上善寺 (鞍馬口地蔵) (京都市北区)
Jozen-ji Temple
上善寺 (鞍馬口地蔵) 上善寺 (鞍馬口地蔵) 
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「第一番六地蔵寺」の石標が門前脇に立つ。


「贈 正四位入江九一外七名首塚」の石標」


本堂


本堂






地蔵堂


地蔵堂、扁額「地蔵寺」


地蔵堂、鞍馬口地蔵







観音堂
 上善寺(じょうぜんじ)は、旧街道筋、鞍馬口通に面してある。通りを東に進むと鴨川に架かる出雲路橋に行きつき、付近は鞍馬街道の出雲路口(鞍馬口)として、鞍馬寺参りの入り口にあたっていた。
 山号は千松山(せんしょうざん)、院号は遍照院(へんしょういん)という。
 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀仏坐像。
 六地蔵巡りの5番。鞍馬口地蔵は安産、腹帯祈願、水子供養の信仰を集めた。
◆歴史年表 平安時代、863年、貞観年間(859-877)、僧・慈覚大師円仁により、天台密教の道場として開かれた。かつては千本今出川(上京区)にあり、最盛期には塔頭13院を有した。
 その後、幾度かの火災により焼失、衰退した。
 室町時代、文明年間(1469-1487)、1483年とも、春谷盛信上人により天台真盛宗として再興される。寺号も上善寺とした。
 第103代・後土御門天皇(1442-1500)の勅願寺になる。続く第104代・後柏原天皇(1464-1526)が授戒し、山号「千松山」の勅額を贈られる。不断念仏道場の綸旨も賜る。この頃、寺運隆盛になる。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、13世・肝誉上人の時とも、浄土宗に改宗する。
 安土・桃山時代、1594年、天正年間(1573-1592)とも、12世・善照上人の時、豊臣秀吉の都市改造により千本今出川から現在地に移される。塔頭・子院10坊となる。
 江戸時代、1634年、嵯峨今林・蓮華清浄寺より本尊・阿弥陀仏坐像が遷された。
 近代、1918年、地蔵堂が再建された。
 現代、2016年、地蔵堂が新造される。
◆円仁 平安時代前期の天台僧・円仁(えんにん、794-864)。慈覚大師。下野国に生まれた。9歳で大慈寺・広智に師事、808年、15歳で唐より帰国した比叡山の最澄に師事、最期まで14年間仕えた。815年、東大寺で具足戒を受ける。比叡山で12年の籠山行に入る。だが、5年後、法隆寺、四天王寺での夏安吾(げあんご、修行僧の集団生活による一定期間の修行)講師、東北への教化を行う。一時心身衰え、829年、横川に隠棲した。常坐三昧、法華経書写などの苦修練行を続け、夢中に霊薬を得て心身回復し、法華経書写を始め、小塔(如法堂)を建て写経を納めたという。首楞厳院(しゅりょうごんいん)を建立した。836年、837年、渡唐に失敗、838年、最後の遣唐使として渡る。