宴の松原跡 (京都市上京区)
Enno-matsubara Field (field with pine trees)
宴の松原跡 宴の松原跡 
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「宴の松原」の石標



【参照】平安時代宴の松原復元図(京都市平安京創生館)、案内パネルより 

 出水通六軒町東入ルに「宴の松原(えん-の-まつばら)」の石標が立つ。
 平安時代に、この地には広大な空地が広がっていた。 
◆歴史年表 平安時代、宴の松原は、平安京大内裏の中央(内裏の西、豊楽院の北)にあった松林跡をいう。内裏建替えの代替地だった、饗宴が催されたともいう。
 9世紀末(801-900)より、荒廃した。妖怪出没の伝承があった。
 現代、2001年、立会調査が行われた。
◆宴の松原 宴の松原(えんのまつばら)は、平安京大内裏の中央(内裏の西、豊楽院の北)にあった松林跡をいう。縁の松原とも記された。内裏とほぼ同じ規模を有していた。詳細については分かっていない。
 内裏建替えの代替地だったともいう。奈良時代の恭仁宮には、宮内の大極殿北に2つの内裏が並んでいた。その後、奈良時代の平城宮、長岡京(西宮)にも引き継がれた。饗宴が催された場だったともいう。
 天皇譲位後に上皇が、次期天皇の後見人として住まう宮予定地だったともいう。第50代・桓武天皇は、皇位を皇太子・安殿(あて)親王(第51代・平城天皇)に譲った後、平安宮内に宮を営もうとした。806年に桓武天皇は、上皇になることなく没したため、宮の造営予定地のみが残されたともいう。その後の上皇は、宮外に後院を建てている。
 9世紀末(801-900)より、宴の松原は荒廃した。妖怪出没の伝承が生まれた。「あはれにも今は限りと思ひしをまためくりあふえんの松はら」の歌がある。(『栄花物語』)
◆伝承 ◈伝承がある。平安時代、宴の松原一帯は、鬼が出没する場所として恐れられた。松の木の下では、鬼が女性を殺めたともいう。(『大鏡』)
 ◈第65代・花山天皇の発案により、藤原道隆(953-995)、道兼(961-995)、道長(966-1028)の3兄弟が、宴の松原で肝試しを行ったという。
 道隆が内裏より豊楽院に向かうと、宴の松原辺りより得体の知れない声がした。道隆は逃げ帰っている。道兼も仁寿殿の塗籠(ぬりごめ、寝室)に向かい、途中で引き返した。大極殿に向かった道長だけは果たし、証拠に高御座の柱の一部を削って持ち帰ったという。(『大鏡』)
 ◈平安時代、887年の丑の刻(午前1-3時)に、3人の美しい女が松原の西を歩いていると、松の木の下に男が立っていた。女の一人が男と手を取り、数刻も語らう。やがて、女の話し声が聞こえなくなる。
 男がはたと目をやると、女の手足が地に落ちており、胴体に首はなかった。報を受けた宿直(とのい)の者たちが駆け付けると、すでに女の死体も見当たらなかった。
 翌日、僧たちが呼ばれ、大般若経を請じることになった。僧の宿所に充てられた朝堂院の東西の廊下で、夜半に外で騒動の声が聞こえた。僧たちが確かめるために飛び出すと、何事も見当たらなかった。(『三代実録』)
 ◈近衛舎人の播磨安高は、9月の月が明るい夜更けに、大内裏を横切り朱雀大路の西側にある自宅に戻るために、武徳殿東の宴の松原に差し掛かった。一人の美しい女と出会った。安高は女の身を案じ、自宅へと誘う。安高は豊楽院辺りに出没するという人を化かす狐のことを思い出した。女の正体を暴こうと、自分は追剥だと名乗り、身ぐるみをよこせと顔に刀を当てて脅してみた。女は安高に小便を掛け、狐の姿に変じて西大路大宮を北へと逃げたという。(『今昔物語』)
◆発掘調査 2001年に宴の松原の南東部で立会調査が行われた。東西溝が見つかる。
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 説明板、『古代を考える 平安の都』、『平安京散策』、『続・京都史跡事典』、『京都歴史案内』、『平安宮ガイド』、『平安京を歩く』、『京都市文化財ブックス28集 平安京』、京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所、京都市平安京創生館


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map 宴の松原跡 〒602-8359 京都市上京区七番町327
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