小倉山 (京都市右京区)
Mt. Ogurayama
小倉山 小倉山 
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小倉山、嵐山


小倉山、嵯峨野

 嵐山にある小倉山(おぐらやま、296m)は、雄蔵山、小椋山とも呼ばれた。古くは嵐山一帯の山の総称であり、後に小倉山の一山を表した。歌枕にもなる。麓には複数の寺院が点在している。
◆歴史年表 平安時代、907年、宇多法皇(第59代)は、大井川(大堰川)の紅葉狩りに御幸した。法皇は、第60代・醍醐天皇にも見せたいと語る。藤原忠平は、これを踏まえて「小倉山峰のもみぢば心あらば今ひとたびのみゆき待たなん」(『小倉山百人一首』)と詠む。 (『拾遺和歌集』)
 975年、小倉山が「亀を以って体をなす」と記され、山は亀の形をしており、玄武の霊、水を司る神とされた。 (『本朝文粋』)
 986年、醍醐天皇皇子・兼明(かねあきら)親王は、嵯峨野の亀山(小倉山)に山荘「雄倉(おぐら)殿」を営み隠棲した。別荘に清泉はなく、亀山の神に祈り霊泉を得られたという。 (『本朝文粋』)
 1142年、西行は小倉山山麓に住し、「牡鹿鳴小倉の山の裾近みただ独り澄む我心かな」 (『山家集』)と詠む。この頃より、亀山が小倉山に、亀尾山が亀山と呼ばれたという。
 鎌倉時代1205年、藤原定家は、冷泉高倉第より「小倉山荘(嵯峨草庵)」を訪れた。(『明月記』)。定家は山荘を姉・健寿女より譲られる。
 1235年、定家は、宇都宮頼綱(蓮生)の依頼により、小倉山荘(「時雨亭」、蓮生の別荘「嵯峨中院」とも)で、障子に貼る色紙のために、第38代・天智天皇-家隆・雅経の歌各一首を選定し染筆した。『小倉百人一首』の成立になる。
 安土・桃山時代、1595年、小倉山の南東に常寂光寺が創建される。
 現代、1965年、小倉山の北に嵐山高雄パークウェイ(10.7km)が開通する。
 1989年、小倉山にJR西日本山陰線複線電化に伴い、新たにトンネルが開通する。
 1991年、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が、旧トンネルを利用して嵯峨駅-亀岡駅間(7.3km)で運行を始める。
◆小倉山 小倉山は、保津川を挟み南の嵐山と対峙する。
 小倉山の語源は「をぐらし」にあり、「奥深いところ」「薄暗いさま」であり「小暗い山」を意味した。かつては、一帯の総称としての山の名であり、嵐山、亀山、小倉山、愛宕山も含んだ。その後、小倉山のみを指すようになる。
 嵐山から見る山は紡錘形をしており、甲羅を背にした亀にたとえられた。南東の尾根を「亀尾山(亀山)」(亀山公園)と呼んだ。平安時代には山荘が営まれる。986年、兼明親王は山荘造営に際して、亀山の神に霊泉の湧水を祈願した。後嵯峨上皇は亀山殿を造営する。天龍寺の山号は霊亀山とした。紅葉の名所として知られ、歌枕にもなる。なお、北の嵯峨清滝には亀ヶ首町という地名がある。
 この地の山荘地としては、平安時代前期の皇族・兼明親王(914-987)の「雄倉殿」、鎌倉時代の公家・歌人・藤原定家(1162-1241)の「小倉山荘」、平安時代後期の待賢門院の中納言局(生没年不詳)、平安時代後期の皇族・歌僧・覚性法親王(1129-1169)、鎌倉時代初期の歌人・八条院高倉(生没年不詳)、平安時代末期-鎌倉時代初期の武士・歌僧・西行(1118-1190)、平安時代末-鎌倉時代初期の歌僧・寂蓮(1139? -1202)、鎌倉時代の公卿・藤原公雄(生没年不詳)、鎌倉時代の公家・歌人・藤原光経(生没年不詳)、鎌倉末期の歌人・飛鳥井雅有(1241-1301)、江戸時代前期の俳諧師・去来(1651-1704)、江戸時代の歌僧・涌蓮(1719-1774)などがある。

 
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の地名検証 3』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』


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