その後、遣唐使一行から離れ、840年、五台山・大花厳寺を巡礼し国清寺で学ぼうとしたが許可が下りなかった。長安・大興善寺で金剛界の灌頂を受け、青竜寺で胎蔵界灌頂、蘇悉地大法を授かる。また、悉曇(梵語)、止観(禅)も学んだ。山東半島、赤山新羅坊の新羅寺・赤山法華院で新羅仏教を学ぶ。現地では仏教弾圧(会昌の破仏)があり、日本と新羅はこの間に国交断絶していた。847年、帰国、仏典、金剛界曼荼羅など多数を持ち帰る。848年、比叡山に戻り、円珍に密教を教えた。横川中堂(根本観音堂)を建立する。854年、第3世・天台座主に就く。862年、東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立した。『顕揚大戒論』、9年6カ月の唐滞在記である『入唐求法巡礼行記』(全4巻)を著す。東京・瀧泉寺、山形・立石寺、松島・瑞巌寺など多くの寺を開いた。没後、日本初の大師号(慈覚大師)を贈られた。入唐八家(最澄・空海など)の一人。
◆肝誉 江戸時代の浄土宗の僧・肝誉(生没年不詳)。詳細不明。13世。上善寺を浄土宗に改宗した。
◆入江九一 江戸時代末期・尊攘志士・入江九一(1837-1864)。長州(萩)藩の足軽の家に生まれた。吉田松陰の門下生となり、尊王攘夷に加わる。1859年、弟・和作とともに藩により投獄された。1863年以降、藩により登用され、高杉晋作らの下関での奇兵隊設立に加わる。1864年、禁門の変で鷹司邸内で負傷し、切腹した。墓は上善寺にある。
◆仏像 本尊の「阿弥陀仏坐像」は、江戸時代、1634年に、嵯峨今林・蓮華清浄寺より遷された。奈良時代、行基(668-749)作と伝えられる。
 蓮華清浄寺(右京区嵯峨大覚寺門前六道町)は、第91代・後宇多天皇皇后・遊義門院(れい子内親王、1270-1307)を開山とした。第108代・後水尾天皇(1596-1680)により大聖寺門跡の隠居所として与えられたという。現在、旧地に「蓮華清浄寺跡」の石標が立つ。石標の揮毫は、大聖寺27世門跡・花山院慈薫尼(-2006)による。 *「れい」は「女」+「令」。
 平安時代の「阿弥陀如来立像」、「十一面観音立像」、「観音菩薩立像」がある。
◆地蔵・石仏 地蔵堂に安置されている六地蔵巡りのひとつ鞍馬口地蔵は、「深泥池(みどろがいけ)地蔵」「姉子地蔵(姉子の地蔵)」とも呼ばれる。顔立ち、姿が女性的で美しいとされる。右手に錫状、左手に宝珠を持つ。江戸時代に彩色され、その下にさらに古い彩色痕があった。極彩色、桜材、一木造、木造漆箔、像高1.94m。
 これに対して、常盤地蔵は「乙子の地蔵」とも呼ばれる。
 地蔵尊は、かつて小幡の里に安置されていた。平安時代、保元年間(1156-1159)、深泥池の畔にあった。近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈後、上賀茂神社の社頭に当たるとして、一時は民家に遷された。その後、再びこの地に遷される。
 伝承がある。平安時代初期に、小野篁が冥土で生身の地蔵尊を拝して蘇ったという。その後、桜の一木から刻んだ六体の地蔵の一つという。
 
