源光寺 (常盤地蔵) (京都市右京区) 
Genko-ji Temple
源光寺 (常盤地蔵)  源光寺 (常盤地蔵)
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山門




六角堂(地蔵堂)







美薬大菩薩


厄除観世音菩薩


トゲ抜き地蔵尊


トゲ抜き地蔵尊


 常盤(ときわ)に源光寺(げんこうじ)はある。「源光庵」、「常盤地蔵」、「乙子地蔵(おとご/おとこの-じぞう)」ともいわれている。
 臨済宗天龍寺派の尼寺。本尊は観音菩薩。
 六角堂(地蔵堂、根本中堂)に、六地蔵巡りの一つ、第6番の常盤谷地蔵を安置する。結願寺になる。因縁解決、霊障、悪因縁を善因縁に変えるとの信仰がある。
 京洛六地蔵巡り第4番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代末期、常盤御前(1138-?)により、常盤院(ときわいん)という浄土宗の庵が結ばれたという。(『京都府地誌』)
 江戸時代、1778年、真錘尼が禅宗・臨済宗に改めた。霊源禅師を中興開山に請じて再興されたという。
 現代、1945年以降、源光寺に改める。
◆常盤御前 平安時代後期の女性・常盤御前(ときわ-ごぜん、1137-?)。詳細は不明。第76代・近衛天皇皇后・九条院藤原呈子(ていし)の雑仕女になる。16歳で源義朝の側室になり、今若、乙若、牛若(義経)らを産む。1159年、平治の乱で義朝が敗れ謀殺された。1160年、常盤御前は3人の子とともに、平清盛の追手から逃れ大和に匿われた。母を平氏に人質としてとられ、六波羅へ子連れで自首した。清盛に見初められ、子らの命を救うために妾になる。子と別れ、一女・廓御方(左大臣藤原兼雅女房)を産む。後に、清盛の世話により大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、能成ら数人を産んだという。晩年は一人、生まれた常盤に暮らしたという。
 源光寺(右京区)には、供養塔が立つ。
◆真錘 江戸時代中期の臨済宗の尼僧・真錘(?-?)。詳細不明。1778年、常盤院を臨済宗に改めた。
◆霊源慧桃 江戸時代中期の臨済僧・霊源慧桃(れいげん-えとう、1721-1785)。俗姓は小島。丹後(京都府・兵庫県)に生まれる。全性寺で出家し、臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいん-えかく、1686-1768)の印可をうける。全性寺を中興、鎌倉・円覚寺、京都・臨川寺、鹿王院などに住した。仏画も嗜んだ。65歳。
◆地蔵・石仏  ◈六角堂(地蔵堂)に「常盤地蔵(常盤谷地蔵)」が安置されている。立像で右手に錫状、左手に宝珠を掲げている。「乙子(おとこの/おとご)地蔵」ともいわれた。当寺の地蔵がほかの五体の地蔵尊を作り上げた残木、末の部分で造立されたためという。これに対し、鞍馬口地蔵を「姉子の地蔵」とも呼ぶ。
 胡粉、彩色、像高1.4mあり、六地蔵のなかで最も小さい。
  ◈境内に石仏の厄除け観音、那智観音、中山寺・谷汲寺・竹生島の4体の観音がある。
◆六地蔵巡り 六地蔵巡りは8月22日、23日の両日に、洛外6寺の地蔵尊を巡る。六地蔵とは、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」の六道に迷い苦しむ衆生のために発願されたという。
 由来、場所については諸説あり、変遷も見られる。平安時代初期、小野篁(おの の たかむら、802-853)は、冥土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えにより蘇生した。852年、篁は、木幡山の桜の大木より6体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(現在の大善寺)に安置したとされる。(『都名所図会』)
