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光念寺 (京都市北区) Konen-ji Temple |
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光念寺 | 光念寺 |
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![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 地蔵堂 ![]() やすらい祭一行 |
光念寺(こうねんじ)は、常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進した腹帯地蔵で知られる。安産祈願の信仰を集める。周辺には、常盤御前、牛若丸(源義経)のゆかりとされる遺跡が散在する。 浄土宗。本尊は阿弥陀如来。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 近代、1868年、地蔵寺と念光が再興したという光念寺が合併し、現在の寺観が整う。 ◆常盤御前 平安時代後期の女性・常盤御前(ときわ-ごぜん、1137-?)。詳細は不明。美しい人であったという。近衛天皇皇后・九条院藤原呈子(ていし)の雑仕女となる。16歳で源義朝の側室となり、今若、乙若、牛若(義経)らを産む。1159年、平治の乱で義朝が敗れ謀殺された。1160年、常盤御前は3人の子とともに平清盛の追手から逃れ大和に匿われた。京都に残した母を平氏に人質としてとられ、六波羅へ子連れで自首した。清盛に見初められ、子らの命を救うために妾となる。子と別れ、一女・廓御方(左大臣藤原兼雅女房)を産む。後に、清盛の世話により大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、能成ら数人を産んだという。晩年は一人で生まれた常盤に暮らしたという。 ◆腹帯地蔵 常盤御前が牛若丸の安産を祈願し寄進したという「腹帯地蔵」が安置されている。かつて地蔵寺に安置されていた。安産祈願の篤い信仰があったという。 ◆やすらい祭り やすらい祭の「今宮やすらい花」(4月第2日曜)の出発地に当たる。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く 下』、『新版 京のお地蔵さん』、『京を彩った女たち』、『京都洛北やすらい祭 フィールドワークからのアプローチ』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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