寿寧院 〔天龍寺〕 (京都市右京区)
Junei-in Temple
寿寧院 寿寧院
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不動明王の御堂


不動明王の御堂






「楢崎将作 坂本龍子(西村ツル) 顕彰碑 又あふと思ふ心をしるべにて道なき世にも出づる旅かな」と刻まれている。龍馬が伏見より江戸へ向かう際に送った歌になる。


「楢崎将作 坂本龍子(西村ツル) 顕彰碑 又あふと思ふ心をしるべにて道なき世にも出づる旅かな」と刻まれている。龍馬が伏見より江戸へ向かう際に送った歌になる。
 天龍寺の境内、勅使門の南西に塔頭・寿寧院(じゅねいいん)がある。かつて、対州書役・朝鮮書契御用を多く輩出した。 
 臨済宗天龍寺派。本尊は薬師如来像。
 天龍寺七福神めぐりの一つ、6番、赤不動明王(見守り不動)が祀られている。交通安全、病気平癒の信仰がある。
◆歴史年表 南北朝時代、貞治年間(1362-1368)、龍湫周沢(りゅうしゅう しゅうたく)の創建による。かつて臨川寺の子院であり、三会院6塔頭の一つだった。
 その後、衰微する。
 近代、1885年、栖林軒(すりんけん)の廃寺に伴い、その跡地に再建された。
◆龍湫周沢 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・龍湫周沢(りゅうしゅう しゅうたく、1308-1388)。甲斐国の生まれ。夢窓疎石の法嗣。1356年、甲斐国・恵林寺10世。1351年、夢窓の没後、春屋妙葩とともに夢窓派の中心になる。建仁寺、南禅寺、天竜寺、臨川寺の住持歴任。一時、春寧院に隠棲、その後、南禅寺の住持として復した。
 五山文学で活躍した。詩文・絵画に優れ、詩文集『随得集』、赤不動明王などを20年間に渡り毎日描いたという。甲府・一蓮寺の不動明王像、また、「三幅図」は国宝になる。
◆楢崎龍 江戸時代後期-近代の女性・楢崎龍(ならさき りょう、1841-1906)。お龍(おりょう)。京都の生まれ。父は青蓮院宮の侍医・楢崎将作の長女、母は貞(夏)。1862年、勤王家の父が安政の大獄で捕らえられ、赦免後病死し、家族は離散する。お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働く。1864年頃、龍馬と出会い、親戚筋の知足院の仲介により金蔵寺で内祝言を挙げた。伏見・寺田屋のお登勢に預けられ、「お春」と名乗る。1866年、龍馬は寺田屋に投宿し、お龍の機転により伏見奉行配下の捕吏より脱出した。(寺田屋事件)。龍馬の刀傷治療のためにともに薩摩へ下る。お龍は途中の長崎で下船し、小曾根英四郎家に預けられた。1867年、下関の伊藤助太夫家に妹・起美と過ごす。龍馬暗殺(近江屋事件)後、1868年、土佐高知・坂本家に移り、妹・起美の嫁ぎ先の安芸郡・千屋家(菅野覚兵衛の実家)へ移る。1869年、寺田屋のお登勢を頼る。1875年、東京の呉服商人・西村松兵衛と再婚し、「ツル」に改名して横須賀に暮らした。妹・光枝がお龍を頼る。松兵衛と光枝が内縁関係になりお龍は別居した。晩年は退役軍人・工藤外太郎に保護された。月琴を奏でた。
 墓は横須賀の信楽寺にあり、京都霊山護国神社(東山区)に分骨された。
◆天龍寺七福神 天龍寺七福神めぐりの一つ、赤不動明王(見守り不動)が本堂に祀られている。
 天龍寺七福神めぐりは、節分(2月3日)に天龍寺の総門前、法堂前で福笹を受け、境内塔頭7か寺を巡る。七福神がそれぞれ開扉され、お札を授かり一年の幸福を祈願する。
 三秀院(東向大黒天)、慈済院(水摺大弁財天)、弘源寺(三国伝来毘沙門天)、松厳寺(福禄寿)、妙智院(宝徳稲荷)、寿寧院(赤不動明王)、永明院(恵比寿)の7塔頭になる。
◆対州書役・朝鮮書契御用 朝鮮修文職(対州書役・朝鮮書契御用)は、江戸幕府の命により対馬藩の以酊庵(いていあん)に派遣された禅僧をいう。李氏朝鮮との間での外交文書解読・作成、使節への応対、貿易の監視などを行った。当初は、禅僧・景轍玄蘇(1537-1611)を招聘した。慶長年間(1596-1615)に対馬に以酊庵を創建して居住した。元和年間(1615-1624)以来、江戸幕府は、京都五山の中から僧侶を輪番制で派遣した。1635年に東福寺の2僧と共に、天龍寺の洞叔寿仙が派遣されている。1867年まで続けられた。
◆文化財 龍湫周沢筆「不動明王像」(国宝)。
 宝筐院の遺物を収蔵管理している。
◆顕彰碑 江戸時代後期の坂本龍馬(1836-1867)の妻・お龍(楢崎龍、1813-1862)、父・楢崎将作(1813-1862)の顕彰碑がある。
 龍馬没後、お龍は西村松兵衛と再婚し、ツルと改名した。お龍没後、松兵衛は、信楽寺(横須賀市)に墓を建立する。墓石には「贈四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれた。妹・光枝を建立者、松兵衛は賛助人としている。また、龍馬の墓(東山霊山墓地)、楢崎家菩提寺の西林寺にも分骨されたという。
 2005年、子孫により八瀬に移転した西林寺の無縁墓地より、天龍寺・寿寧院墓地に移された。
◆安倍清明墓所 平安時代、1005年9月26日、安倍晴明は85歳で亡くなり、嵯峨の地に葬られたという。墓所は天龍寺が所管し、塔頭・寿寧院の境内にあったという。墓は実際には、室町時代に数多く建てられた「晴明塚」のひとつとみられている。その後、荒廃する。
 1972年、墓は、晴明神社、天社土御門神道の協力の下、晴明神社奉賛会により神道式に改修され、晴明の墓所(天龍寺角倉町)として建立されている。
◆年間行事 天龍寺七福神めぐり(節分、2月3日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『天龍寺』『京都の禅寺散歩』『お龍』「山城国葛野郡天龍寺の境内地処と関係資料」『京の寺 不思議見聞録』『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』『京の福神めぐり』、ウェブサイト「コトバンク」  


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寿寧院 616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町62   075-861-3248  
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