湯川秀樹旧宅 (京都市左京区)  
Former Residence of Yukawa,Hideki
湯川秀樹旧宅 
湯川秀樹旧宅 
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住居2階


土蔵


 下鴨神社東の住宅街に、湯川秀樹旧宅(ゆかわ-ひでき-きゅうたく)がある。
 湯川は最晩年の24年間をこの地に暮らしている。
◆歴史年表 近代、1943年、湯川秀樹は、西宮苦楽園から京都市左京区下鴨神殿町の新居に転居した。
 現代、1958年、現在地の下鴨泉川町に転居する。
 1981年、9月8日、湯川はこの地で亡くなる。
 2021年、3月、長谷工コーポレーションが土地・建物を取得した。9月、同社は今後、建物を整備し、京都大学に寄付すると発表した。
 2022年、整備工事が着工される。
 2023年、完成予定になっている。
◆湯川秀樹 近現代の理論物理学者・湯川秀樹(ゆかわ-ひでき、1907-1981)。東京生まれ。地理学者・小川琢治の3男。1908年、父が京都大学教授になり、京都で育つ。第三高等学校を経て、1929年、京都帝国大学理学部物理学科を卒業した。1932年、湯川スミと結婚し湯川姓になる。1933年、大阪帝国大学講師になった。 1934年、第1報「素粒子の相互作用について」で、核力とβ崩壊を媒介する場の量子として、新粒子(中間子)の存在を予言した。1936年、「K電子捕獲の理論」を提唱する。1937年、アメリカ合衆国の物理学者・アンダーソンが中間子の存在を宇宙線に発見し、湯川は物理学者・坂田昌一らと「中間子場理論」を展開した。1939年、京都大学教授になる。1940年、素粒子論で学士院恩賜賞を受賞した。1942年、東京帝国大学教授を兼任する。 1943年、文化勲章を受章する。1945年、戦後すぐに欧文専門誌『Progress of Theoretical Physics』を創刊し、高い評価を受けた。1947年、素粒子に時空的な広がりをもたせた「非局所場の理論」を提唱した。1948年、プリンストン高等研究所客員教授になる。1949年、 7月、コロンビア大学教授になる 。10月、日本人として初めて、ノーベル物理学賞を受賞した。1953年、京都大学基礎物理学研究所の創設に伴い、初代所長に任じられた 。 1955年、日本ユネスコ国内委員会委員、社団法人日本物理学会会長になる。7月、核兵器に反対したロンドンでの「ラッセル・アインシュタイン宣言」の共同署名(11人)の一人になる。「世界平和アピール七人委員会」を結成した。1956年-1557年、原子力委員会委員を務めた。1957年、7月、ラッセル・アインシュタイン宣言に基づき、カナダでの「第1回パグウォッシュ会議」(22人)に、友人・物理学者・朝永振一郎、核物理学者・小川岩雄とともに出席した。1962年、天龍寺(右京区)で、朝永、坂田とともに呼びかけ人になり、日本版パグウォッシュ会議の「科学者京都会議」が開催される。1967年、「素領域理論」を提唱した。1975年、京都で「第25回パグウォッシュ・シンポジウム」(36人)が開かれ、完全核軍縮の「湯川-朝永宣言」を発表した。74歳。
 原子核は陽子と中性子からなる。さらに、陽子・中性子を互いに結び付ける何らの力として、新粒子があるとした。新粒子の中間子は、核子(陽子・中性子の総称)の間に働く、核力を媒介する素粒子として導入された。さらに、中間子が電子とニュートリノに崩壊し、原子核のβ崩壊も統一的に説明する可能性を与えた。以後、素粒子論の領域が発展する。
 反核・平和・世界連邦運動にも積極的に関わる。著『素粒子』、『湯川秀樹自選集』など。地元の下鴨小学校の玄関には、自筆額「一日生きることは 一歩進むことでありたい」が掛かる。
 墓は知恩院(東山区)にある。
◆湯川スミ 近現代の女性・湯川スミ(ゆかわ-すみ、1910 -2006)。本名は湯川澄子。大阪市生まれ。父・医師・湯川玄洋、母・みちの次女。1928年 、大阪府立大手前高等女学校本科(現・大阪府立大手前高等学校)を卒業した。1932年、 小川秀樹と結婚し、夫・秀樹は入り婿になり湯川に改姓する。1933年、 長男出産、1934年、 次男を出産した。1948年、秀樹がプリンストン高等科学研究所の教授として招かれ、スミも渡米し理論物理学者・アインシュタインと出会う。1956年、 世界連邦京都婦人の会を設立した。1958年、 世界連邦全国婦人協議会会長になる。1963年、 世界連邦建設同盟会長になった。1966年、ダームコマンデール勲章を受賞した。1977年、 世界連邦建設同盟名誉会長、1988年 、 WFM(世界連邦運動,World Federalist Movement)名誉会長、1996年、 世界連邦運動協会名誉会長になる。著『苦楽の園』。96歳。
 墓は知恩院(東山区)にある。
◆旧宅 ◈近代、1943年に、湯川秀樹は西宮苦楽園から京都市左京区下鴨神殿町18番地に転居した。1958年に現在地の下鴨泉川町6-5に転居している。1981年に亡くなるまでの24年間を、この地で家族とともに過ごした。その後、近年まで親族が暮らしていた。
 2021年3月に、長谷工コーポレーションが土地・建物を取得している。9月に同社は京都大学に寄付すると発表した。
 建物は近代、1933年に建築された。 京都市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されている。
 木造・土蔵造瓦葺、2階建の住居、2階建の書庫・物置がある。総延べ370㎡、敷地約750㎡。
 ◈建物は老朽化しており、京都大学、建築家・安藤忠雄(1941-)、長谷工が協議の上、改修後に同社が京大に寄付する。今後、現状の面影を極力残しつつ改築し、教育・研究施設として利用される。
 2022年に整備工事が着工され、2023年に完成予定になっている。設計は安藤忠雄建築研究所、施工は長谷工グループ細田工務店による。
◆文化財 湯川秀樹の旧制第三高等学校時代の直筆ノート、講演録、手紙類(英文を含む)233点以上、書画・掛軸類113点(妻・スミとの共作を含む)、蔵書・寄贈本類3000冊などがある。
◆庭 庭には多くの樹木が植えられている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都を彩る建物や庭園-京都市 文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課」、『京都大事典』、『親と子の 下鴨風土記』、ウェブサイト「大阪大学総合学術博物館 湯川記念室」、ウェブサイト「京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館史料室」、ウェブサイト「世界連邦運動協会」、ウェブサイト「WEB金蘭会」、ウェブサイト「日刊建設通信新聞 2021年9月16日付」、ウェブサイト「湯川秀樹の生い立ちマップ 」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 湯川秀樹旧宅  〒606-0807 京都市左京区下鴨泉川町6-5
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