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丸山聖護院宮墓地 (聖護院宮墓地) (京都市左京区) Cemetery of Maruyamai-shogoimmiya (Prince) |
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丸山聖護院宮墓地 (聖護院宮墓地) | 丸山聖護院宮墓地 (聖護院宮墓地) |
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白川の東の丘陵地に、丸山聖護院宮墓地(まるやま-しょうごいんのみや-ぼち)がある。正式には「聖護院宮墓地」と呼ばれている。 6人の聖護院宮の親王などの墓がある。 ◆歴史年表 江戸時代中期、1714年、道承法親王が亡くなり、葬られる。 1770年、増賞入道親王が亡くなり、葬られた。 1788年、中誉親王が亡くなり、葬られる。 1831年、盈仁法親王、万寿宮が亡くなり、葬られた。 近代、1868年、嘉言親王が亡くなり、葬られた。 ◆道承 法親王 江戸時代前期-中期の皇族・天台宗の僧・道承 法親王(どうしょう-ほうしんのう、1695-1714) 。男性。貞良。父・伏見宮邦永(くになが)親王。1702年、第113代・東山天皇の養子になる。聖護院に入寺する。1703年、親王になる。1709年、園城寺長吏、熊野三山検校、新熊野検校を兼ねた。20歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆増賞入道 親王 江戸時代中期の皇族・天台宗の僧・増賞入道 親王 (ぞうしょう-にゅうどうしんのう、1734-1770)。男性。種徳(たねのり)、法号は至誠心寺。父・職仁(よりひと)親王の第4王子。第115代・桜町天皇の養子になる。1746年、親王になり、実相院に入寺、出家した。1752年、聖護院に移る。園城寺長吏、護持僧などを務めた。37歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆中誉 親王 江戸時代中期-後期の皇族・天台宗の僧・中誉 親王(ちゅうよ-しんのう、1722-1788)。男性。忠篤親王。父・第114代・中御門天皇、母・掌侍園常子。10歳で親王宣下を受け、聖護院で出家した。聖護院門跡、園城寺長吏を歴任し、准三后を授けられた。66歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆盈仁 法親王 江戸時代中期-後期の皇族・天台宗の僧・盈仁 法親王(えいにん-ほうしんのう、1764-1831)。男性。幼称は寛宮、俗名は嘉種(よしたね)。父・閑院宮典仁親王(慶光院)の第7王子。第118代・後桃園天皇の養子になる。聖護院門跡の中誉親王の子弟になる。園城寺長吏、聖護院門跡。一品、准三宮に叙せられる。67歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆万寿宮 江戸時代後期の皇族・万寿宮(ますのみや、1820-1831)。詳細不明。男性。父・伏見宮貞敬(さだよし)親王。11歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆嘉言 親王 江戸時代後期の皇族・天台宗の僧・嘉言 親王(よしひと-しんのう、1821-1868)。男性。幼称は巍宮、多嘉宮、法名は雄仁。父・伏見宮邦家親王、母・藤木壽子の第2王子。祖父・貞敬親王の嗣子。盈仁(えいにん)親王の附弟、第119代・光格天皇の養子になる。親王宣下を受け嘉言とした。聖護院に入寺、得度し、雄仁に改める。三井寺長吏、一身阿闍梨。1868年、維新後に還俗し、聖護院宮の宮号を称した。内国事務総督、海軍総督等を務めた。48歳。 墓は丸山聖護院宮墓地(左京区)にある。 ◆墓 道承親王、増賞親王、中誉親王、盈仁親王、万寿宮、嘉言親王の無縫塔が立つ。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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