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禎子内親王陵 (京都市右京区) Imperial mausoleum of princess Teishi |
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禎子内親王陵 | 禎子内親王陵 |
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龍安寺境内北東に、平安時代後期の第69代・後朱雀天皇の皇后・禎子内親王陵(ていし-ないしんのう-みささぎ)はある。 陽明門院陵(ようめいもんいん-みささぎ)、円乗寺東陵(えんじょうじ-ひがし-の-みささぎ)ともいう。 ◆歴史年表 平安時代、1094年、1月16日(新暦2月3日)、禎子内親王は亡くなる。仁和寺山陵、後朱雀天皇陵の東の現在地に葬られた。(『中右記』) ◆禎子内親王 平安時代後期の女性・禎子内親王(ていし/さだこ/よしこ-ないしんのう、1013 -1094)。名は禎子、陽明門院 (ようめいもんいん)。 第67代・三条天皇の第3皇女、母は摂政・藤原道長の娘・皇后妍子(けんし/きよこ)。1013年、内親王宣下を受け、1015年、着袴(ちゃっこ、幼児成長の祝い)、三宮に准ぜられる。1023年、上東門院で裳着(もぎ、成人の祝い)、一品に叙される。1027年、皇太子・敦良(あつなが)親王(後の第69代・後朱雀天皇)に入内する。1030年、良子内親王(後の伊勢斎宮)を産む。1032年、娟子(けんし)内親王(後の賀茂斎院)を出産した。1034年、尊仁(たかひと)親王(後の第71代・後三条天皇)を出産した。1036年、夫・敦良親王(後朱雀天皇)が即位した。1037年、中宮になる。だが、嫄子(藤原頼通の養女)の立后で皇后宮になる。以後、摂関家との関係は悪化した。1045年、後朱雀天皇が亡くなり、第70代・後冷泉天皇が即位し、子・尊仁が立太子する。禎子は出家した。1051年、皇太后になる。1068年、後冷泉天皇の没後、子・尊仁親王(後三条天皇)が即位した。太皇太后になる。1069年、女院を宣下され陽明門院と号した。1072年、後三条天皇は第72代・白河天皇に譲位する。1073年、後三条上皇は亡くなり、孫娘・篤子内親王を養女にする。白河天皇は、父・後三条上皇の遺命に背き、異母弟・輔仁親王ではなく、自らの皇子・善仁親王(後の第73代・堀河天皇)に譲位した。禎子は反発する。子・篤子が第73代・堀河天皇に入内し、立后する。1094年、疱瘡で亡くなる。82歳。 陵墓は禎子内親王陵(右京区)になる。 ◆龍安寺朱山七陵 龍安寺(竜安寺)朱山七陵は、龍安寺七陵ともいう。龍安寺の北、北東にある朱山(しゅやま)に点在する天皇陵、皇后陵、近くの火葬所をいう。 後三条天皇陵、後冷泉天皇陵、後朱雀天皇陵、禎子内親王陵、一条天皇陵、堀河天皇陵、円融天皇火葬所になる。 67 三条天皇 (在位:1011-1016) →68 後一条天皇 (在位:1016-1036 )→69 後朱雀天皇 (在位:1036-1045)→70 後冷泉天皇 (在位:1036-1045) →71 後三条天皇 (在位:1068-1072) →72 白河天皇 (在位:1072-1086) →73 堀河天皇 (在位:1086-1107) *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『歴代天皇・皇后総覧』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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