興聖寺 (京都市上京区)
Kosho-ji Temple
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【参照】旧門






















サルスベリ


サルスベリ
 堀川通に面した興聖寺(こうしょうじ)は、古田織部と関わり深く、「織部寺(おりべでら)」ともいわれている。山号は円通山という。
 臨済宗興聖寺派の本山、本尊は釈迦如来。
◆歴史年表 安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、この地に虚応円耳(こおう -えんに)が大昭庵を結んだことに始まるという。
 江戸時代、1603年、第107代・後陽成天皇の勅、茶人・古田織部の願により建立された。虚応円耳を開山とし、「円通山興聖寺顕蜜自得禅寺」と称した。台密を兼学した。
 1629年、第108代・後水尾天皇の勅願所になる。(『雍州府志』)。勅願寺一派の本山になる。
 1689年、現在の仏殿が建立された。
 1701年、第113代・東山天皇が常紫衣を勅許とする。五山第一の綸旨を与える。(『坊目誌』)。一時は隆盛になり数十か寺を有したという。
 1788年、天明の大火により焼失した。(『翁草』)。以後、衰微する。
 近代、1887年、臨済宗相国寺派に合流した。
 現代、1948年、臨済宗興聖寺派本山として独立する。
◆虚応円耳 安土・桃山時代-江戸時代前期の僧・虚応円耳(こおう-えんに、1559-1619)。京都に生まれた。妙満寺・日重に学び、大応寺を開く。臨済宗となり、1603年、興聖寺を創建した。1615年、上野・長楽寺の天海より台密の葉上(ようじょう)流を継ぐ。著『心経円耳註』など。
◆古田織部 安土・桃山時代-江戸時代前期の武将・茶人・古田織部 (ふるた-おりべ、1543/1544-1615)。重然(しげなり)。美濃に生まれた。古田重定の養子。千利休に茶を学び利休七哲のひとりになる。1560年、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、秀忠に仕え織部正(かみ)になる。秀吉の命で書院式茶道を完成し、諸大名に茶の湯を伝授した。1592年、秀吉によりわび茶を武家の茶に改めるように命じられた。1594年頃、小堀遠州が弟子入りする。1605年頃、2代将軍・徳川秀忠に指南する。京洛での放火事件に織部の茶坊主が関与したことから、1615年、大坂夏の陣で恩のある豊臣方に通じたとして、伏見の屋敷内で抗弁せず自刃した。墓は大徳寺塔頭・三玄院、興聖寺にもある。
 破格の茶といわれ、茶の湯を変革した。武士好みの茶道とした。作意は織部好みと呼ばれ、茶室、織部焼を遺した。
◆福宮 江戸時代の皇族・福宮(1703-1705)。父は第113代・東山天皇第2皇女、母は新崇賢門院櫛笥賀子。墓は福宮墓として興聖寺内にある。戒名は尊勝法院宮。
◆曾我蕭白 江戸時代の絵師・曾我蕭白(そが-しょうはく、1730-1781)。京都の商家三浦家に生まれる。家は紺屋「丹波屋」ともいう。10代で両親、兄を亡くす。絵は高田敬輔、望月玉蟾に師事したともいう。雲谷派を学ぶ。室町時代の画家・曾我蛇足、江戸時代中期の白隠の影響を受けたともいう。20代後半で画業で生計をたて、曾我蕭白を名乗る。1758年、伊勢旅行、1764年、再び伊勢に行く。伊勢・久居の米屋で奉公していたという。1767年、播州を旅する。播磨、1772年頃から京都に戻る。池大雅と親しくした。1775年、『平安人物志』載る。
◆本尊 ◈本堂(仏殿)の須弥壇に本尊の「釈迦如来像」が安置されている。
 ◈脇檀に「勝軍地蔵菩薩像」がある。鎌倉時代作であり、愛宕山旧本地仏になる。
 ◈脇檀の「達磨像(朝鮮達磨像)」は、檀越の武将・藤堂高虎(1556-1630)の寄進による。 
◆建築 ◈「仏殿」は、江戸時代、1689年の建立による。
 ◈「方丈」・「庫裏」は、江戸時代、1788年の天明の大火後に再建された。
◆茶室 利休好みの茶室「雲了軒」がある。
◆文化財 ◈曾我蕭白(そが-ひょうはく)筆「紙本墨画 寒山拾得図」2幅(重文)は、江戸時代、1761年-1762年頃の作になる。風狂な聖人の姿が描かれている。各197×115㎝。京都国立博物館寄託。
 ◈絹本著色「兜率(とそつ)天曼荼羅図」1幅(重文)は、鎌倉時代作になる。弥勒信仰による弥勒浄土を描く。
 ◈本堂天井画の「雲龍図」は祖的筆による。江戸時代、1689年に描かれた。
 ◈朝鮮王朝の松雲大師惟真政の遺墨がある。
 ◈紙本墨書「織部百箇条」は、江戸時代、1612年の作になる。古田織部の自筆による茶の湯の伝授書になる。利休の教えを書き記したとした。 
◆蕭白作品 曾我蕭白(そが-ひょうはく)作品は、細密な描写、構図、鮮やかな彩色などにより、「異端」の画家と位置付けられた。
 『國華』4号(1890)での無記名評以来、否定的な見方、また評価に振幅が見られた。その後、辻惟雄「曾我蕭白の墓と興聖寺の蕭白一族の墓および過去帳の記載について」(『國華』905号、1967)により再評価される。現代の作家にも影響を与える。
 興聖寺に、代表作「寒山拾得図」が残る。墓も当寺にある。
◆墓 江戸時代の絵師・曾我蕭白の墓がある。法名「一輝蕭白居士」。富岡鉄斎が銘を揮毫した蕭白墓、一族の墓も並ぶ。
 茶人・古田織部、妻・仙子、5人の子の墓がある。
 東山天皇皇女・尊勝法院の福宮墓がある。
◆桜 京名木の一つ、普賢象桜がある。
◆年間行事 織部会(茶室「雲了軒」)(毎月11日)。 


*非公開
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都大事典』『京都・山城寺院神社大事典』『京都歴史案内』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都の寺社505を歩く 上』『週刊 日本の美をめぐる 25 奇想の画家 蕭白と蘆雪』『京都隠れた史跡100選』『京都で日本美術をみる』『週刊 日本の美をめぐる 18 利休・織部と茶のしつらえ』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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興聖寺 〒602-0082 京都市上京区上天神町647,堀川通寺之内上ル西側   075-451-4722
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