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地蔵禅院 (地蔵院) (京都府井手町) Jizozen-in Temple |
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地蔵禅院 | 地蔵禅院 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 文殊堂、学業成就、智慧の文殊を安置する。 ![]() 本堂 ![]() 橘観世音菩薩 ![]() 鐘楼 ![]() 鐘楼 ![]() 梵鐘 ![]() 地蔵 ![]() 旧正法寺歴住大和尚之塔 ![]() 枝垂れ桜と鐘楼 ![]() ![]() 境内は高台にあり、生駒山、信貴山、葛城山、金剛山などを望むことができる。 |
JR奈良線の玉水駅の東、小高い山の中腹に地蔵禅院(じぞうぜんいん)は建つ。地蔵院ともいう。山号は玉峯山。円山公園の枝垂れ桜と同株の樹齢300年近い桜が境内にある。 曹洞宗、本尊は地蔵菩薩。 城南西国第27番札所。 ◆歴史年表 創建、変遷の不詳は不明。 飛鳥時代、白鳳年間(661-683/672-685)、橘諸兄により創建されたという。開基は肇建上人により、当初は華厳宗だったという。 この地は、南都・東大寺(733/728-)華厳宗の旧跡ともいう。(「綴喜郡寺院明細帳」、1883) その後、他宗への改宗を重ねる。 江戸時代、1628年、関東天王院至心孝察が、東長寺の物外麟應を開祖として勧請し、曹洞宗に改めたという。(「綴喜郡寺院明細帳」、1883) 江戸時代中期、中本山格の寺院となる。末寺18カ寺を有した。 1856年、現在の建物は18世・寶山俊棟により中興された。 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、各所での仏堂破却、仏具、経典廃棄に伴い、当院に仏具、経典などが移された。 現代、1987年、枝垂れ桜は京都府指定天然記念物となる。雪害により枝の一部が折れる。 1991年、枝垂れ桜が弱っていたため、有志により「シダレ桜保存会」が結成される。 1995年、寺は再中興された。 2007年、枝垂れ桜が樹木医による大規模な処置を受けた。 2008年、枝垂れ桜の処置が引き続いて行われる。 ◆橘諸兄 飛鳥時代-奈良時代の貴族・政治家・橘諸兄(たちばな-の-もろえ、684-757)。本名は葛城(かつらぎ)王、井出左大臣、西院大臣。第30代・敏達(びだつ)天皇の玄孫・美努(みの/みぬ)王の子、母は県犬養橘三千代 (あがた-の-いぬかい-の-たちばな-の-みちよ) 。光明皇后の同母兄で奈良麻呂の父。室は藤原不比等の娘・多比能(むすめたひの)。710年、従五位下、729年、班田使に任じられた。731年、諸司の挙により参議になる。732年、従三位に昇叙した。736年、臣籍に下り、母の氏姓を継ぎ橘宿禰諸兄(すくね-もろえ)と称することを許される。737年、天然痘の流行で藤原不比等の4子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂) 、中納言・多治比県守など多くの議政官が亡くなる。大納言になり、第45代・聖武天皇を補佐した。738年、右大臣になり、唐から帰国した玄昉(げんぼう)、吉備真備(きび-の-まきび)らを顧問に起用した。740年、諸兄排斥の藤原広嗣の乱が九州で起こる。恭仁京遷都の推進役になる。749年、生前にもかかわらず正一位左大臣に昇る。750年、朝臣姓を賜った。755年、聖武上皇への不敬との讒言により、756年、職を辞した。『万葉集』の撰者の1人ともいう。自らも入首している。74歳。 初代橘氏長者。晩年は藤原広嗣の乱、恭仁京造営失敗、大仏造立の困難などにより、台頭した藤原仲麻呂に押された。 諸兄は、井手(井出)の里を本拠地とし、高台に館を構えていた。付近に、橘氏氏寺の大寺、井手(井堤)寺も建立した。 ◆仏像 ◈本尊の「地蔵菩薩」は、奈良時代の橘諸兄の持仏だったという。(『雍州府志』、1684)。ただ、江戸時代以降の本尊ともいう。 ◈脇仏は「不動明王」、「毘沙門天」を安置する。かつて、隣接していた密教寺院天台宗の西芳寺の仏像が遷されたという。 ◈ほかに、「千手千眼観世音菩薩」、「文殊菩薩」も安置されている。 ◆桜 境内には6本ほどの桜の大木が植えられている。鐘楼脇にある枝垂れ桜は、江戸時代、1727年に植樹された。 1947年に枯死した円山公園の枝垂れ桜は、当院の先代の親桜から株分けしたものという。円山公園の枝垂れ桜はすでに3代目が衰微しているが、当院の桜は285年も生き続けている。手入れ次第では、今後100年は生き続けるという。府指定天然記念物、京都名木十選などに指定されている。幹周り2.4m、樹高10m、開花は例年3月末より。 境内下の畑には、枝垂れ桜の子の桜2本の巨木があり、樹齢100年になる。また、境内には江戸彼岸桜、ソメイヨシノなども植えられている。 シダレ桜保存会では、今後も大切に桜を育てていくという。手入れは一年を通して行われている。志納金も募っている。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『井手の里を歩く』、『井手町歴史愛好ロマンのしおり』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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