 1157年、保元年間(1156-1159)、都で疫病が流行した際に、第77代・後白河天皇は、都の出入り口に6体の地蔵尊を祀るように平清盛に命じた。西光法師(?-1177)が、京洛の街道口6カ所(七道の辻とも)毎に、地蔵菩薩を造ったという。卒塔婆の上に道場を建て、像を安置し「廻り地蔵」と名付けて供養した。地蔵尊に、疫病退散、都往来の路上安全、福来結縁の祈願が行われ、法師は廻地蔵と名付けたという。(『源平盛衰記』・「西光卒塔婆事」。『六地蔵縁起』、大善寺、 江戸時代、1665年)。
 地蔵尊が置かれた場所は、四ノ宮河原(東海道、三条口)、小幡の里(伏見街道、五条橋口)、造道(つくりみち、鳥羽街道、東寺口)、西七条(西国街道、丹波口)、蓮台野(丹波街道、長坂口)、深泥池(みぞろいけ、鞍馬街道、鞍馬口)、西坂本(敦賀街道、大原口)だったという。(『源平盛衰記』・「西光卒塔婆事」)
 室町時代、七道の辻は、西院、壬生、八田(やだ)、屋根葺、清和院、正親町(おおぎまち)、西洞院に置かれた。
 江戸時代、6カ所にそれぞれ六角円堂を建て、地蔵菩薩を安置したという。場所は、四ノ宮河原、六地蔵の里、上鳥羽、御菩薩(みぞろ、深泥池)、桂の里、常盤院になる。寛永年間(1661-1673)、ほぼ現在の六地蔵巡り、6カ寺になる。
 昭和期(1926-1989)初期、六地蔵会が発足し、現在の六色の札(お幡)が生まれた。参詣者は、各寺の六色の札を玄関に吊るし、1年間の疫病退散、家内安全、福徳招来の護符にする。初盆には水塔婆供養し、3年間巡拝すると六道の苦を免れるとされた。
 現在は、第1番-大善寺(伏見六地蔵、奈良街道)。第2番-浄禅寺(鳥羽地蔵、西国街道・上鳥羽)。第3番-地蔵寺(桂地蔵、丹波街道)。第4番-源光寺(常盤地蔵、周山街道)。第5番-上善寺(鞍馬口地蔵、若狭街道・鞍馬口通)。第6番-徳林庵(山科地蔵、東海道・四ノ宮)になる。いずれも旧街道口に当る。
 かつて六地蔵巡りでは、地蔵尊を背負い、六斎念仏、賽の河原地蔵和讃などを唱えながら廻ったという。大善寺の地蔵尊は6カ所に安置された地蔵尊の根本像になり、寺号も六地蔵と呼ばれるようになった。なお、智恵光院(上京区)地蔵堂に安置されている丈六の六臂(ろっぴ)地蔵像は、京都の六地蔵尊すべてを巡礼するのと同じ功徳があるといわれている。
◆常盤山 歌枕の常盤山(ときわやま)、常盤の山は、鳴滝、北嵯峨の一帯の山の総称になる。
 「もみぢせぬときはの山は吹風のをとにや秋をききわたるらむ」(『古今集』秋下、紀淑望、二五一)。
◆常盤 付近の「常盤(ときわ)」の地名は、平安時代前期の公卿・源常(みなもと の ときわ、812-854)が、双ヶ丘の西(南とも)に営んだ山荘に由来するという。歌枕にもなった。
◆墓 「源氏義経御母室常盤御前御墓」(84㎝)と刻まれた石塔がある。
 この地は、源義経の母・常盤御前(1137-?)の生地とも、庵を結んだ地ともいう。3子を手離した後、墓所の地にあった桜の木のもとで庵を結んだという。常盤院と呼ばれたという。
◆年間行事 六地蔵巡り・大祭(8月22日-23日)。



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*年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『洛東探訪』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『新版 京のお地蔵さん』『京の尼寺 こころの旅』、『週刊 京都を歩く 26 東福寺周辺』、『京を彩った女たち』、『京都の地名検証』、『京の福神めぐり』 、ウェブサイト「コトバンク」


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源光寺 〒616-8225 京都市右京区常盤馬塚町1   075-872-8157
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