日本映画発祥の地・シネマトグラフ上映地(旧立誠小学校) (京都市中京区)
The birthplace of the Japanese Movies
日本映画発祥の地 日本映画発祥の地 
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旧京都市立立誠小学校


旧京都市立立誠小学校


旧京都市立立誠小学校
 高瀬川沿いに建つ旧京都市立立誠小学校(旧京都電燈会社の庭)では、かつて日本初の映画「シネマトグラフ」の上映が行われた。日本映画発祥の地になる。 
 その後の一時期、京都は映画産業の都として栄えた。
◆歴史年表 近代、1893年、シカゴ万博で、エジソンの出品したのぞき眼鏡式の「キネストコープ」に、京都の舞妓による「布晒しの舞」が撮影されている。
 1895年、フランスのオーギュスト.リュミエール、ルイの兄弟は、スクリーン映写式の「シネマトグラフ」を発明した。装置は、撮影機であり映写も可能だった。パリのグラン・カフェでスクリーンに映写し、一般公開している。
 1896年、キネストコープの作品「京都祇園新地芸妓三人晒布舞ノ図」が、京都で上映された。渡欧していた稲畑勝太郎は、リヨン工業学校級友のオーギュストに再会した。稲畑は、シネマトグラフのことを知り、映写会にも出かける。
 1897年、稲畑は、日本への帰国に際して、シネマトグラフの東洋での興行権を得た。装置2台とフィルム、フランス人撮影技師・映写技師のコンスタン・ジレルも伴った。京都での試写実験に際し、京都電燈会社(四条河原町付近、現在の関西電力)の長谷川技師の考案により、島津製作所に変電器を製作させた。2月、安全確保のため、京都電燈株式会社の庭(旧立誠小学校)で試写会が行われた。日本初の映写になる。
 2月15-28日、大阪・南地演舞場で有料上映され大盛況になる。3月1日-6月3日、京都の新京極元東向演舞場(京極座)でも上映され、連日の大入りになった。広告には「仏国シネマトグラフ 自動幻画」と紹介された。上映作品は白布(1.8m四方)に映し出される。無声映画の「フランス士官学生の騎馬演習」「ミラノの水泳」など約10本の作品があり、40分ほどの上映時間だった。
 7月、エジソンが発明したスクリーン映写式の「バイタスコープ」という新型活動写真が導入され、京都でも上映されている。

 近代、1928年、旧京都市立誠尋常小学校は、現在地の高瀬川河畔(木屋町蛸薬師)に移転し、鉄筋コンクリート造校舎が完成した。
 現代、1993年、 立誠小学校は高倉東小学校と統合になり閉校した。
  2018年、旧京都市立立誠小学校校舎は解体された。
◆稲畑勝太郎 江戸時代後期-近現代の実業家・稲畑勝太郎(いなばた-かつたろう、1862-1949)。京都生まれ。父は烏丸御池の菓子舗職人・利助の長男、母はみつ。 幼少時より秀才として知られた。1872年、9歳で京都府小学生代表として天皇の御前で本を誦読する。1876年、師範学校に入学した。1877年、15歳で京都府派遣留学生の8人の一人として、フランス・リヨンに派遣される。派遣について、医師・レオン.デュリーが府知事・槇村正直に進言している。勝太郎は、マルチニエール工業学校で染色技術を学ぶ。マルナス染工場で技術習得した。後、リヨン大学で化学課程を修める。1883年、アムステルダム万国博覧会で京都府の出品人総代補を務めた。1885年、帰国する。京都府染工講習所教授に任じられる。1887年、京都織物会社に染色技師長として入社した。1890年、「稲畑染料店(現在の稲畑産業)」を開業し、合成染料の直輸入貿易を行う。1895年、「毛斯綸紡織」を設立する。1897年、大阪に「稲畑染工場」を設立し、海外進出も果たす。シネマトグラフの興行権を得て、フランス人のコンスタン・ジレルとともに、京都で日本初の映画上映を行う。1900年、軍服のカーキー色染出に成功し、実用化した。1904年-1905年、日露戦争以来、帝国陸軍制服の染出に関わる。1922年、大阪商業会議所第10代会頭になる。1926年、「日本染料製造株式会社」社長に就任した。財団法人「日仏文化協会」を設立し、副会長に就任する。1926年-1947年、貴族院勅選議員になる。88歳。
 フランス仏語に堪能だった。女学生の袴地の海老茶染、軍用服地のカーキー色染などで一財を成した。日仏間の文化の懸け橋になることを望んでいた。財団法人「日仏文化協会」の設立を呼びかけ、1927年、九条山・「関西日仏学館」の旧館建設、1936年の吉田・新館(後のアンスティチュ・フランセ関西)移設建設に寄付金を募り、多額の建設費を集めて協力した。
 1897年、日本帰国に際し、シネマトグラフの興行権を得て、フランス人のコンスタン.ジレルとともに、京都で日本初の映画上映を行う。日本の風景などを撮影し、日本初の映画撮影になった。後に興行権は、友人の横田万寿之助・横田永之助兄弟に譲る。兄弟は1934年、「横田兄弟商会」を設立し、初期の映画興行を行った。
◆コンスタン.ジレル 近代のフランス人映写技士・コンスタン.ジレル(?-?、Constant Girel)。詳細不明。リュミエール社の技師。1897年、来日、撮影も行う。「家族の食事」(1897)、「日本の宴会」「京都の橋」「日本の踊り子」などを撮影した。作品は、日本紹介の映像として欧米で上映された。
◆シネマトグラフ シネマトグラフ(仏語cinematographe)は、1895年、フランスのリュミエール兄弟が発明した。映画の撮影、映写を兼ねた装置になる。トーマス.エジソンが発明したキネトスコープの改良型ともいう。「シネマ(映画)」の語源になった。
◆キネトスコープ 映像機のキネトスコープ( Kinetoscope)は、トーマス.エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)により、1891年に発明された。のぞき眼鏡式になる。撮影機はキネトグラフ(Kinetograph)という。1893年のシカゴ万国博覧会に出展された。
 1894年、ニューヨークのブロードウェイで世界初の映画館(キネトスコープ・パーラー)が設置された。日本では、1896年に神戸の神港倶楽部で初上映されている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
❊参考文献・資料 『京都の映画80年の歩み』、『京都まちかど遺産めぐり』、『京都はじまり物語』、『意外と知らない京都』、 『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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旧立誠小学校 〒604-8023 京都市中京区備前島町310-2,下樵木町木屋町通
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