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清和天皇社 (京都市右京区) Seiwa-tennosha Shrine |
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清和天皇社 | 清和天皇社 |
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![]() 社殿は急な坂の上にあり、参道は石段になっている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【参照】清和天皇水尾山陵、標高300mの木立の中にある。 |
柚子、樒(しきみ)の郷として知られる水尾の里に、清和天皇社(せいわ-てんのうしゃ)がある。旧清和村の産土神として崇敬を集めた。 祭神は、第56代・清和天皇、氏神という四所大神(ししょおおがみ)を祀る。 ◆歴史年表 平安時代、880年、3月、清和法皇は丹波国水尾の地に入り、絶食などの激しい苦行を行った。 法皇は水尾の里を気に入り、この地で生涯を送ることを決める。里人による新しい仏堂の建立が始まる。その後、法皇は水尾から左大臣・源融(822-895、第52代・嵯峨天皇の子)の別邸・釈迦堂(栖霞観、棲霞観、現在の清凉寺)へ移った。 881年、法皇は病を発し、公卿・藤原基経(836-891)の粟田山荘(後の円覚寺)に移り、同年、そこで亡くなった。 その後、天皇の遺詔(遺志)により水尾山(清和山)に御陵が築かれる。里人は天皇を偲び当社を建て、法皇を祀ったという。 現代、1960年頃まで、春季例祭では円覚寺まで神輿巡行があったという。 ◆清和天皇 平安時代前期の第56代・清和天皇(せいわ-てんのう、850-880)。惟仁(これひと)、水尾帝(水尾天皇)、水尾御門。父・第55代・文徳天皇、母・藤原良房の娘・明子(あきらけいこ、染殿皇后)の第4皇子。良房の染殿邸に生まれた。850年、兄の3親王(惟喬、惟条、惟彦)を差し置き、生後8カ月で立皇太子になる。858年、9歳で即位し、後見した外祖父・良房が人臣(臣下)最初の摂政になる。(正式には866年以降)。866年、応天門の変が起こり、大伴家が没落する。良房が権勢を誇った。876年、天皇は27歳で、基経の妹・女御・藤原高子との間の生後3カ月の貞明(さだあきら)親王(第57代・陽成天皇)に譲位した。以後、藤原北家良房一門の権勢は確立された。879年、出家し、素真と称した。清和院(旧染殿邸)に移る。良房の養子・基経の粟田山荘(後の円覚寺)で落飾する。畿内巡幸の旅に出る。棲霞観(清凉寺)に住み、天台宗の名刹・水尾山寺に入寺したという。勅命により「貞観格式」が編まれた。880年、粟田山荘に移り没した。31歳。 金戒光明寺裏山に火葬塚(左京区)がある。嵯峨水尾山(水尾山陵)(右京区)に葬られた。僧の身になった天皇は生前に、薄葬、陵墓を造営しないようにと遺詔している。後世、武門の棟梁になる清和源氏の始祖とされた。 ◆藤原明子 平安時代前期の第52代・文徳天皇の女御・藤原明子(ふじわら-の-あきらけいこ/めいし、829-900)。染殿后(そめどの-の-きさき)。父・人臣最初の摂政・藤原良房、母・第52代・嵯峨天皇の皇女・源潔姫(きよひめ)。通康親王(第55代・文徳天皇)の東宮の時に入内し、女御になった。850年、4男・惟仁親王(第56代・清和天皇)を産み、親王は立太子した。?年、賀茂の斎院・儀子内親王を産む。853年、従三位に叙せられる。858年、清和天皇の即位とともに皇太夫人、従一位に叙された。清和天皇と共に東宮に遷御した。864年、清和天皇から皇太后の号を贈られる。866年、常寧殿に遷る。882年、孫の第57代・陽成天皇の元服により、太皇太后の号を贈られた。73歳。 文徳天皇以来、6代の天皇に50年にわたり後宮に仕えた。染殿后と呼ばれ、藤原氏の外戚としての地位確立に寄与した。父・良房は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし」と明子を桜花にたとえて詠んだ。(『古今集』)。伝承が残る。染殿后の美しさに迷った聖人は鬼と化し、后を悩ませた。(『今昔物語集』)。 ◆四所大神 摂社・四所大神が祀られている。 清和天皇の生母・染殿皇后(829-900)が崇敬したという四所大神であり合祀された。法皇の水尾での住いの内庭に祀られており遷されたという。皇后が信仰した大原野神社の祭神4神を勧請したともいう。この地の、もともとの氏神ともいう。 ◆建築 本殿、四所神社は、覆屋内に建てられている。 ◆文化財 剣鉾「茗荷鉾」の茎銘は、江戸時代中期、1751年であり、身78.2㎝、茎18.7㎝、全長96.9㎝になる。 ◆清和天皇陵 水尾山(清和山)の中腹に、清和天皇水尾山陵がある。ただ、僧の身になった天皇は生前に、陵墓を造営しないようにと遺詔している。 ◆樹木 ユズリハ、トチノキがある。 ◆祭礼 ◈かつて、「花笠踊り」(4月3日)が行われていた。神輿の神幸があり、御旅所の神輿前で、6人の男子稚児の踊り子が、色紙の付いた花笠を付けて古老の周りで数度踊った。刻み目の或る割竹を鳴らし、6人の笛、堤鼓などの囃子に合わせた。 ◈春季例祭(5月3日)では、現在は、午前に剣鉾が組み立てられ、拝殿前に飾られる。意匠は扇子・鷹羽・茗荷の3基がある。 午後、本殿から拝殿に御霊が遷され、直会がある。神輿前で御旅所祭が行われ、神輿から本殿へ御霊が遷される。 現代、1960年頃までは円覚寺まで神輿巡行があり、鉾も供奉し鉾差しも行っていたという。 ◆年間行事 春季例祭(5月3日)。 *「上皇」は皇位を退いた天皇の尊称。「法皇」は出家した上皇。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 清和天皇水尾山陵 京都市右京区嵯峨水尾清和 |
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