常徳寺 (京都市北区) 
Jotoku-ji
 Temple
常徳寺 常徳寺 
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本堂


本堂、山号扁額「知足山」








庫裏
 常徳寺(じょうとくじ)は、山号を知足山という。寺伝によれば、平安時代に創建された知足院(ちそくいん)を前身とするという。常盤御前が安産祈願に地蔵菩薩(常盤地蔵)を参詣したという。 
 日蓮宗、本尊は十界曼荼羅。
◆歴史年表 平安時代、918年以前、船岡山南西(紫野雲林院付近とも)に知足院が建立される。天台宗で、不動明王像、如意輪像、釈迦像の三尊を本尊とした。(『西宮記』『枕草子』)
 1155年、第76代・近衛天皇が亡くなり船岡山・西野で火葬にされ、遺骨が一時、当院・不動堂に安置された。後に、安楽寿院に改葬される。
 1156年以後、保元の乱で関白・藤原忠実が次男・頼長を支援したため、後白河法皇(第77代)の怒りを買い当院に隠棲した。この頃、寺運隆盛を誇り、境内周辺には、女房播磨堂、不動堂、丈六堂など複数の伽藍が建ち並んでいた。
 1162年、忠実はこの地で没した。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、知足院は廃絶したとみられる。
 室町時代、1493年、慶淋、鬼窪弥次郎綱が、大宮郷、蓼蔵郷を寄進したという。もとは大徳寺領だったという。(『山城名勝志』)
 江戸時代、1628年、日蓮宗不受不施派の祖・日奥を開基とする。日猷(にちゆう)が金工・後藤長乗の帰依により常徳寺を中興する。以後、後藤家の菩提寺になる。
藤原忠実 平安時代後期の公卿・藤原忠実(ふじわら の ただざね、1078-1162)。関白・藤原師通と右大臣・藤原俊家の娘全子の子。祖父・藤原師実の養子。1092年、権中納言、1097年、権大納言。1099年、父を継ぎ内覧・藤原氏長者となる。1100年、右大臣、1105年、堀河天皇の関白、1107年、鳥羽天皇の摂政、1112年、太政大臣に任じられる。1113年、関白となる。娘の泰子(のちの高陽院)の鳥羽天皇入内問題により、後白河法皇と対立、1120年、内覧を停められ、1221年、宇治に隠遁した。1129年、後白河法皇没朝政復帰、関白・長子の忠通と対立した。1140年、出家し円理と称した。1156年、保元の乱は、次男・頼長と長男・忠通の対立も要因であり、推した頼長の敗死後、知足院に隠棲した。日記『殿暦』、説話文学『富家語』を著す。知足院、富家殿と号した。
◆常盤御前 平安時代末期の女性・常盤御前(ときわ ごぜん、1137-?)。詳細は不明。美しい人であったという。近衛天皇皇后・九条院藤原呈子(ていし)の雑仕女となる。16歳で源義朝の側室となり、今若、乙若、牛若(義経)らを産む。1159年、平治の乱で義朝が敗れ謀殺された。1160年、常盤御前は3人の子とともに平清盛の追手から逃れ大和に匿われた。京都に残した母を平氏に人質としてとられ、六波羅へ子連れで自首した。清盛に見初められ、子らの命を救うために妾となる。子と別れ、一女・廓御方(左大臣藤原兼雅女房)を産む。後に、清盛の世話により大蔵卿・藤原長成に嫁ぎ、能成ら数人を産んだという。晩年は一人で生まれた常盤に暮らしたという。
日奥 安土・桃山時代-江戸時代の日蓮宗の僧・日奥(にちおう、1565‐1630)。京都の豪商・辻藤兵衛の子。妙覚寺の20世・日典に師事、1592年、妙覚寺21世。日蓮宗不受不施派の祖。1596年、豊臣秀吉の方広寺大仏殿千僧供養会への出仕を拒否、強義折伏主義、不受不施を主張した。寺を去り丹波小泉に隠せいした。本圀寺の日禛のみは日奥を支持した。1599年、徳川家康は大坂城で日乾らと対論させ、日奥は再び不受不施を貫く。千僧会もひとり拒否し対馬流罪になる。1612年、赦免され、1616年、妙覚寺に戻る。家康はその信念に感銘を受けていたといわれ、1623年、京都所司代は不受不施について折紙を出した。
 没後、1630年、身延久遠寺との宗門内部対立により、日樹、日奥は「再犯」となり不受不施派は禁制になる。日奥の遺骨は対馬流罪(死後の流罪)にされた。『宗義制法論』など著す。
◆後藤長乗 安土・桃山時代-江戸時代前期の装剣金工師・後藤長乗(ごとう ちょうじょう、1562-1616)。京都に生まれる。4代・後藤光乗の次男。後藤徳乗の弟。刀装の金具職人(彫金師)であり、後藤勘兵衛家を興す。宗家の下後藤に対し、上後藤と呼ばれた。徳川家康の信任篤く、家康の慶長大判(笹書大判)の鋳造を請負い墨判を行う。1610年、家康に岩栖院(がんすいん、崇福寺、上京区)の地を与えられる。長乗は加賀藩主・前田利常、小堀遠州の助力で庭園の擁翠園(ようすいえん)を造営した。絵画、詩歌をよくし、本阿弥光悦らと親交があった。後藤家は京都三長者(茶屋家、角倉家)の一つ。
◆日猷 江戸時代の日蓮宗の僧・日猷(にちゆう、生没年不詳)。詳細不明。
◆仏像・地蔵 本堂に、本尊「十界曼荼羅」、「日奥上人像」は左手に経巻、右手に袋を持つ。
 源義経の母・常盤御前が安産祈願したという「地蔵菩薩(常盤地蔵)」が安置されている。右手を下げ、左手を上げて宝珠を載せた立像で、像高1m。平安時代作といい、知足院遺仏という。
 「後藤長乗夫妻坐像」も安置する。
◆建築 本堂、庫裏、書院などがある。
◆知足院 平安時代、918年以前に、紫野・雲林院付近に創建されたという。天台宗園城寺の別院で不動明王像、如意輪観音、釈迦像の三尊を本尊にしたという。関白・藤原忠実(1078-1162)は、1156年保元の乱後、その責を問われ当院に籠居させられた。女房・播磨のために周辺に伽藍を建立している。忠実はここで没し、知足院と呼ばれた。寺院は、中世、兵火により焼失したという。
 常徳寺は知足院の後身といわれ、山号の知足山もこれに因む。知足院関連の古文書も所蔵している。
◆墓 後藤長乗ほか、演乗、達乗、真乗、実乗、玄乗、可乗、東乗、源乗など歴代(1代-6代を除く)、後藤一族の墓がある。


*非公開、境内参詣は自由。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『京都の地名検証 3』『京都の寺社505を歩く下』『新版 京のお地蔵さん』『事典 日本の名僧』『京を彩った女たち』『京都歩きの愉しみ』


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玄関

玄関

「後藤一乗之墓所」の石標

後藤一族の墓

後藤一族の墓
 常徳寺 〒603-8434  京都市北区紫竹東栗栖町28  075-491-6480
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