空爆被災を記録する碑(西陣空襲跡) (京都市上京区)  
Nishijin air raid trace
空爆被災を記録する碑(西陣空襲跡)  空爆被災を記録する碑(西陣空襲跡) 
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空襲被災を記録する碑


赤い点が着弾地点、現在の辰巳公園は上から2番目のやや右付近、空襲被災を記録する碑より


辰巳公園


辰巳公園


【参照】イチョウ


【参照】イチョウ、乳柱(気根)


【参照】「白龍辨財天」の石標

【参照】爆弾の破片、山中油店(上京区)
 辰巳(たつみ)公園の西側に、小さな「空襲被災を記録する碑」が立てられている。
 第2次世界大戦末期にこの付近一帯で、米軍機により西陣空襲があり犠牲者が出ている。
◆歴史年表 近代、1944年、7月以降、京都でも建物疎開が始まる。現在の辰巳公園一帯も、空襲被害防止のために防火帯として建物が解体された。
 1945年、6月26日、米軍B29の編隊が近畿地方に侵入し、空襲警報が発令された。1機が上京区出水地域に爆弾を投下し、43人が即死した。
 6月30日、正親小学校で合同葬が行なわれている。
 現代、1950年、8月、京都市により被災地跡に辰巳公園が設置された。
 2005年、8月、空爆の事実を伝えるために、空爆被災を記録する碑の建立委員会は公園の一角に、「空襲被災を記録する碑」を立てた。
◆西陣空襲 近代、第2次世界大戦(1939-1945)末期に、大都市の防衛強化が行われた。1943年9月に、日本政府は官庁の地方疎開方針を出し、12月に都市疎開要綱が決定された。
 京都での建物疎開は、4次にわたり実施された。1944年7月17日以降の第1次では、重要工場・軍需工場周辺を中心に行われた。1945年2月27日以降の第2次では、消防用道路が造成される。なお、3月17日には、神戸大空襲が起きている。3月18日以降の第3次では、消防道路・小空地、京都初の空地帯が指定された。7月27日以降の第4次は、内務省告示により、鉄道沿線の間引疎開が行われ、終戦により中止された。
 現在の辰巳公園付近も、空襲による延焼防止、避難場所確保のために建物疎開により建物が解体されている。
 京都府下で米軍による空襲は、戦争末期の1945年1月-6月間に、市内・周辺に複数回行われた。米軍の空爆目標は軍事施設の破壊が大半であり、市内への空襲は比較的小規模に行われた。判明している空襲被害として空襲数41回、死者数302人、負傷者数563人ともいう。
 1945年1月16日に東山区の馬町空襲(東山空襲)があり、京都初の空襲になった。死者数41人、重軽症者数56人、家屋破壊数141戸の被害が出ている。3月19日に右京区の春日町空襲(被害者なし)、4月16日に右京区の三菱工場付近の太秦空襲(被害者なし)と続いた。5月11日に上京区の京都御所空襲(被害者なし)、乙訓郡の新神足村空襲(現・長岡京市)(死者数1人)などがある。
 1945年6月26日、昼前(午前9時30分頃)の西陣空襲では京都市内最大規模、最大の被害が出た。米爆撃機B29編隊(6-10機)が近畿地方に侵入した。編隊は低い雲の上空、上京区の北西から南東方向に飛行した。その内の1機が、西陣地域に50㎏爆弾7発/5発を投下した。爆弾は250㎏だったともいう。上京区智恵光院通下長者町上ルなどに着弾している。被爆地は北は上長者町通、南は下立売通、東は大宮通、西は浄福寺通に至る400m四方になる。
 負傷者数66人があり、周辺の正親小学校、出水小学校、待賢小学校の各救護所に運ばれた。救護にあたった医師によると、負傷者数300人以上だったともいう。6月30日に、正親小学校で亡くなった43人の合同葬が行なわれている。
 当時は戦時下の報道管制下にあり、西陣空襲の被害状況は明らかにされなかった。西陣警察署の記録によると、即死者数43人、負傷者数109人(重傷数13人、軽傷数53人)、被害家屋数292戸(全壊数71戸、半壊数84戸、一部損壊数137戸)、罹災者数850人になる。(碑文より)。なお、死者数は50人ともいわれている。
◆戦争遺跡 辰巳公園の周辺には西陣空襲、戦争に関する歴史が残されている。
 ◈辰巳公園のすぐ南西にある駐車場内に、イチョウの大木がある。西陣空襲の際には、爆風に飛ばされた服が木の枝に引っかかっていたという。後に、木の上に石も残されていたのが見つかった。
 なお、木の根元付近に「白龍辨財天」の石標が立つ。近代、1919年9月に赤田熊蔵により立てられた。
 ◈公園の南にある山中油店(上京区)には、爆弾の破片が保存展示されている。
 ◈公園の南にある昌福寺(上京区)には、爆弾が井戸に投下されたという。
 ◈智恵光院(上京区)は、戦時中の建物疎開に伴い、塔頭4院が廃院になっている。
 

原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
参考文献・資料 「碑文-空爆被災を記録する碑の建立委員会」、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、ウェブサイト「西陣空襲-立命館大学国際平和ミュージアム」、ウェブサイト「西陣空襲- asahi net」、ウェブサイト「戦時下建物疎開の執行目的と経過の変容-J-Stage」、『平安京を歩く』、「朝日新聞 2020年8月23日付」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 空爆被災を記録する碑(西陣空襲跡) 〒602-8107 京都市上京区西辰巳町 辰巳公園内
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