斎宮神社 (京都市右京区)  
Saigu-jinja Shrine
斎宮神社 斎宮神社
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拝殿



本殿



白龍大神



白龍大神



社務所


神殿旧跡地の碑


さざれ石
 有栖(ありす)川の東に斎宮神社(さいぐう-じんじゃ)はある。伊勢神宮に奉仕した斎宮ゆかりの野宮(ののみや)旧跡という。「神明社」とも呼ばれた。 
 斎宮とは、斎王の御所を意味し、平安時代以降は、斎王自身のことも指すようになった。
 祭神は天照大神(あまてらすおおみのかみ)。
 厄除け開運、婦女子の血の道の守護などの信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 年代不詳、この地で、伊勢神宮に奉仕した斎宮が、有栖川の辺に野々宮を建て、精進潔斎したという。
 江戸時代、この地が野宮だったため、毎年巡検使が訪れていたという。村人の負担が大きく、野宮ではないとして「神明社」と改称した。
 1669年、改修されている。
 1688年、正月13日に神明ノ社(斎宮神社)、阿弥陀寺の地蔵菩薩(旧本尊)に村人が集い、天下泰平、五穀豊穣などの拝礼、祈祷が行われたと記されている。(「御祷故実書」)
 1848年、修復されている。
 近代、1893年、再興された。
◆斎王 斎王(さいおう/いつきのみや)は、伊勢神宮の天照大神に御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)として奉仕した未婚の内親王か女王のことをいう。洛西の大堰川、紙屋川、有栖川は古代より祓禊の場になっており潔斎の場も置かれていた。
 伝承では、垂仁(すいにん)天皇の代(前29?-70?)の、倭姫命(やまとひめのみこと)に始まったという。実質的には、飛鳥時代、670年、第40代・天武天皇の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)より、第96代・後醍醐天皇の代(1330頃)まで、660年間に60人余りの斎王が生まれている。
 天皇の即位とともに、斎王に卜定(ぼくじょう)された未婚の内親王か女王は、大内裏の斎所である初斎院(しょさいいん)で1年間の潔斎をした。その後、7月に郊外の清浄な野に建てられた野宮(ののみや)に入る。8月、賀茂川で禊を行った。朱雀天皇の頃より9月に変更された。さらに1、2年の精進潔斎生活を送り、9月に野宮より出て桂川で禊し、宮中に入った。天皇との別れの儀を経て、5泊6日の群行により伊勢の斎宮寮へ向かった。
 野宮は洛西にあったとされ、野宮神社、斎宮神社、斎明神社などもその旧跡地とされている。
◆有栖川 有栖川(ありすがわ、斎川)は、境内の西に流れている。右京区嵯峨観空寺谷の渓流と、広沢池からの水源が合流し、嵯峨野を南流し、桂川に注いでいる。全長7kmある。
 かつて、有栖川は、都の賀茂、紫野、嵯峨の3カ所に流れていた。(『山州名跡志』)。有栖川の有栖とは「荒樔(あらす)」の意味であり、禊の行われる川、斎場を意味していた。有栖川の畔に野宮が建てられ、斎宮により禊、祓いなどが行われていたとみられている。
◆ムクノキ 境内のムクノキは樹齢数百年といい、2mの板根が張っている。三条通にあった樹齢500年という大ムクノキ2本は、通りの交通量の増加に伴い伐採されたという。
◆年間行事 「恵方祭」(大堰川に船を浮かべて催される。)(5月の初卯の日)、10月17日(祭礼)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 説明板、『洛西探訪』、『京都の地名検証』 、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『京都大事典』、『京都 神社と寺院の森』、『京の福神めぐり』

 
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境内のムクノキの大木

【参照】かつて禊の川だったという有栖川
斎宮神社 〒616-8315 京都市右京区嵯峨野宮ノ元町34 
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