高山寺・淳和院跡 (京都市右京区西院) 
Kozan-ji Temple
高山寺  高山寺
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門前に立つ「淳和院跡」の石標




本堂に掛る御詠歌の額




鐘楼


地蔵尊


石仏地蔵群


水子地蔵、地蔵和讃「産みなす父母のまよいより  水子のうちにこの世去り 母の乳房をさがしつつ  ひとり闇路の幼霊や 哀れ愛しと抱きたもう  大慈大悲の地蔵尊 あみだ如来のすがたかえ  育て導く最尊(ほとけ)なり 母子(おやこ)の尊ききづなおば  絶ちし罪咎赦されと 香水そそぎて念佛を 称うる心願(こころ)に感応らる」


宝篋印塔




【参照】近くの春日神社境内にある旧淳和院の礎石
 高山寺(こうざんじ)は、四条西大路の北東角にある。平安時代には、この地に淳和天皇の離宮があり、門前に「淳和院跡」の石標が立つ。
 「西院の河原(さいのかわら)」、「賽の河原(さいのかわら)」とも呼ばれている。古くは「高西寺」と呼ばれた。山号は日照山という。
 浄土宗。本尊は地蔵菩薩(子授地蔵)、十一面観音。
 子ども守護、子宝祈願、疾病平癒の信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代前期、この地には第53代・淳和天皇(786-840)の後院(天皇即位後の御所)である離宮南池院(西院)が営まれていた。付近はその東南隅に当たった。
 833年、淳和上皇は譲位後、皇太后正子内親王とともに、整備した離宮・淳和院(西院)に住む。
 840年、上皇没後、皇太后は出家し、院は仏道修行の道場になる。 
 871年、西院付近は庶民の葬送の地と定められている。
 879年、皇太后没後、その遺命により院は寺に改められた。
 平安時代中期、平安京の右京が衰退し、荒廃する。付近も広い河原になり、「西院の河原」と呼ばれた。
 南北朝時代、1347年、室町幕府初代将軍・足利尊氏は帰依し、近江国堅田の地蔵尊を遷した。「高西寺(こうさいじ)」を建立した。善西(生没年不明)の開基によるともいう。当初は、現在地の南東(四条南土手東)(『山城名勝志』)にあった。また四条御前に位置したともいう。高山寺の前身になる。
 室町時代、洛陽六地蔵めぐりの一つになる。
 1465年、8代将軍・足利義政夫人・日野富子は、地蔵尊に祈願し、嫡子・義尚(9代将軍)を産んだ。
 1481年、「高西寺」と記されている。(『親長卿記』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)-近世(安土・桃山時代-江戸時代)、地蔵信仰、地蔵和讃の賽の河原信仰が起こる。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉のお土居築造に際して、現在地の西院に移された。「高山寺」に改める。
◆淳和天皇
 平安時代の第53代・淳和天皇(じゅんな-てんのう、786-840)。大伴(おおとも)、西院帝、日本根子天高譲弥遠天皇(やまとねこあめたかゆずるいやとおのすめらみこと)、後太上天皇とも称された。第50代・桓武天皇の第3皇子、母は藤原百川の娘・松子(贈皇太后旅子 [たびこ])。810年、平城太上天皇の変(薬子の変)により、兄・平城上皇(第51代)は失脚し、その皇子・高岳(たかおか)親王(真如)は廃太子された。第52代・嵯峨天皇の信頼篤く、皇太弟になる。823年、嵯峨天皇の譲位により即位した。冷然院(冷泉院)に住む嵯峨上皇は影響力を残し、皇太子に上皇の皇子・正良親王(後の第54代・仁明天皇)が立つ。大伴氏は、天皇への配慮から「伴氏」に改めた。824年、左右検非違使庁を設置し、制度を強化した。826年、上総、常陸、上野を親王任国に定める。833年、皇太弟時代の離宮南池院(西院とも)を整備した淳和院に移り、第54代・仁明天皇に譲位した。淳和上皇の皇子・恒貞(つねよ)親王が皇太子になる。
 治水事業、律令制再建、令外官の勘解由使(かげゆし)の復活、検非違使制度の強化を行う。勅旨田、親王任国を置き皇室財政を強化した。漢詩に長じた。詩文集『経国集』(827)、滋野貞主による百科事典『秘府略』(831)、清原夏野らの令(りょう)の公的注釈書『令義解(りょうのぎげ)』(833)の編纂などに努めた。
 温厚な性格だったという。当初、上皇の称号、待遇を辞退する。上皇が二人のため、嵯峨上皇を「先(前)太上天皇」、淳和上皇は「後太上天皇」と称した。遺言により山陵は築かれず、大原野山中に天皇初の散骨が行われた。御陵は大原野西嶺上陵(西京区)になる。
 なお、842年、嵯峨上皇没後、皇子・恒貞親王は廃位になった。(承和の変)。
◆善西 南北朝時代の浄土宗の僧・善西(?-?)。詳細不明。1347年、高山寺を開基したという。
◆中川四明
