藤原高藤墓 (京都市山科区)  
grave of Fujiwara no, Takafuji
藤原高藤墓 藤原高藤墓
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参拝道の山道




「贈正一位 太政大臣 藤原高藤 墓」の石標


五輪塔


山頂からの眺望、醍醐寺方向

鍋岡山
 勧修寺の南西にある鍋岡山(なべおかやま)の山頂に、平安時代前期の公家・藤原高藤墓(ふじわらの-たかふじの-はか)がある。
 墓は、かつて小野墓とも呼ばれていた。いまは、石標、五輪塔が立てられている。
◆歴史年表 平安時代、900年、3月12日、藤原高藤は亡くなった。(『日本紀略』)。墓は、没後すぐに「十陵八墓」中に入る。
 927年、「小野墓(高藤墓) 贈太政大臣正一位藤原朝臣高藤 山城国宇治郡小野郷にあり」とされている。(『延喜式』諸陵寮)
 930年、12月、小野墓は「十陵八墓」の一つに加えられた。(「太政官符」)
 10世紀(901-1000)末まで、「十陵八墓」中にあった。
 現代、2008年3月11日、現在の五輪塔が、藤原北家末裔、宮道神社信徒、勧修寺により立てられた。
◆藤原高藤 平安時代前期の公家・藤原高藤(ふじわらの-たかふじ、838-900)。号は小一条内大臣、勧修寺内大臣。 公卿・歌人・藤原冬嗣の孫・良門の子。母は高田沙弥麻呂の娘・春子。右近衛将監、865年、六位蔵人、美濃権大掾を経て、868年、従五位下に叙せられる。右兵衛権佐、左近衛少将、兵部大輔などを歴任した。887年、娘・胤子の夫・源定省(第58代・光孝天皇の皇子)が皇族に復帰し、第59代・宇多天皇に即位した。高藤は正五位下に叙せられる。890年、正五位上従四位下、893年、宇多天皇と胤子との間の皇子・敦仁親王の立太子を受け、894年、高藤は三階級の昇叙により従三位に叙せられ公卿に列した。895年、参議になる。897年、第60代・醍醐天皇(敦仁親王)の即位により高藤は正三位・中納言に叙任された。899年、大納言に至る。参議昇進後は播磨権守・近江守と地方官を兼帯した。900年、平安時代初の内大臣(公卿補任)に任じられる。死後、正一位・太政大臣が追贈された。
 正妻・宮道列子との間の子に、胤子、定国、定方、満子がある。大江乙平女との間に定文がある。高藤は外祖父として重要視された。『今昔物語集』に、宮道弥益の娘・列子との逸話が描かれている。勧修寺家七祖の始祖、後の高藤流の藤原氏は勧修寺家(流)と呼ばれた。
 墓は、小野墓(高藤墓)が山城国宇治郡小野郷にあるという。鍋岡に葬られたともいう。
◆今昔物語集 平安時代末の説話集『今昔物語集』(巻22第7)には、勧修寺の創建逸話が載せられている。
 平安時代、857年、後の内大臣・藤原高藤が、南山階(山科)の鷹狩の際に、栗栖野で申の刻に雷雨に見舞われる。雨宿りに偶然立ち寄った大領(たいりょう、郡司、後の四位修理大夫)・宮道弥益の屋敷で、一夜を過ごすことになる。高藤は、酒肴を運んできた弥益の美しい娘・列子(たまこ)に惹かれ契りを結ぶ。高藤は15-16歳、列子は13-14歳だったという。高藤は、形見の太刀だけを残して屋敷を去る。
 高藤は、父・良門に狩を禁じられていた。6年後、父没後に弥益の屋敷を再訪する。列子の傍らに5-6歳の幼い娘がいる。高藤と列子の間に生まれた胤子だった。列子は、高藤との再会を待ちわびていた。母娘は京都に招かれ、高藤とともに暮らすことになる。その後、2人の男児も産んだ。
 以後、高藤も、宮道家も昇階し栄えたという。列子は、「たまこ」とも呼ばれ、「玉の輿(たまのこし)に乗る」という言葉の語源になったともいわれている。
 胤子は、後に第59代・宇多天皇妃になり、第60代・醍醐天皇を産む。2人の男児は大納言右大将定国、三条右大臣定方になった。
◆墓 『延喜式』諸陵寮(平安時代、927年)には、小野墓(高藤墓)は「小野墓 贈太政大臣正一位藤原朝臣高藤 山城国宇治郡小野郷にあり」とされている。
 『宇治郡名勝誌』(近代、1898年)には、高藤は「鍋岡に葬る」とある。『延喜式』諸陵寮にと記されている。
 現在、鍋岡山の山頂に、石標(右)、藤原高藤墓の五輪塔が東面して並んで立てられている。
 ◈「石標」には「贈正一位 太政大臣 藤原高藤 墓」とある。
 ◈「五輪塔」は、2008年3月11日に立てられた。「源氏物語千年紀」を記念し、高藤の追善菩提のために、藤原北家末裔、宮道神社信徒、勧修寺による。
 


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
参考文献 『京都市の地名』『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』『山科の歴史を歩く』『昭和京都名所図会 6 洛南』 『山科事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 藤原高藤墓 〒607-8227 京都市山科区勧修寺下ノ茶屋町
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