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阿弥陀寺 (京都市右京区) Amida-ji Temple |
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阿弥陀寺 | 阿弥陀寺 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 仏足石 ![]() ![]() ![]() ![]() 地蔵尊 ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() ![]() |
阿弥陀寺(あみだ-じ)は、有栖川(ありす-がわ)の東、細い路地奥にある。如意山神通院と号する。古く、斎宮内の草堂として始まった。 浄土宗、本尊は阿弥陀如来を安置している。 文殊菩薩は、知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の7番。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 年代不詳、古く、斎宮内の草堂として始まる。神通院と称し、地蔵菩薩を本尊としたという。 安土・桃山時代、1600年、類火により焼失した。 江戸時代、1688年、旧正月13日に神明ノ社(斎宮神社)、当寺の地蔵菩薩(旧本尊)には村人が集い、天下泰平、五穀豊穣などの拝礼、祈祷が行われたと記されている。(「御祷故実書」) 1696年、浄土宗の伝誉専栄が中興したという。また、元禄年間(1697-1703)以降、浄土宗に改めたという。 1713年、現在の堂宇が建てられる。 第113代・東山天皇の第一皇女・秋子内親王( 伏見宮貞建親王妃、1700-1756)の安産祈願が当寺で行われる。禁裏よりの50石の寄進は寺が辞退したため、菊御紋の入る高張提灯10張が寄進された。 1873年、知恩院末となる。いつの頃からか、粟生光明寺、知恩院の僧が隠居し住持に就いたという。(寺伝) ◆伝誉専栄 江戸時代前期の浄土宗の僧・伝誉専栄(?-?)。詳細不明。1696年、阿弥陀寺を中興したという。 ◆秋子内親王 江戸時代前期-中期の秋子内親王(しゅうし-ないしんのう、1700-1756) 。女性。幼称は姫宮、猶宮。父・第113代・東山天皇、母・承秋門院。1707年、内親王になる。1719年、貞建(さだたけ)親王と結婚した。1743年、二品を授けられた。57歳。 ◆本尊 ◈ 本堂に本尊「阿弥陀如来」が安置されている。 ◈ 「地蔵像」(80cm)は旧本尊という。鎌倉時代作とされている。木造。 ◈ 「法然上人二十四歳像」(30cm)、外陣右に大理石製の「文殊菩薩」がある。文殊菩薩は知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の第7番になる。 ◈ 仏堂に地蔵堂、鎮守堂に「熊野権現」が祀られている。 ◆文化財 江戸時代、第113代・東山天皇の第1皇女・秋子内親王(伏見宮貞建親王妃、1700-1756)の安産祈願が当寺で行われた。地蔵像が納められた厨子扉には菊花紋が入っている。 ◆年間行事 嵯峨野六斎念仏(嵯峨野六斎念仏保存会が奉納する。)(8月23日)。 *年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京の福神めぐり』、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『京都府の歴史散歩 上』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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