智恵光院 (京都市上京区)
Chieko-in Temple
智恵光院  智恵光院
  Home   Home







本堂



文殊塔


玄関


庫裏



吉之助の庭



地蔵堂、六臂地蔵尊を安置する。



地蔵堂



地蔵堂



獅子頭守護石



智恵弁財天



智恵弁財天
 智恵光院(ちえこういん)は、南北の同名の通り名、智恵光通に面している。
 地蔵堂に、平安時代の小野篁(おの の たかむら)作と伝わる六臂地蔵尊が安置されている。当寺に参ると、6つの六地蔵尊に巡礼するのと同じ功徳があるといわれている。
 称念山平等寺と号する。
 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀三尊像。
 京師七光院のひとつ。江戸時代、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第15番札所、札所本尊は六臂地蔵。
◆歴史年表 鎌倉時代、1294年、藤原(鷹司)兼平が、知恩院8世・如空(如一国師)を開山として、自家の菩提寺として創建した。(『蓮門精舎旧詞』)。当初は法勝寺北(左京区岡崎付近)にあったという。(『拾芥抄』)。智慧光院(法勝寺北、華園向)との関わりがあるともいう。
 その後(年代不詳、江戸時代以前とも)、現在地に移転した。
 江戸時代、1636年、焼失する。(『蓮門精舎旧詞』)
 寛文年間(1661-1673)、大いに栄える。塔頭4院があった。六臂地蔵は、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1730年、西陣焼けにより焼失した。(小久保家文書)
 1788年、天明の大火により焼失する。(小久保家文書)
 1855年、現在の建物が再建される。
 近代、太平洋戦争(1937-1945)中、建物強制疎開により境内が縮小され、塔頭4院は廃院になる。
◆鷹司兼平 鎌倉時代の公卿・鷹司(藤原)兼平(たかつかさ-かねひら、1228-1294)。近衛家実の4男。鷹司家の祖。1238年、従二位権大納言、右近衛大将となる。その後右大臣、左大臣を歴任。1252年、摂政・藤原氏長者、1254年、関白となる。一度辞任し、1275年、再度摂政・氏長者となった。23年の長期にわたり、摂政・関白の地位にあった。1290年、出家。1294年、智恵光院を開山した。能書家としても知られた。『とはずがたり』の近衛大殿の素材となる。67歳。
◆如一 鎌倉時代の浄土宗の僧・如一(にょいち、1262-1321)。京都に生まれた。知恩寺の道意について出家、慈心良空、良忠に学ぶ。知恩寺6世、知恩院8世、1294年、智恵光院の開山となる。和歌は「続千載歌集」などにおさめられている。法名は如空、諡号は「仏元真応智慧如一国師」で、浄土宗最初の国師号を後醍醐天皇より贈られる。59歳。
◆仏像・地蔵 ◈本尊の「阿弥陀如来像」は鎌倉時代の仏師・安阿弥(快慶)作という。京師七光院の一つ。
 ◈地蔵堂の丈六の「六臂(ろっぴ)地蔵像」は、平安時代の小野篁作という。人は死後、いずれかの道に転生するとされる。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の6つの全てを救うため6本の腕を持つという。小野篁が一刀三礼で彫り上げたとされる。この地蔵尊のみを参ることで、京都の六地蔵尊すべてを巡礼するのと同じ功徳があるものという。
 地蔵尊は、実際には江戸時代作とみられている。6本の臂(腕)のある珍しい立像で、蓮華座に立つ。頭に円頭光を背負う。2本の臂は胸前で合掌している。2本は錫状と柄香炉、ほかの2本は宝珠と宝幡を掲げている。
◆建築 伽藍は、江戸時代、1855年に再建され、太平洋戦争での破却を免れた。
 入母屋造の本堂、地蔵堂、書院・庫裏がいまも残る。
◆六地蔵巡り 六地蔵巡りは8月22日、23日の両日に、洛外6寺の地蔵尊を巡る。六地蔵とは、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」の六道に迷い苦しむ衆生のために発願されたという。