 近代の俳人・中川四明(なかがわ-しめい、1849-1917) 。京都生れ。下田耕作の次男、中川重興の養子。京都中学に学ぶ。学校教員を経て、日本新聞、京都中外電報、大阪朝日新聞に勤務した。1896年、俳人・水落露石らと「京阪満月会」を興す。1904年、俳誌『懸葵(かけあおい)』を刊行した。句集に「四明句集」など。
 墓は高山寺にある。
◆淳和院 平安時代、四条大路(現在の四条通)の東北一帯に、淳和天皇の営む離宮「淳和院」があった。天皇即位後の御所である後院(ごいん)とされた。御所の西に当たることから、「西院」と呼ばれた。
 広さは東西約230m、南北約250mあり、池に面した御所で、現在の高山寺の東北に位置した。鎌倉時代の第88代・後嵯峨上皇らも行幸し、文人による遊宴も催される。
 この後院が地名の西院になったともいう。また、佐井川、佐井通の「佐井(さい)」が西院の語源になったともいう。
◆地蔵 ◈本堂の本尊「地蔵菩薩(子授地蔵)」は、平安時代の恵心僧都(源信、942-1017)作という。かつて、近江堅田にあり、足利尊氏 (1305-1385)の帰依によりこの地に遷されたという。室町時代、1465年、8代将軍・足利義政夫人・日野富子、1440 -1496)は、地蔵尊に祈願し、1465年に嫡子・義尚(9代将軍)を産んだ。木造、像高70cm。
 ◈本堂前に石仏群があり、「賽の河原地蔵」と呼ばれている。
 ◈最大の「地蔵尊」は、江戸時代作になる。左手に宝珠のみを載せる。洛東黒谷山麓より遷したという。痔疾平癒の祈願信仰がある。像高3m、4mとも。
 複数の石仏は、お土居から出土したという。室町時代-江戸時代のものという。
◆佐比川 境内の西に南北の通りの佐井東通、そのさらに西に佐井通(春日通)がある。
 平安時代、平安京では、西院付近の南北の佐井通(春日通)は、「佐比大路(道祖大路)」と呼ばれた。この大路に沿い、南北に「佐比川(さいがわ)」と呼ばれる川が流れていた。
 平安時代中期、川幅は広がり、淳和天皇(在位823-833)の禊祓(みそぎはらい)も行われた。871年、この地は庶民の葬送の地に定められる。後に、葬送地は七条に移されたが、15歳以下の子どもはここで葬送されていた。
 近代、昭和期(1926-1989)初期までは川の流れがあり、その後、暗渠になる。
◆賽の河原(西院の河原)地蔵和讃 西院は「西(さい)」とも呼ばれたことから、「賽の河原(さいのかわら)」にあたるとされた。
 平安時代の淳和天皇後院は「淳和院」、「西院」とも呼ばれた。この付近は、平安京右京の佐比(さい)大路、道祖(さい)大路にあたり、民間信仰の水子供養である賽の河原(西院の河原)信仰に結びついたという。佐比川の広い河原が「西院の河原」と呼ばれ、賽の河原の伝承を生んだともいう。
 三途の川を渡ると、石原の賽の河原が現れる。早世した子どもは、河原で両親らの無事を祈る一心で、何度も石の塔を積み上げる。そこに鬼が現れ、積み上げられた石塔を壊してしまう。
 境界に祀る路傍神の道祖神、さらに、子どもを守る地蔵信仰、平安時代以降の浄土信仰が習合している。文献初出は、室町時代の『御伽草子』とされ、普及するのは江戸時代初期、盛んになったのは太平洋戦争後ともいう。
 冥途の旅に出ざるをえなかった幼子の目を通して、その悲哀と親への免罪が描かれた賽の河原地蔵和讃は、通夜などに唱えられた。その一例。
 「これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は 追善供養の勤めなく (ただ明け暮れの嘆きには) (酷や可哀や不憫やと) 親の嘆きは汝らの 苦患を受くる種となる 我を恨むる事なかれと くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出てさせたまいつつ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き いまだ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり 哀れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩」。
 なお、地蔵尊にかけられている「よだれ掛け」とは、子どもを亡くした親が子の目印に付けたものという。わが子を地獄の鬼から守り、親代わりに導いてくれるようにという願いを込めて掛けられている。 
◆墓 近代の俳人・中川四明の墓がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『平安の都』『京都の地名検証』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都大事典』『新版 京のお地蔵さん』『京都のご利益手帖』 、ウェブサイト「コトバンク」


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