「天道大日如来」は、鎌倉時代中期以前作とされる。舟形光背、花崗岩製、像高1.6m。
 鎌倉時代の石仏がある。花崗岩製。
◆建築 地蔵堂は、現代、2016年に新たに建立された。六角堂になる。間口6m、のべ床面積23㎡。
 観音堂は、近代、1918年に建てられている。かつて地蔵堂として使われた。正方形、宝形造。
◆文化財 南北朝時代の「弁才天十五童子像」、鎌倉時代の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」。
◆六地蔵巡り 六地蔵巡りは8月22日、23日の両日に、洛外6寺の地蔵尊を巡る。六地蔵とは、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」の六道に迷い苦しむ衆生のために発願されたものという。
 由来、場所については諸説あり、変遷も見られる。平安時代初期、小野篁(802-853)は、冥土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えにより蘇生した。852年、篁は、木幡山の桜の大木より6体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(現在の大善寺)に安置したとされる。(『都名所図会』)
 1157年、保元年間(1156-1159)、都で疫病が流行した際に、第77代・後白河天皇は、都の出入り口に6体の地蔵尊を祀るように平清盛に命じた。西光法師(?-1177)が、京洛の街道口6か所(七道の辻とも)毎に、地蔵菩薩を造ったという。卒塔婆の上に道場を建て、像を安置し「廻り地蔵」と名付けて供養した。地蔵尊に、疫病退散、都往来の路上安全、福来結縁の祈願が行われ、法師は廻地蔵と名付けたという。(『源平盛衰記』中「西光卒塔婆事」。『六地蔵縁起』、大善寺、 江戸時代、1665年)。
 地蔵尊が置かれた場所は、四ノ宮河原(東海道、三条口)、小幡の里(伏見街道、五条橋口)、造道(つくりみち、鳥羽街道、東寺口)、西七条(西国街道、丹波口)、蓮台野(丹波街道、長坂口)、深泥池(みぞろいけ、鞍馬街道、鞍馬口)、西坂本(敦賀街道、大原口)だったという。(『源平盛衰記』中「西光卒塔婆事」)
 室町時代、七道の辻は、西院、壬生、八田(やだ)、屋根葺、清和院、正親町(おおぎまち)、西洞院に置かれた。
 江戸時代、6所にそれぞれ六角円堂を建て、地蔵菩薩を安置したという。場所は、四ノ宮河原、六地蔵の里、上鳥羽、御菩薩(みぞろ、深泥池)、桂の里、常盤院になる。寛永年間(1661-1673)、ほぼ現在の六地蔵巡り、6か寺になる。
 昭和期(1926-1989)初期、六地蔵会が発足し、現在の六色の札(お幡)が生まれた。参詣者は、各寺の六色の札を玄関に吊るし、1年間の疫病退散、家内安全、福徳招来の護符にする。初盆には水塔婆供養し、3年間巡拝すると六道の苦を免れるとされた。
 現在は、1番-大善寺(伏見六地蔵、奈良街道)。2番-浄禅寺(鳥羽地蔵、西国街道・上鳥羽)。3番-地蔵寺(桂地蔵、丹波街道)。4番-源光寺(常盤地蔵、周山街道)。5番-上善寺(鞍馬口地蔵、若狭街道・鞍馬口通)。6番-徳林庵(山科地蔵、東海道・四ノ宮)になる。いずれも旧街道口に当る。
 かつて六地蔵巡りでは、地蔵尊を背負い、六斎念仏、賽の河原地蔵和讃などを唱えながら廻ったという。大善寺の地蔵尊は6所に安置された地蔵尊の根本像になり、寺号も六地蔵と呼ばれるようになった。なお、智恵光院(上京区)地蔵堂に安置されている丈六の六臂(ろっぴ)地蔵像は、京都の六地蔵尊すべてを巡礼するのと同じ功徳があるといわれている。
◆庭園 「二河白道の庭」「釈迦八相の庭」「三笑の庭」「仏教伝来の庭(二祖対面の庭)」がある。
◆墓 境内には琵琶の菊亭家(今出川家)、四条家、冷泉家の為益(1516-1570)-為頼(1592-1627)、鷲尾家、西辻家など旧華族、越前松平家がある。
 禁門の変(1864)で犠牲になった長州藩士・入江九一(1837-1864)ら8人の首塚、墓もある。久留米藩士・原道太(1838-1864)、久留米藩士・半田門吉(1834-1864)、土佐の那須俊平(1807-1864)、長門の田村育蔵(1836-1864)、緒方弥左衛門、讃岐高松藩士の小橋友之輔(1846-1864)、ほか一人は越前藩士・桑山十蔵により主君・松平春獄の許可の下、越前藩菩提寺の当寺に葬られる。長州藩士首塚碑も立つ。
◆年間行事 六地蔵巡り(小山郷六斎念仏(国の重要無形文化財指定)が奉納される。)(8月22日-23日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都歴史案内』『京都府の歴史散歩 上』『京都大事典』『洛東探訪』『京都の寺社505を歩く 上』『新選組と幕末の京都』『新版 京のお地蔵さん』『日本の名僧』『京の福神めぐり』


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地蔵堂

天道大日如来

天道大日如来


石仏群の地蔵尊

地蔵尊

六斎念仏踊り、小山郷六斎保存会(8月22日)、当会は芸能六斎。演目は月鉾の祇園囃子を取り入れたという「祇園ばやし」

【参照】「蓮華清浄寺跡」の石標(右京区嵯峨大覚寺門前六道町)
 上善寺 〒603-8139 京都市北区上善寺門前町338,鞍馬口通寺町東入る北側  075-231-1619 
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