった。反摂関家的立場にあり、それまで冷遇されていた中下級貴族の村上源氏、大江匡房(おおえのますふさ)、受領(ずりょう、任国で実務した国司)、皇族出身者を登用した。荘園整理令の発布、実施するための記録荘園券契所の設置により不正な荘園を廃しようとした。成功(じょうごう、売官) 、重任(ちょうにん)を厳禁した。収公された荘園の多くは天皇領になり、摂関家、大寺社の打撃になる。禁中の調度供御を簡約にし、標準桝として宣旨枡(せんじます、延久宣旨枡)を定め、全国的な一国平均役の徴収をした。中世の土地の基本台帳になる大田文(おおたぶみ)を作成した。学を好み、日吉社などの諸社に行幸した。
◆円宗寺 円宗寺(えんしゅうじ)は、四円寺(しえんじ)の一つに数えられ、最も規模が大きかった。平安時代、1070年、第71代・後三条天皇の御願により創建された。
 仁和寺の前方東(右京区御室堅町、小松野町付近)にあったという。境内には、金堂、講堂、法華堂が建てられていた。1071年、常行堂、灌頂堂、五大堂が建てられる。鎌倉時代、1233年、南大門、金堂、常行堂があり、そのほかは荒廃していた。その後、廃絶したという。
◆陵墓 陵形は円丘になる。南面している。
 平安時代、1073年5月7日(新暦6月15日)、後三条天皇は但馬守高房大炊御門(おおいみかど)宅で亡くなった。5月17日、葬儀があり、神楽岡南の原で火葬にされる。遺骨は、禅林寺(永観堂)内の旧房に安置された。(『皇代記』)。神楽岡の東原に葬られたともいう。(『扶桑略記』)。その後、朱山麓に陵が築かれたという。1107年以前、陵は仁和寺の寺地内、円融寺の四至内に移されたという。(『中右記』)。また、陵は「円宗寺」と呼ばれていたという。円宗寺は、後三条天皇の御願寺になる。鎌倉時代、1308年、後宇多和法皇(第91代)は、仁和寺・円宗寺に行幸し、「後三条院法華堂」に参拝したという。(『公秀日記』)。その後、陵所は不明になる。江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵では、『中右記』の記述に依拠して陵として修陵された。
 同域内の東に隣接して後冷泉天皇陵、後朱雀天皇陵がある。


67 三条天皇 (在位:1011-1016)→68 後一条天皇 (在位:1016-1036) →69 後朱雀天皇 (在位:1036-1045)→70 後冷泉天皇 (在位:1045-1068) 71 後三条天皇 (在位:1068-1072) →72 白河天皇 (在位:1072-1086)


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『京都市の地名』『京都大事典』『図説天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後三条天皇 圓宗寺陵  〒616-8001 京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
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