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樒原 (京都市右京区嵯峨) Shikimigahara |
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樒原 | 樒原 |
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![]() 樒原の里 ![]() ![]() 愛宕神社への参詣道 ![]() 愛宕神社の鳥居 ![]() 愛宕神社の鳥居、社号扁額 ![]() ![]() 白雲稲荷大明神、末廣稲荷大明神、松竹稲荷大明神 ![]() ![]() ![]() 【参照】樒 |
右京区北西部、愛宕山西麓の山間部に嵯峨樒原(さが しきみがはら)地区がある。この地には、樒が群生していたことから名付けられた。かつては、原と呼ばれていた。 ◆歴史年表 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、丹波国桑田郡より、山城国葛野郡に移る。愛宕山福寿院の寺領になる。(『京都府地誌』) 安土・桃山時代、1587年、豊臣秀吉の朱印状は、樒原の開発を促している。(「樒原共有文書」) 近代、1889年、嵯峨村の大字になる。 1931年、京都市に編入された。 ◆樒 原村(現在の樒原)、南隣する水尾村には、樒が群生したため、一帯は樒が原と呼ばれていた。樒原の地名由来になる。 樒はシキミ科の常緑小高木であり、精油分が含まれているため香りを放つ。仏前に供えられる。 かつて、水尾では、毎朝、樒を採り、頭に載せて愛宕社に参詣した。神前に供えた後、参詣者に授与されていた。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『京都市の地名』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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