中院山荘跡(小倉百人一首ゆかりの地)・中院 (京都市右京区)
ruins of Chuin-sanso(The mountain villa)
中院山荘跡 中院山荘跡 
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 北中院町(きたちゅういんちょう)の通り沿いに、地蔵尊が祀られている。その傍に、「中院山荘跡(ちゅういんちょう さんそうあと)」と書かれた駒札だけが立てられている。
 かつて付近には、鎌倉時代の僧・蓮生(宇都宮蓮生)の営んだ「中院山荘」があったという。このため、「小倉百人一首ゆかりの地」ともいわれている。  
◆歴史年表 平安時代末、すでに中院の地名が用いられていたとみられる。
 鎌倉時代初期、この付近に、僧・蓮生(1178-1259)の「中院山荘」があったという。  
 1235年、蓮生は、自らの中院山荘(小倉山荘ではない)の障子に貼る色紙和歌の選定、執筆を藤原定家(1162-1224)に依頼した。(『明月記』)。中院山荘近くの小倉山麓には、定家の山荘があり、二人には親交があった。
 江戸時代、1711年、中院は清凉寺西、香厳院東にあった。天台系真言宗の寺院であり、愛宕山の白雲寺の末院だった。 (『山城名勝志』『山州名跡志』)
 1734年、中院町と記されている。町名の初見になる。 (『山州名跡巡行志』)
◆宇都宮蓮生 平安時代後期-鎌倉時代の武将・宇都宮蓮生(うつのみや れんしょう、 1178-1259)。頼綱。実信房、宇都宮入道。宇都宮成綱の子。宇都宮5代城主、鎌倉幕府御家人。1205年、謀反の疑いにより、27歳で出家、宇都宮蓮生と称した。この時、郎党60余人も出家した。摂津箕面・勝尾寺で法然に会い、後に証空に師事し、西山往生院の復興を行う。1227年、天台衆徒より法然遺骸を護った一人になる。藤原定家より歌を学び、定家の子息に娘を嫁がせた。二尊院近くの小倉山麓に「中院山荘」を構える。1235年、山荘障子に貼る色紙の執筆を定家に依頼した。定家は第38代・天智天皇以来の一首ずつを綴り『小倉百人一首』の原型になる。1257年、三鈷寺で不断念仏を始める。西山上人13回忌の準備途中で亡くなる。
 遺言により、西山上人石塔の横に蓮生の石塔を建てて供養した。現在、三鈷寺・華台廟に西山上人と共に祀られている。
◆小倉百人一首 鎌倉時代、1235年、蓮生は自らの山荘の障子に貼る色紙和歌の選定、執筆を定家(1162-1241)に依頼した。定家は『百人秀歌』を編した。『古今集』以下の勅撰集より選び、色紙に第38代・天智天皇以来の名歌人の作を書いたという。定家晩年のことという。「小倉百人一首」「小倉山荘色紙形和歌(小倉山荘色紙和歌)」とも呼ばれる。
 「小倉百人一首」は後世、第74代・鳥羽天皇、第84代・順徳天皇の歌を加え、補訂されたという。ただ、異説もある。
 江戸時代初期以後は、「歌がるた」として愛好された。近代以降、「競技かるた」として発展した。
◆中院 中院は天台系真言宗の寺院であり、愛宕山の白雲寺の末院だった。山上に上院、下院は京の大仏殿付近にあったという。愛宕詣りの宿坊ともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 駒札、『京都大事典』


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map 中院山荘跡 〒616-8425 京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町  
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