後宇多天皇 蓮華峯寺陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Goud
後宇多天皇 蓮華峯寺陵 後宇多天皇 蓮華峯寺陵
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 北嵯峨朝原山町(きたさが あさはらやまちょう)の浅原山東南麓に、後宇多天皇 蓮華峯寺陵(れんげぶじ の みささぎ)はある。
 鎌倉時代の第91代・後宇多天皇(ごうだ てんのう)が葬られている。ほかに、鎌倉時代の第90代・亀山天皇(かめやま てんのう)分骨所など2陵3分骨所になる。
◆歴史年表 鎌倉時代、1324年、6月25日(新暦7月16日)、後宇多天皇は、大覚寺で亡くなる。(『皇代略記』)。6月28日、蓮華峯寺の傍らの山で火葬にされた。遺骨は、同寺の五輪塔に納骨される。以後、大覚寺が祭祀した。
 江戸時代、1862年-1863年、1863年とも、文久の修陵で修補された。蓮華峯寺傍山陵と呼ばれた。その後、蓮華峯寺陵に改められる。
◆後宇多天皇 鎌倉時代の第91代・後宇多天皇(ごうだ てんのう、1267-1324)。世仁(よひと)、大覚寺殿。第90代・亀山天皇第2皇子、母は左大臣・藤原実雄の娘・京極院藤原佶子(きつし)。1274年、8歳で即位した。父・亀山上皇による院政が敷かれる。即位は、亀山天皇系(大覚寺統)、後深草天皇系(持明院統)の対立の端緒になった。文永の役(モンゴル来襲)が起こる。1275年、後深草上皇(持明院統)は、幕府に働きかけ、皇子・煕仁(ひろひと)親王を皇太子にした。1281年、弘安の役(モンゴル来襲)が起こる。1287年、煕仁親王(第92代・伏見天皇、持明院統)に譲位後、1298年、胤仁(たねひと)親王(第93代・後伏見天皇、持明院統)が続けて即位した。1301年、後宇多上皇は幕府に抗議し、両統迭立により第1皇子・邦治(くにはる)親王(94代・後二条天皇、大覚寺統)を即位させた。院政を執る。1307年、姈子内親王が没し、悼み、仁和寺で落飾する。金剛性と称し、大覚寺に入寺、門跡になる。1308年、第2皇子・尊治(たかはる)親王(96代・後醍醐天皇、大覚寺統)は、第95代・花園天皇(持明院統)の皇太子に立つ。亀山上皇は自らの皇子・恒明(つねあき)親王を推し、大覚寺統の内部にも対立が生じた。東寺灌頂院で伝法灌頂を受法した。1318年、後宇多上皇は伏見上皇(持明院統)と談合し、皇子・尊治親王(96代・後醍醐天皇、大覚寺統)の即位させ、第94代・後二条天皇の第1皇子・邦良(くによし)親王(大覚寺統)を皇太子に立てた。当初は院政を敷く。1321 年、院政を廃して後醍醐天皇の親政にした。
 弘法大師(空海)に深く帰依した。雷雨の中、高野山にも自力で登った。大覚寺の付近に宮室があり、密教の研究に専念する。伽藍僧坊の造営、法印・法眼・法橋などの称号・位階を設け、称号の授与に関する権限を大覚寺に与える「永宣旨」(えいせんじ)を出した。春秋に灌頂法を行う。日記に『後宇多天皇宸記』、宸筆の『庄園敷地施入状』『後宇多天皇宸記』などがある。和歌は『続後拾遺集』『新後撰集』などに収められている。
 大覚寺御所で亡くなる。陵墓は蓮華峰寺陵(右京区)になる。
◆亀山天皇 鎌倉時代の第90代・亀山天皇(かめやま てんのう、1249-1305)。恒仁(つねひと)、禅林寺殿、文応皇帝。第88代・後嵯峨天皇の第3皇子、母は大宮院大宮院姞子(きつし)。1259 年、大覚寺統最初の天皇として即位した。父が院政を敷く。1268年、後深草天皇(持明院統)皇子を差し置いて、亀山天皇(大覚寺統)皇子の世仁(よひと)親王(第91代・後宇多天皇)が皇太子に立つ。1274 年、後宇多天皇に譲位し、上皇として院政を執る。文永の役(モンゴル襲来)が起こる。1281年、弘安の役(モンゴル襲来)が起こる。1283年、八条院を相続した。1287年、第92代・伏見天皇(持明院統)が即位する。幕府は将軍に後深草天皇皇子・久明(ひさあき)親王(持明院統)を迎えた。1289年、伏見天皇の皇子・胤仁(たねひと)親王(第93代・後伏見天皇)が皇太子に立つ。亀山上皇は、剃髪し、金剛源と称した。禅宗に深く帰依し、1291 年、離宮を禅寺とし南禅寺の起りになる。禅宗が公家社会に浸透する端緒になる。
 後嵯峨天皇は亀山天皇を寵愛した。亀山天皇は、兄・後深草天皇を措いて天皇親政を行い、大覚寺統(亀山系)と持明院統(後深草系)の対立が起こる。以後、幕府の計らいで、二統は交互に継承する。文永・弘安の役の国難では、伊勢神宮に祈願した。大覚寺統領の基礎を確立した。制符(禁止・制約する事柄を書いた文書)の制定、評定制を大改革する。和歌・漢詩文に優れ『弘安礼節』を制定、『続拾遺集』の選進を命じた。
 没後、山城亀山法華堂に葬られる。陵墓は亀山陵(右京区)になる。
