おかいらの森 (小野瓦窯跡) (京都市左京区)  
Okaira-no-Mori forest
おかいらの森 (小野瓦窯跡) おかいらの森 (小野瓦窯跡)
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「おかいらの森」


崇道神社御旅所


瓦片


おかいらの森
 三宅八幡神社の西に「おかいらの森」がある。現在は、崇道神社(左京区)の御旅所になっている。
 「おかいら」とは、瓦(瓦屋)の転訛という。付近は、平安宮造営時の官営瓦工房、小野瓦窯跡(おのがようあと)(京都市登録文化財)になる。
◆歴史年表 平安時代中期、10世紀(901-1000)、小野瓦屋は生産し始めたとみられている。  
 927年、『延喜式』木工寮の条で、栖野野(くるすの)瓦屋、小野瓦屋について記されている。
 11世紀(1001-1100)前半、おかいらの森の小野瓦屋は生産し始めたとみられている。 
 平安時代後期、11世紀(1001-1100)中頃、おかいらの森の小野瓦屋は操業を止めたとみられている。
 近代、大正年間(1912-1926)、おかいらの森で出土した平瓦に「小乃」「乃」の文字が刻まれていた。
 現代、2004年、2月、おかいらの森で京都市埋蔵文化財研究所は、文化庁の国庫補助を得て初の発掘調査を行う。丘の南側で平窯1基を発見した。
◆小野瓦屋 平安時代には、平安京造営のための瓦の官営窯工房があった。宮殿、寺院で使用する瓦を焼き「瓦屋(かわらや)」と呼ばれた。927年の法令集『延喜式』巻34の木工寮条には、栗栖野(くるの)瓦屋と小野瓦屋の2つが記載されている。宮内省所属の木工寮(もくりょう/こだくみのつかさ)に属していた。
 小野瓦屋の場所は、岩倉盆地東部の小丘「おかいらの森」(左京区上高野小野町)と推定されていた。三宅八幡宮の参道南斜面一帯にあたる。大正年間(1912-1926)に、おかいらの森で唐草文軒平瓦が出土した。瓦当面(がとうめん)中央には、「小乃(おの)」「乃」の文字「木工(もく)」銘平瓦が刻印されていた。瓦屋名がわかる稀有の瓦工房跡とされた。
 2004年2月、丘での初の発掘調査が行われる。丘の南側で半地下式のやや大振りな「半地下式有牀式(ゆうしょうしき)平窯(ひらがま)」1基が発見される。1号瓦窯跡は人工の盛土を掘り込み、西向きに焚き口が開けられていた。内部は、薪を燃やした燃焼室、隔壁、瓦を焼いた焼成室があった。焼成室の床に分焔牀(桟道)という6条の畝があり、焼きむらを防ぐ工夫が施されていた。窯は、平安時代中期終わりの11世紀前半に生産を始め、11世紀中頃には中止したとみられている。
 窯内部、周辺からは多くの軒瓦が出土している。大量の同笵瓦は、平安宮朝堂院(ちょうどういん)、豊楽院(ぶらくいん)、高陽院(かやのいん)からも見つかっている。窯全長3.8m、隔壁付近の最大幅2.4m。
 「おかいらの森」全体が小丘になっており、土砂、大量の布目瓦など瓦片遺物(廃棄物)で構成されていることが確認された。焼き損じの瓦のほか、焼土、炭化物の炭、灰などが廃棄されていた。量は770㎡にのぼり、周辺にも瓦窯が多数存在した可能性があるとみられている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「小野瓦窯- 京都市埋蔵文化財研究所」、『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』、『掘り出された京都』、ウェブサイト「京都市指定・登録文化財 京都市」、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map おかいらの森(小野瓦窯跡) 〒606-0058 京都市左京区上高野小野町10-22
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