 由来、場所については諸説あり、変遷も見られる。平安時代初期、小野篁(おの の たかむら、802-853)は、冥土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えにより蘇生した。852年、篁は、木幡山の桜の大木より6体の地蔵尊像を刻み、木幡の里(現在の大善寺)に安置したとされる。(『都名所図会』)
 1157年、保元年間(1156-1159)、都で疫病が流行した際に、第77代・後白河天皇は、都の出入り口に6体の地蔵尊を祀るように平清盛に命じた。西光法師(?-1177)が、京洛の街道口6カ所(七道の辻とも)毎に、地蔵菩薩を造ったという。卒塔婆の上に道場を建て、像を安置し「廻り地蔵」と名付けて供養した。地蔵尊に、疫病退散、都往来の路上安全、福来結縁の祈願が行われ、法師は廻地蔵と名付けたという。(『源平盛衰記』・「西光卒塔婆事」。『六地蔵縁起』、大善寺、 江戸時代、1665年)。
 地蔵尊が置かれた場所は、四ノ宮河原(東海道、三条口)、小幡の里(伏見街道、五条橋口)、造道(つくりみち、鳥羽街道、東寺口)、西七条(西国街道、丹波口)、蓮台野(丹波街道、長坂口)、深泥池(みぞろいけ、鞍馬街道、鞍馬口)、西坂本(敦賀街道、大原口)だったという。(『源平盛衰記』・「西光卒塔婆事」)
 室町時代、七道の辻は、西院、壬生、八田(やだ)、屋根葺、清和院、正親町(おおぎまち)、西洞院に置かれた。
 江戸時代、6カ所にそれぞれ六角円堂を建て、地蔵菩薩を安置したという。場所は、四ノ宮河原、六地蔵の里、上鳥羽、御菩薩(みぞろ、深泥池)、桂の里、常盤院になる。寛永年間(1661-1673)、ほぼ現在の六地蔵巡り、6カ寺になる。
 昭和期(1926-1989)初期、六地蔵会が発足し、現在の六色の札(お幡)が生まれた。参詣者は、各寺の六色の札を玄関に吊るし、1年間の疫病退散、家内安全、福徳招来の護符にする。初盆には水塔婆供養し、3年間巡拝すると六道の苦を免れるとされた。
 現在は、第1番-大善寺(伏見六地蔵、奈良街道)。第2番-浄禅寺(鳥羽地蔵、西国街道・上鳥羽)。第3番-地蔵寺(桂地蔵、丹波街道)。第4番-源光寺(常盤地蔵、周山街道)。第5番-上善寺(鞍馬口地蔵、若狭街道・鞍馬口通)。第6番-徳林庵(山科地蔵、東海道・四ノ宮)になる。いずれも旧街道口に当る。
 かつて六地蔵巡りでは、地蔵尊を背負い、六斎念仏、賽の河原地蔵和讃などを唱えながら廻ったという。大善寺の地蔵尊は6カ所に安置された地蔵尊の根本像になり、寺号も六地蔵と呼ばれるようになった。なお、智恵光院(上京区)地蔵堂に安置されている丈六の六臂(ろっぴ)地蔵像は、京都の六地蔵尊すべてを巡礼するのと同じ功徳があるといわれている。
◆智恵光院通 寺が接している南北の智恵光院通は、北は北大路通、南は丸太町通まで通じる。通り名は寺号に由来する。江戸時代初期に通り名が登場したとされ、それ以前に寺の移転が行われたとみられている。なお、本通りの一筋西の聖天町通も智恵光院通といわれている。
◆花暦 枝垂れ梅(2月下旬)、枝垂れ桜がある。
◆年間行事 六地蔵めぐり(8月22日-23日)。


*拝観謝絶
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都歴史案内』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都の寺社505を歩く 上』『旧版 京のお地蔵さん』 、ウェブサイト「コトバンク」   



関連・周辺   周辺浄福寺   関連大善寺(六地蔵、伏見地蔵)   関連浄禅寺(鳥羽地蔵)   関連地蔵寺(桂地蔵)   関連源光寺(常盤地蔵)   関連上善寺(鞍馬口地蔵)   関連徳林庵(山科地蔵)   関連願行寺      

智恵弁財天、金ぎょく龍王神 

鐘楼

智恵姫稲荷社

知恵姫稲荷社

知恵姫稲荷大明神

枝垂れ梅
智恵光院 〒602-8208 京都市上京区智恵光院前之町601,智恵光院通一条上ル西側   075-441-5920
  Home     Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光