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白川児童プール跡 (京都市左京区) Shirakawa Children's Pool Site |
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白川児童プール跡 |
白川児童プール跡 |
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![]() 「白川児童プール開設十五周年記念碑」の石標 ![]() 上流の仁王門橋、堰跡 ![]() 堰跡 ![]() 仁王門橋から見た白川分流(プール跡) ![]() 梯子 ![]() ![]() ![]() 下流の堰跡 ![]() ![]() 下流の堰から見たプール跡 ![]() ![]() 白川分流、サクラ |
岡崎仁王門通から南流する白川分流の下流側左岸(東岸)に、「白川児童プール開設十五周年記念碑(しらかわ-じどうぷーる-かいせつ-じゅうごしゅうねん-きねんひ)」の石標が立つ。 かつてこの付近に、夏季には河川を堰き止めた児童プールが開かれていた。 ◆歴史年表 現代、1958年、白川分流に白川児童プールが開設される。 昭和40年(1965-1974)後半-50年(1975-1984)初め/昭和40年代(1965-1974)、プールは閉鎖された。 1973年、7月、 川端少年補導委員会岡崎支部により石標が立てられる。 ◆白川児童プール 現代、1958年に白川児童プールは、琵琶湖疏水から南へ分流した白川分流を堰き止め、夏季に開設された。 仁王門橋(1957年11月竣工)の水門とその下流のコンクリート製堰までの河川をプールにしていた。川筋は南西に緩やかに曲線を描いており、幅6m、長さ60m、深さ97㎝ほどあった。 プールは地域の子どもらに開放され、小さな子どもの利用が多かった。遠方からも遊びに来たという。地域住民により、簡易の更衣室・休憩所も設けられた。 昭和40年(1965-1974)後半-50年(1975-1984)初め/昭和40年代(1965-1974)に、河川の水質悪化・学校ででのプール設置の普及などにより、白川児童プールは閉鎖された。 なお、当時の中学生などは琵琶湖疏水、インクラインでも泳ぎ、時に水死事故も起きていたという。ほか、南禅寺プール、若王子プールなどもあったという。 ◆遺構 ◈白川分流の上流に水門(堰)と下流にもコンクリート製の堰が残されている。 ◈河川左岸に、鉄製梯子が3カ所に残されている。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 川端少年補導委員会岡崎支部の石標、ウェブサイト「岡崎コンシェルジュ京都岡崎魅力づくり推進協議会」、ウェブサイト「京男雑記帳」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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