旧淳和小学校風災(室戸台風)慰霊塔 (京都市右京区)  
Former Junna Elementary School Wind Damage Monument
旧淳和小学校風災(室戸台風)慰霊塔 旧淳和小学校風災(室戸台風)慰霊塔
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風災慰霊塔


風災慰霊塔


碑文


殉職した教師・児童の氏名
 西院(さいいん)の高山寺(こうざん-じ)境内の隣に、「風災慰霊塔(ふうさい-いれいとう)」が立てられている。
 近代に京都に来襲した室戸台風により被災した、旧淳和(じゅんな)小学校の教師・児童の慰霊のために建立された。
◆歴史年表 近代、1934年、9月21 日、室戸台風の来襲により、旧淳和尋常高等小学校の教師・児童41人が犠牲になる。
 1935年、9月21日、一周忌に西院学区有志は、高山寺境内に「風災慰霊塔」を立てた。
 現代、1963年9月21日、高山寺では遭難学童殉難教員の慰霊法要を行い、学校関係者が法要に参加するようになる。
 1966年、9月21日、33 回忌追悼法要が行われた。
◆松浦 寿恵子 近代の教育者・松浦 寿恵子(まつうら-すえこ、1904-1934)。女性。岡山県の生まれ。岡山県女子師範(現・岡山大学)卒。1930年、京都市淳和尋常高等小学校(現・淳和小学校)の訓導(教員)になる。1934年、9月21日午前、室戸台風で児童とともに倒壊した校舎の下敷きになり死去した。31歳。
 知恩院(東山区)の山門横に「師弟愛之像」が立つ。高山寺(右京区西院)に「風災慰霊塔」が立つ。大谷本廟には「師弟愛の碑(関西風水害罹災学童碑)」、
◆室戸台風 近代、1934年9月12日-13日に、サイパン・グアム・ヤップ島付近の海上に弱い熱帯低気圧が発生した。9月21日午前5時頃、室戸台風は高知県安芸郡奈半利町(なはり-ちょう)付近(室戸岬の北西24km)に上陸した。その後、徳島市の南西約15km付近を進む。淡路島を通過し、午前8時頃、神戸市深江付近に達した。その時の台風の中心気圧は954hPa、大阪での最大瞬間風速は60m/s以上という猛烈さだった。
 9月21日朝に、台風は京都市内に接近・上陸している。京都での最大風速は28.0m/s、最大瞬間風速は42.1m/s(京都府測候所測定)だった。京都市消防局によると、京都での倒壊家屋3,151戸、死者185人、負傷者849人になっている。また、死者233人・負傷者170人、家屋の全半壊4,655戸、国宝建造物での被害は神社21件・寺院40件、上賀茂神社・建仁寺方丈などは全壊した。被害を最も受けたのは小学校だった。当時は木造校舎が多かったため、倒壊13校、大破による校舎使用不可校38校といわれている。森林被害は、清水山(東山区)、東山国有林、清水寺の背後の森林などの倒木被害があり10haが全滅、国有林全体で289haが被害にあったという。(レファレンス協同データベース)
 旧淳和尋常高等小学校では、午前8時34分には1時間目の授業が始められていたとみられる。この頃、校内北西にあり、運動場に面して建つ木造2階建校舎(1927年建造)の西半分8教室が倒壊した。建物は東西に長くなってゆり、強風により南側のガラス窓が割れ教室内に破片が飛び散った。教師は児童を教室の北側・廊下に移動させ、南東の講堂への避難を指示していた。校舎が揺れ始め、1階に居た児童らは2階から3年生の児童が降りて避難するのを待ち、廊下・階段付近で待機した。3年生の避難終了直後に木造校舎は倒壊した。この時、コンクリート製の防火壁を境に8教室が倒壊し、1年生4学級の約200余人が倒壊建物の下敷きになった。防火壁は階段・「に」組教室側に崩落したため、1年生31人が亡くなっている。担任の訓導(教師)・松浦壽恵子は 1人の女児を抱きかかえたまま絶命していた。児童は無傷で救出されている。
 学区民・軍隊68人による救出活動が素手により行われた。京都府によれば、旧淳和小学校の被災者数は死者は教員1人・児童31人、重症者は教員3人・児童57人、軽症者は教員0人・ 児童42人、計134人になる。また、重傷者90人ともいう。その後、重傷者は大宮病院・市民病院・日赤病院などに移送された。
 ほか、府下の死者数で西陣小学校は教師0人・児童41人、八幡小学校は教師2人・児童32人、両洋中学校は教師0人・児童19人、下鳥羽小学校は教師0人・児童18人、向島小学校は教師2人・児童13人など多くの犠牲があった。
◆被災後 ◈被災後、近代、1934年9月26日に学校葬が執り行われた。現代、1950年 9月21日には学校の講堂で風災13 周忌の追悼式を行う。
 現在、京都市立西院小学校では校庭に風災記念碑が立てられ、1977年4月から「学校風災記念日」(9月21日)を定め、防災行事を続けている。
 ◈近代、1935年9月21日の被災後1周忌に、西院学区有志は高山寺(右京区)に「風災慰霊塔」を建立した。
 現代、1963年9月21日に、高山寺では遭難学童殉難教員の慰霊法要を行い、以来、学校関係者が法要に参加するようになる。1966年9月21日には、33 回忌追悼法要が行われた。
◆旧淳和小学校 近代、1873年6月に山城国葛野郡西院村に、「第一区西院校」が創立される。1887年7月に「西院尋常小学校」に改称した。1904年4月、「西院村立尋常小学校」に改称する。1918年7月、小学校高等科を新設し、「西院尋常高等小学校」に改称した。1931年6月に、 「京都市立西院尋常高等小学校」に改称する。
 1932年7月、「京都市立淳和尋常小学校」に改称する。学校が淳和天皇の離宮跡地にあり、「天皇の遺徳を讃え奉戴することが使命」であるとの理由だった。1934年9月、室戸台風に被災し、西北部8教室が倒壊し、犠牲者があった。1936年4月、「京都市立淳和第二小学校(現・山ノ内小学校)」を開設する。1936年11月には復興新校舎が竣工している。1940年4月、「京都市立淳和第三小学校(現・西院中学校)」を開設した。1941年3月、国民学校令により「京都市立西院国民学校」に改称する。
 現代、1947年4月、「京都市立西院小学校」に改称した。1948年4月に、併設の中学校を西院第二小学校に移し、同校を廃止し西院小学校に合併した。
◆関連の碑 ◈近代、1934年の室戸台風の犠牲者の慰霊の碑としては、高山寺(右京区)の「風災慰霊塔」のほかに、京都市立西院小学校(右京区)に碑があるという。
 ◈知恩院(東山区)の山門横には「師弟愛之像」が立つ。大谷本廟(東山区)には「師弟愛の碑(関西風水害罹災学童碑)」が立てられている。
 ◈京都女子大学(東山区)には「師弟愛の像」が立つ。吹田の豊津小学校訓導・横山仁和子(1909-1934)は、3人の児童を庇い圧死したという。京都女子高等専門学校の卒業生であり26歳だった。
 大学教授・藤田が定年退職の記念として、大谷本廟の像を複製して立てたという。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都の災害をめぐる』、ウェブサイト「京都市立西院小学校」、「気象庁大阪管区気象台」、ウェブサイト「室戸台風による京都市とその周辺の学校被害と記念碑-京都歴史災害研究第19 号(2018)」、ウェブサイト「京都市消防局」、ウェブサイト「レファレンス協同データベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 旧淳和小学校風災(室戸台風)慰霊塔 〒615-0012 京都市右京区西院高山寺町18
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