◆後二条天皇 鎌倉時代後期の第94代・後二条天皇(ごにじょう てんのう、1285-1308)。邦治(くにはる)。第91代・後宇多天皇の第1皇子、母は西華門院(せいかもんいん)源基子 (きし、内大臣・源具守[とももり]の娘) 。1286年、親王宣下を受けた。この頃、皇位は天皇家の持明院統、大覚寺統の間で争われていた。1298年、持明院統の第92代・伏見天皇に続き、その子・第93代・後伏見天皇が皇太子になる。大覚寺統の総帥・後宇多上皇は、大覚寺統内部での3派分裂の兆しがあり、鎌倉幕府に両統迭立(てつりつ)の法をたてさせた。上皇の意により、執権・北条貞時が調停に当たる。1301年、大覚寺統の邦治親王が践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)し、後二条天皇(邦治親王)が即位した。この時、大覚寺統に乗り換えた西園寺実兼の策謀があった。5人の上皇がおり、後宇多上皇が院政を敷く。皇太子に、持明院統の富仁(とみひと)親王(第95代・花園天皇)が立つ。1302年、後二条天皇皇子・邦良(くによし)の親王宣下、後二条天皇弟・尊治の親王宣下も行う。1308年、大覚寺統の後継だった後二条天皇は、二条高倉殿で早世した。歌集に『後二条院御集』など。24歳。
 陵墓は北白河陵(左京区)にある。
◆京極院 鎌倉時代中期の女性・京極院(きょうごくいん、1245-1272)。藤原佶子(きつし)。父は左大臣・洞院実雄(とういん さねお)、母は法印公審の娘・藤原栄子。1260年、第90代・亀山天皇の大嘗会御禊(だいじょうえ ごけい)で女御代(臨時に女御の代わり)を奉仕した。1261年、中宮、皇后になる。1267年、世仁親王(第91代・後宇多天皇)ら2男1女を産む。没した日に京極院の院号宣下を受けた。28歳。
◆遊義門院 鎌倉時代後期の女性・遊義門院 (ゆうぎ もんいん、1270-1307)。姈子 (れいし) 。第89代・後深草天皇の皇女。母は東二条院藤原公子。1271年、内親王宣下。1285年、第91代・後宇多天皇の皇子・邦治親王(第94代・後二条天皇)の准母とされ、皇后の尊称をうける。1291年、院号宣下。1294年、後宇多上皇の御所に入る。38歳。
 陵墓は嵯峨今林陵(右京区)になる。
◆陵墓 陵は方形堂であり南面して建つ。内部に五輪塔が立てられている。御堂と合わせた石塔式の陵墓になる。方形堂は、木造、宝形造、本瓦葺、方3.62mになる。堂周囲は一段高く方形壇状の石垣を築き、透塀で周囲を囲み南正面に高麗門が開く。門下には石段が付けられている。
 2陵3分骨所になり、ほかに、亀山天皇、亀山天皇皇后の佶子、姈子内親王、後二条天皇の分骨所がある。堂内は白砂敷であり、中央に五輪石塔1基が立てられている。火輪には浮彫文様が施されている。高さ2.42m、花崗岩製。両脇に小五輪石塔2基が立つ。かつて、堂の周囲には、鎌倉時代、室町時代の石仏、石碑伝などが500余りが立てられていたという。現在は、石垣外東に安置されている。
 鎌倉時代、1307年に後宇多天皇は、出家した。大覚寺北東山麓に蓮華峯寺を建立し、八角堂(八角円堂)を建て自らの墓所に定めた。(『山陵志』『嵯峨志』)。堂は八角形をしており、堂内に天皇の五輪塔、左右にも小五輪塔が立てられていたという。(『山州名跡志』)
 蓮華峯寺は、広沢池の北、朝原山麓にあった。堂内には順逆五輪石塔を安置したと見られている。後宇多天皇は遺言に、石塔の地輪両際に五円を彫り、中央に天皇自らの遺骨を納める。四円には、皇后、皇子らの遺骨を安置するようにと託していた。(『建立蓮華峯寺縁起』)
 1324年、6月25日(新暦7月16日)、後宇多天皇は、大覚寺で亡くなる。(『皇代略記』)。6月28日、蓮華峯寺の傍らの山で火葬にされた。遺骨は、同寺の五輪塔に納骨される。以後、大覚寺が管理し祭祀した。
 なお、蓮華峯寺は室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した。(『山陵志』)。その後、廃絶する。江戸時代、明暦年間(1655-1658)に再興され、五智如来石像が安置されていたという。(『雍州府志』)
 江戸時代、1862年-1863年、1863年とも、文久の修陵で陵は修補された。蓮華峯寺傍山陵と呼ばれる。その後、蓮華峯寺陵に改められている。文久の修陵で陵は修補された。『文久山陵図』(1867)の「成功」図では、石垣が新しく築かれ、拝所も整備された様が描かれている。


88 後嵯峨天皇(在位:1242-1246)→89 後深草天皇(持明院統)(在位:1246-1259)→90 亀山天皇(大覚寺統)(在位:1259-1274)→91 後宇多天皇(大覚寺統)(在位: 1274-1287)→92 伏見天皇(持明院統)(在位:1287-1298)→93 後伏見天皇(持明院統)(在位:1298-1301)→94後二条天皇(大覚寺統)(在位:1301-1308)→95 花園天皇 (持明院統)(在位:1308-1318)→96 後醍醐天皇(大覚寺統、南朝1) (在位:1318-1339)

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『古代史研究の最前線 天皇陵』『歴代天皇年号事典』『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後宇多天皇 蓮華峯寺陵  〒616-8407 京都市右京区北嵯峨朝原山町
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