下御霊神社 (京都市中京区) 
Shimogoryo‐jinja Shrine
下御霊神社 下御霊神社
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表門








拝殿


本殿


右より八幡社、神明社(内宮、外宮)、春日社、1807年建立。



稲荷社、神殿は1793年建立、拝所は1852年建立。



猿田彦社、垂加社、柿本社



天満宮、江戸時代、1793年建立。



大国主社、江戸時代、1807年建立。



右から斎部社、社家の祖神、大将軍社、高知穂社、愛宕社、日吉社、山王七社



宗像社、宗像三女神(弁財天)を祀る。江戸時代、1825年建立。



名水「下御霊香水」、半世紀ほど涸れていたが復活した。
 京都御所の南東にある下御霊神社(しもごりょう じんじゃ)は、古くより御所の産土神とされた。
 祭神は八所御霊(宇賀御霊大神)の御霊社になる。伊予親王(いよ しんのう)、その母・藤原吉子(ふじわら の よしこ、藤原大夫人)、祟道天皇(すどう てんのう、早良[さわら]親王、第50代・桓武天皇の異母弟)、藤原広嗣(ふじわら の ひろつぐ、藤大夫)、橘逸勢(たちばな の はやなり、橘大夫)、文室宮田麻呂(ふみや の みやたまろ、文大夫)、同6柱の和魂(にぎみたま)の吉備真備(きび の まきび、吉備聖霊[きび の しょうりょう] )、同6柱の荒魂(あらみたま)の菅原道真(すがわら の みちざね、火雷天神[からい てんじん] )を祀る。旧府社。 
 疫病退散、書道上達祈願の信仰がある。
◆歴
史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、第54代・仁明天皇(在位833-850)により、修法堂の下出雲寺(しもいずもでら、一条北京極東、上京区)の鎮守社として創建された。御霊神社(上御霊神社)の南に位置し、「下御霊神社」と呼ばれた。出雲路にあったという。出雲氏族との関わりがあるとみられている。
 839年、伊予親王(桓武天皇第3皇子)とその母・藤原吉子(桓武天皇夫人)の慰霊のために、出雲路に創建されたともいう。
 863年、神泉苑御霊会の祭神を下出雲路の地に祀ったともいう。かつて出雲路の御霊神社(上御霊神社)の南にあり、下御霊神社と呼ばれたという。
 鎌倉時代、1324年、正一位の神階が授けられた。
 室町時代、1427年、足利義持が社殿を寄進する。この頃、新町出水西(近衛、上京区)に移される。(『後鑑』)
 応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。
 安土・桃山時代、1590年、1589年、天正年間(1573-1592)とも、豊臣秀吉の都市整備に伴いこの地に移転した。
 江戸時代、1625年、本殿は宮中の内侍所が移されという。
 1723年、霊元法皇(第112代)が行幸する。
 1728年、霊元法皇が参詣し、願文を納める。京都御所の産土神とされた。
 1788年、天明の大火により焼失している。
 1790年、1791年とも、第119代・光格天皇により内侍所(ないしどころ)が寄進され、復興された。
 1798年、現在の拝殿が建立される。
◆山崎闇斎 江戸時代前期の儒学者・神道家・山崎闇斎(やまざき あんさい、1619-1682)。京都に鍼医の子として生まれた。12歳で比叡山に上る。13歳で妙心寺に移され、土佐藩儒の野中兼山から儒学を勧められた。15歳で僧になり、19歳で土佐・吸江寺に入る。朱子学を学び、1642年、儒教に転向する。1655年、京都で門人に教えた。江戸に出て、京都と行き来する。吉川惟足より吉田神道の伝を受け、垂加神道を創始し神儒一致を主張した。門弟は6000人に及んだ。幕末の尊攘思想に影響を与えた。
 境内に闇斎を祀る垂加(すいか)社がある。
◆出雲路信直 江戸時代前期の神道家・出雲路信直(1650-1703)。山崎闇斎の高弟。1684年、継いで下御霊神社祠官になる。日記に『出雲路信直日記』がある。
◆常盤井殿 境内一帯には、鎌倉時代の公卿・西園寺実氏(さいおんじ さねうじ、1194-1269)の別荘・常盤井殿があった。
 邸内には泉が豊富に湧き、「常盤井泉殿」、「大炊御門京極水閣」とも呼ばれた。
 邸宅は幾度か焼失し、その都度再興された。南北朝時代、1336年の焼失以後は再建されなかった。
◆祭神
 平安時代、平安京に人口流入が起こる。衛生状態の悪化は、疫病の流行を頻発させ、多くの死病人が出た。
 これらの疫病の原因は、政争により都を追われ、非業の死を遂げた人々の御霊の仕業とされ恐れられた。そのため、それらの御霊を神として祀ることで、疫病の退散を願った。
 伊予親王とその母・藤原吉子は、謀反を起こしたとの咎により、大和川原寺に幽閉され、服毒死した。
 そのほかの祭神として、祟道天皇(早良親王、桓武天皇の弟)、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂、吉備真備、菅原道真などを祀り、いずれも御霊神になる。
 
無実の罪で憤死した早良親王以下6座は、政治的な権謀により非業の死を遂げている。
◆建築 ◈「表門」(京都市指定文化財)は、仮皇居の建礼門を移したという。
 ◈「拝殿」は、江戸時代、1798年に建立された。かつて檜皮葺、明治期(1868-1912)に瓦葺になる。
 ◈「本殿」(京都市指定文化財)は、江戸時代、1788年に仮皇居の聖護院宮で造営された内侍所(ないしどころ)仮殿だった。1790年(1791年とも)に移築されている。中央に八所御霊、相殿に霊元天皇を祀る。
 本殿前に、江戸時代、1793年に建てられた切妻造の幣殿、さらに同年建立の唐破風造の拝所が付けられている。幣殿から南北に、江戸時代、1830年に建てられた入母屋造の廊がある。本殿、幣殿、拝所、南北廊と、それぞれの屋根が交錯して繋がる社殿構成になっている。これは、京都の御霊社特有の建築様式であり、当社は造営年代が古いという。
 ◈「社宅」(京都市指定文化財)は、江戸時代、寛政年間(1789-1801)に建てられた。近世の神官邸宅遺構になる。入り口に鳥居形の庇、棟が見られる。現在は、社務所、神官住宅として使われている。
◆末社 末社「垂加(すいか)社」は、江戸時代、垂加神道・山崎闇斎の門人だった神官・出雲路信直が山崎闇斎を祀って建てた。
 顕彰碑も立つ。
◆文化財 紙本墨書「霊元天皇宸翰御祈願文」1巻(重文)は、江戸時代、1710年の天皇行幸祈願時のものになる。朝廷に対する幕府介入を批判している。京都国立博物館寄託。
 山崎闇斎関連の遺品がある。
◆樹木 オガタマノキは、区民誇りの木に指定されている。サルスベリがある。
◆年間行事 御霊祭神幸祭(5月1日)、御霊祭還幸祭(鳳輦、神輿4基、剣鉾8振により渡御が行われる。)(5月第3か第4日曜日)、例祭(8月18日)。


*年間行事の中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都 歴史案内』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都の寺社505を歩く 上』『京都 神社と寺院の森』『京都のご利益手帖』『週刊 京都を歩く 44 京都御所周辺』、ウェブサイト「コトバンク」


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ケヤキの大木

若宮神輿
下御霊神社 〒604-0995 京都市中京区下御霊前町,寺町通丸太町下ル東側  075-231-3530  6:00-20:00
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