玉津岡神社 (井手町)
Tamatsuoka-jinja Shrine
玉津岡神社 玉津岡神社 
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拝殿


拝所、弊殿、本殿


本殿
 井手町の上井手、地蔵禅院に隣接して玉津岡神社(たまつおか じんじゃ)はある。境内は山腹にあり文化財環境保全地区に指定されている。橘諸兄(たちばなのもろえ)を祀った橘神社がある。 
 かつて、椋本天神、玉岡社、玉岡春日社、江戸時代には八王子社とも呼ばれたという。
 祭神は下照比賣命(しもてるひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、素盞嗚男命(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)の5柱を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、540年、玉岡の社は、下照比賣命が兎手(いで)玉津岡南峰(現在地付近、下津磐根とも)に降臨し祀ったことに始まるという。(社伝)。
 奈良時代、731年、井堤左大臣・橘諸兄は、橘一族の氏神として井手郷美津梨(現在の玉川保育園付近)に椋本(くらもと)天神社を創建したという。社は井手寺(井堤寺)の西にありその末社であったという。
 731年前後、またそれ以前、玉岡春日社(後の八王子社)が建立されたともいう。橘諸兄の崇敬が篤かったという。
 鎌倉時代、1260年、椋本天神は現在地に遷されたともいう。下照比賣命を別祭して天神社が創立されたともいう。(「興福寺官務牒疏」)
 室町時代、1441年、椋本天神と記載され、神人3人、供僧1人がおり、奈良・興福寺の支配下にあったとみられる。(「興福寺官務牒疏」)
 安土・桃山時代、1596年以降、八王子社の修復が行われる。
 江戸時代、1605年、京都所司代・板倉勝重により上葺料が寄進される。
 1609年、板倉伊賀守の證文に八王子社とあり、社号を改称したとみられる。
 1652年から1684年、八王子社の修復拡張が行われる。
 1678年、本殿が再建された。春日造りであり、興福寺との関わりがあったとみられる。
 近代、1878年、春日社(上井手の西春日社、祭神・天児屋根命)、田中社(井堤寺南の田中社、東天神社、祭神・少彦名命)、八坂神社(石垣西前田、祭神・素盞嗚男命)、天神社(水無玉ノ井、祭神・味耜高彦根命、下照比賣命)の5社を八王子社殿(玉岡の社)に合祀した。
 1879年、村社となる。
 1881年、玉津岡神社と改称した。(「綴喜郡神社明細帳」)
 1890年、有王山(田村新田)に祀られていた有王天満宮(祭神・菅原道真)が合祀された。
 現代、1980年、井手町民俗芸能保存会が発足し、途絶えていた伊勢参宮の「おかげ踊り」が復活され奉納された。
◆橘諸兄
 奈良時代の貴族で政治家・橘諸兄(たちばなのもろえ、684‐757)。第30代・敏達天皇の孫、曾孫という栗隈王の孫で美努王の子。母は橘三千代。光明皇后の同母兄で奈良麻呂の父。井出左大臣、西院大臣と号した。初代橘氏長者。
 葛城王と称した。729年、山背国班田司に任じられる。731年、諸司の挙により参議となる。737年、天然痘の流行で藤原四兄弟など多くの議政官が亡くなる が生き残る。大納言になり、聖武天皇を補佐した。736年、臣籍に下り、母の氏姓を継ぎ橘宿禰諸兄と称することを許される。740年、恭仁京遷都の推進役 となる。749年、生前にもかかわらず正一位となる。750年、朝臣姓を賜られる。755年、聖武上皇への不敬との讒言により、756年、職を辞した。 『万葉集』の撰者の1人ともいい、自らも7首選ばれている。
 諸兄は、井手(井出)の里を本拠地とし、高台に館を構えていた。また付近に、橘氏氏寺の大寺、井手(井堤)寺も建立した。
◆斎宮祓所・観音堂 かつて境内に八幡宮が祀られていた。もとは、井手の石垣にあり、その後、遷されたものともいう。古図には祓所八幡宮と記されているという。(「綴喜郡神社明細帳」)
 かつて境内に観音堂があり、千手観世音が安置されていた。また、裏山山上に鐘撞という鐘楼もあり、神社は神仏混淆だったとみられている。その遺構としては、十三重石塔礎石、笠石、また旧絵馬堂の柱石は観音堂礎石だったという。
◆社紋 山吹と清流を組み合わせており、橘諸兄が植えたという井手の花の山吹と玉川を表している。
建築 本殿は、江戸時代、1687年の造営で、檜皮葺、春日造、極彩色、京都府登録文化財に指定されている。椋本神社(元天神社)の本殿を移築したといわれている。
◆木像 「小町像」には冷泉家の「小町六十九才 於井出寺」の銘がある。
◆末社 末社として、太神宮社・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、八幡宮社・応神天皇(おうじんてんのう)、橘神社・橘諸兄(たちばなのもろえ)、八百神社・八百萬大神(やおよろずのおおかみ)、多賀神社・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉册命(いざなみのみこと)、竃神社、大国主神社・大国主命(おおくにぬしのみこと)、恵比須神社・事代主命(ことしろぬしのみこと)、厳島神社・市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、住吉神社・上筒男命(うわつつおのみこと)・中筒男命(なかつつおのみこと)・底筒男命(そこつつおのみこと)、水分神社・おか神(おかのかみ)、山神神社・大山祇神(おおやまつみのかみ)、稲荷神社・宇賀之御魂神(うがのみたまのかみ)。 
◆年間行事 元旦祭(1月1日)、左義長(とんど)(1月15日)、節分祭(2月節分日)、初午祭(2月初午日)、祈年祭(2月下旬日曜日)、春季例祭(4月3日)、千燈祭(8月31日)、秋季例祭(秋祭、宵宮祭)(10月15日)、秋季例祭(秋祭)(10月16日)、お火焚神事(12月8日)、大麻頒布式(12月中旬)、新嘗祭(12月中旬日曜日)、除夜祭(12月31日)。月次祭(毎月1日)。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『井手町の近代Ⅰと文化財』『井手町歴史愛好ロマンのしおり』『京都・山城寺院神社大事典』『おんなの史跡を歩く』


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八幡宮社、応神天皇(おうじんてんのう) 

太神宮社、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

橘神社、橘諸兄(たちばなのもろえ)

山神神社
大山祇神(おおやまつみのかみ)

水分神社、おか神(おかのかみ)

住吉神社、上筒男命(うわつつおのみこと)・中筒男命(なかつつおのみこと)・底筒男命(そこつつおのみこと)

厳島神社
市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)

恵比須神社、事代主命(ことしろぬしのみこと) 

大国主神社
大国主命(おおくにぬしのみこと)

竃神社

多賀神社、伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉册命(いざなみのみこと)

八百神社、八百萬大神(やおよろずのおおかみ) 

山神
稲荷神社
稲荷神社


稲荷神社・宇賀之御魂神(うがのみたまのかみ) 

稲荷神社

2代目神馬の馬形
初代神馬、1930年に奉納された。敬慕されていたが、太平洋戦争末期、1944年に戦時物資統制令により徴用されたという。

絵馬殿

米寿祝いの奉納手形

手水舎

手水舎、井手の蛙(かはづ)は、歌枕になっていた。カジカガエルのことで、特に井手の蛙は美しい声で鳴くことで知られていた。

遥拝所

 玉津岡神社 〒610-0302 京都府綴喜郡井手町井手東垣内63   0774-82-4065
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